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「コブタン」NO.39(札幌市)

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2015年4月 6日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「現近代アイヌ文学史稿(四)」須田茂】
 本号では第6章「歌人たちの登場?内なる越境の始まり(続)として歌人・森竹竹市(1902年?1976)の文学について記している。森竹は、遠星北斗、バチュラー八重子と並んでアイヌ民族を代表する詩歌人として有名であるそうだ。2000年1月、森竹の聖地・北海道白老町に森竹竹市研究会(伊東稔会長)が設立され、遺族から預託された遺稿などの資料を中心に研究が進められているそうである。
 文芸同志会は、発足当初から2年前までNGO「市民外交センター」に支援をしてきた(過去形です)。活動のひとつに「日本人は単一民族である」とする政治家の発言に表わされるような、歪んだ民族意識を正すべく活動をしていた。国連での「先住民族の権利に関する国際連合宣言」でのアイヌ民族の存在と対象について認めさせることがあった。文芸同志会では、台湾の先住民たち日本統治時代の「高砂族」などの係累が、日本人兵士として靖国神社に合祀されていることについての活動にも関係してきた。
 そのような活動も重要だが、なんといっても文学的な文化活動でそれら民族の精神を広めることは大いに意義がある。現在はクールジャパンなどと称して、日本伝統文化の特異性を世界に広める動きがある。長い歴史のなかで、さまざまな民族の文化・思想・習俗が島国のなかで衝突と混合をして作り出した文化遺産を今、世界に出して食い潰しているのである。それらの結晶を、テレビなどメディアがもてはやし、自信喪失した日本人の誇りを取り戻すとしている。しかし、それ培ってきたのは多様な民族的人間性であって、国民の一部を他者として排除する人々によるものではない。
【「野を翔る声(後編)」石塚邦男】
 前回で終わったのかと思いきや、続きがあったようだ。執筆姿勢のフットワークの良さが感じられる。このように続きが出てくるのも、この小説の主人公がアーチストで、東京にったかと思うと、また北海道にもどるという、観察行動型の語り部として機能しているからで、途中もそれぞれの読みどころがあって面白く読める。このスタイルについては、文芸交流会での記録にも書いたが、ジョセフ・コンラッドの間接的な話法の系統がある。また、アメリカのハードボイルドミステリーの定番形式でもある。探偵事務所に、依頼人がやってきて、問題解決を頼む。すると探偵は、その問題を追求する。それが、終わると探偵はまた事務所に戻って、依頼人を待つ。それであるから、いくらでも話が続くというわけである。
発行所=〒001?0911札幌市北区新琴似十一条7?2?8、須貝方。コブタン文学会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:コブタン

「コブタン」№38(北海道)

