北狄の最近のブログ記事

「北狄」第369号(青森市)

| コメント(0)

2015年2月15日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「解けなかった絆」小野允雄】
 河野祐子と永田和宏という歌人夫婦の解説。短歌はやらないのだが、冒頭にこの句がある。

 手を述べてあなたとあなたに触れたきに息がたりないこの世の息が   河野裕子

 このようなものを読むと、小説の通俗性のなかで、短さのなかの情念表現において、これに勝てない。小説として何をどう書くべきか、考えさせられる。
【「鎌先温泉」笹田隆志】
 主人公の杉本は大学の教授か学者であるようだ。躁鬱症状に悩まされながら、同期会に参加した経緯が語られる。過去の記憶をランダムに思いつくままに書いていく。同期会の話も思い出が多く、実際にタイトルの鎌先温泉での同期会の部分は短い。そのなかで、関根という人物が、自律神経失調症になりながら、病をおして同期会だけは出席する意志を示すところが、強い印象があり、いわゆる小説的になっている。散文的小説という形式に読めた。
【「饒舌の時」秋村健二】
 ぼくと同じ村に生まれた信吉という四つ下の男の人生を語る。語り手を主人公と別に設定して、人の運命を追うというスタイルは考えのあってのことであろう。そこは注意をひいた。地味な話を地味な方法で語るので、独特な雰囲気が出ている。

 その他の作品に共通して言えることだが、原稿枚数的には、短いものでも、書き方がゆっくりしているので、読むのに時間がかかる。文章技術的には、もっとてきぱきとした方が良いのであろうが、本誌の場合は、そうしたのでは抜け落ちてしまうものがあるのだと感じさせる。それは作者の感じている存在時間の長さである。緩慢な書き方でないと、その人の存在した時間の色合いが表現できない。それは書き手自身のなかにある表現欲であるということを感じた。それが同人雑誌作品らしさであるようだ。
 発行所=〒038-0021青森市安田近野435?16、木村方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:北狄

「北狄」366号(青森市)

| コメント(0)

2014年5月 9日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

本誌は創刊60週年で、366号というからよくも続けたものである。この間に、どれだけの商業文芸誌が刊行され姿を消したか? に思いを馳せると非商業の文誌同人誌の役割の重さを感じる。
【「長春物語」笹田隆志】
 2010年に中国・吉林師範大学に日本語会話と文章の講義に良一が滞在した四ヶ月のレポートである。中国といっても広い。全体把握は無理で、こうした地域的な交流報告は、国民的相互情報交流に役立つと思う。日本と中国は、反日、領土問題、安倍首相の靖国参拝で国がギグシャクしているが、国家と諸国民とは同じでない。国家は権力、利権のために、まず国民の一番弱いところを犠牲にする。どの国であろうと、国益のための戦争は諸国民の利益にならない。メディアのよる国家の報道の煽情の意図に乗らないためにも、こうしたレポートは意義がある。
【詩編「月に沈む(二)」倉谷ひろたか】
 東日本大震災が直接的な題材となって、宮沢賢治の世界とも連結させて、現実の重みを受け止めながら、それをイメージ力ではねかえそうという、読み応えのあるものになっている。リフレインと行替え、飛躍性など詩ではあるが、全体的には、散文詩に近い。このように詩と散文の枠を超えた作品は、昔からあるが、現代ではもっと多くても良いように思う。
 発行所=青森市安田近野435-16、北狄社。
紹介者「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:北狄

「北狄」363号(青森市)

| コメント(0)

2013年10月28日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【詩篇「月に沈む」倉谷ひろたか】
 東日本大震災を題材にした情念あふれる35の詩篇。藍碧の沈黙、地場の力、哀しき三日月、じごくのなぎさ、など自然力による郷土と命の破壊を、多角的な視線で、嘆き悲しむところにエネルギーを収斂させている。重厚さがある。
【「蛍火の島」青柳隼人】
 定年退職後に「蓮沼」という池のほとりにひとり住む男の生活ぶりを優れた散文精神で描く。「蓮沼」という沼を静謐環境描写をもって独自のイメージを形成する。、ありそうであり得ない神秘的なスポットに作り上げる。風景がそこにただあるのではなく、心が風物を映すことを示す文章。、晩年を迎え,社会活動から隔離したさびしい心境を浮き彫りにする。同時に生の向こう側の死が、断絶した無の世界ではなく、連続する出入り口として「蓮沼」が示されているようにも読める。高齢者社会での死への概念の変化を示すのかもしれない。
紹介者:「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:北狄

2013年4月15日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌の後記「編集室」には、合評会では「結局は飲んで騒ぐだけ終わる。それでいいのか」という問題提起があって、かなり議論が弾んだとある。かつては名門同人誌として、評価される優秀作が多かったのに、近年は鳴かず飛ばずではないか、という。そこに、時代の変化があるのではないか、それでも三田文学の評には何度か取り上げられているのだが......という意見があったという。多くの同人誌に共通した課題ではないだろうか。ただ、傑作を目標にするなら、公募してみれば時代に合ったものなら、世にでるはず。また、スタンダールのように100年後にしか評価されないとわかっていて書く姿勢もある。多くの同人誌は共同で発表の場を作ることが目的なので、作品の質を問うのは二義的なことである。目先の評価は、書く上でのちょっとした彩りにすぎないであろう。
【「浮島のあかり」青柳隼人】
 家族娘と妻に先立たれ、自分も再起不能の病になった教授と知り合った水雲燈子の視点で書かれている。前半は燈子の母親の境遇との関係が述べられ後半は、教授の亡き家族との精霊との出会いを求める話になっている。筆致の様子から、作者は女性のようだ。全体に長く紙数を費やしている分、雰囲気がでている。が、内容が2分されているので、浸りきる気分が薄い感じもする。でも根気よく統一した雰囲気でまとめられている。
【「精三老人のねぶた」笹田隆志】
 ねぶた祭りの様子をテレビでみていて、あのような巨大な力強い大型提灯をどうやって作るのだろう、と疑問に思っていた。これを読むと、その様子が、よくわかる。昔は提灯づくりの人が、やっていたという。その家の子供の視点で散文小説風に町の風景から入る。ねぶたの伝統が、時代の流れの中で作り方や素材が変わってくる。ここでは少年が、父親のねぶた師の仕事の道に入らない。そういう時代背景があるからで、伝統的な製作法が失われることが、滅びゆく予感を感じさせるが、しかし時代の変化なかで、新しい伝統承継の形が生まれるのかも知れないと思わせる。
【「青年の階段の中で」秋村健二】
 高校生時代のすでに過去の時間のなかに埋もれてしまった出来ごと、情念を綴った散文。歌の詞に「青春時代は、迷ってばかり。青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの」というのもあるが、濃密な学生生活時間があったことに、羨ましいものがある。
 そのほかの短い散文を読んだが、それぞれマイペースの作風で充実している。とくに議論するほどのこともないのではないか。
発行所=青森市安田近野435-16、北狄社。

カテゴリー:北狄

2015年2月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

カテゴリ

最近のコメント

アイテム

  • crane34.jpg
  • syutsugen5hyoushi.jpg