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2014年12月19日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【小説「野を翔る声」石塚邦夫】
 北海道ならではの風物を舞台に取り入れ、起承転結のしっかりしたロマン的小説である。馬、鳶、牛と牧場、女と男。主人公は絵描きさん。素材を揃えてうまくまとまっていて、北海道の雰囲気を濃厚に伝える。楽しく読めた。
【掌編「あだし野」笹原実保子】
 昔のことであるが、妻子を連れて東京で暮らしていた。そのはずの男が、戻ってきたらしく、メールをよこす。小説を書いたから読めということらいしい。変な男の存在をいぶかりながら語る作者の視線が面白い。
【紀行「兎角にこの世は住みにくい」沖郷村人】
 アイルランドの旅行記である。これが大変面白い。形式はともかく、自分の目指す散文小説のサンプルのようなものに感じた。まず作者が何を思い何かを考えているかが、表現されている。読者としての自分も、まさに描写の奥に寝ていない表現に気を逸らすことができない。文学や小説の舞台として、知っているようで知らないアイルランド人の生活ぶり。大変貴重な作品に思えた。このところ、出だしの数行を読んだだけでは、何が問題なのか、さっぱりわからない描写をまず読まされることに、ひどく疑問を感じる。これにはそれがない。まさに他者に読まれるための小説的な書き方である。
【小説「1945年8月15日」須貝光男】
 最近のテレビ番組を見ていると、「日本人のここがすごい」というテーマの番組が多い。おそらくベストセラー作家の委員さんやそのおお仲間が、そういう放送をしろと命じたのであろう。それに逆らわないのがすごい。自分でここがすごいと言わないと、それが証明できないということはすごくなんかないのだ。以前は「ここが変だよ日本人」という番組をやっていたのに...。本作の敗戦記を読むと「日本人がこんなにバカだった」ということが身にしみてわかる。話に出る金光明経の経典は、自分が座禅を修業している時に読まされ、いまだにこんなものもあるのだ、と感心した記憶がある。
 それより実際に世界が驚く日本人のすごさがある。国政選挙で、国民の半分しか投票しないというところだ。日本国民は莫迦なのか。現在の日本は、天国極楽の世界らしい。道元は言っている「生死はほとけの命なり」(人間の悩みがあるから仏がいる)。この国では神も仏も必要のないニヒリズムの国になったのか。
発行所=〒001?0911札幌市北区新琴似十一条7丁目2?8、須貝方。コブタン文学会
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年6月 5日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「再び霊鷲山に佇つ」須貝光男】
 副題「妻と二人の霊鷲山」とある。80歳にして、インドの釈尊の布教活動をたどる話。ブッダの遺跡をめぐりその現在を伝える。読み手の自分は、いわゆる唯物論系の思想の持ち主である。座禅を体験している。仏教が唯物思想と全く対立することがないのを感じている。この現地レポートでは、遺跡でサルに噛まれて治療を受けたり、異国の民衆に出会い、そのなかでブッダの思想をたどる、面白いということはないが、如是我聞ではじまる経文を読誦した経験から興味は尽きない。なかなか貴重な記録である。
【「維新前夜・江戸城」石塚邦男】
 本来ならば、明治維新は革命であり、体制側と反対体制側が戦火を交え江戸の街は炎上壊滅したいたかもしれない。なぜ、そうならなかったのか。そのような問題意識から出たものではないらしい。君主や志士の活動ぶりを良く調べ、物語にしている。資料や人物の紹介もある(勝海舟がないが)。文明開化の歴史の副読本にむいている。ただし、このようなスタイルであるなら、文体を「ですます」」調にした方が自然に文章のほうから立ち位置を決めてくれるものであろう。
【「壊す人」清水俊司】
 森の壊す人の幻想的なお話。「ですます」調の効果的雰囲気で楽しく読める。
〒001―0911札幌市北区新琴似11条7‐2?8、コブタン文学会。
紹介者「詩人回廊」北一郎

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「コブタン」№.36(札幌市)

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2013年6月 8日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【評論「近現代アイヌ文学史稿」須田茂」
 アイヌ文学史とあるが、民族としての存在にかかわる歴史の書の系統であろう。日本人のアイヌに対するイメージはエキゾチックものである。
 おもいつくままに挙げれば歌謡曲では、伊藤久雄「イヨマンテの夜」(菊田一夫作詞)、織井茂子「黒百合の歌」(同)があり、文学では「森と湖の森」武田泰淳。コミックでは「カムイ伝」などがある。「カムイ」は、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のことで、そのイメージだけで、どれもその民族の文化の実態からは大きく乖離している。
 とにかく本評論は、労作で読むのに大変だが、なかに加藤周一の「時代精神の最大の担い手が、常に詩人であり小説家とはかぎらない」という意見の引用がある。たしかにそうで、文字化されない詩情や音楽の音調のなかにも、手がかりがあることを本稿が示している。
 【「鳩摩羅什の足跡を訪ねる旅」須貝光夫】
 インド仏教典の翻訳300余巻を残したとされる鳩摩羅什の遺跡の現状が、写真入りで報告されている。そうなっているのか、と興味深く読んだ。シルクロードの住民は民度が玉そうだが、共産党政府との関係はどうなのふぁろう。作者は曹洞宗の得度をした僧侶であるという。自分は父親の代から浄土真宗の寺の檀家とされている。教えによると、自分たちは阿弥陀さまに救われて浄土にいるのに、目がくらんでそれを自覚していない存在だという。だから何もしないで、そのうちに無明から抜け出る機会がくるだろうと待っているだけである。
 アイヌの資料調査や本稿を読むと国会図書館で保存するためのナンバーをもらえそうな気がする。
 札幌の琴似といえば、若い頃に小売業者探訪記を書いていたころ訪れたことがある。その時に、九州で倒産し夜逃げして、北海道で再起した人が少なくないようだった。また、沖縄出身とされる人が、自分の祖父は沖縄からアラスカに渡り、その中途は不明で、その後カムチャッカ半島からまた沖縄にもどり、さらに神戸を経て北海道にきたという人がいた。その人の顔つきが瞳が青みがかっていて、彫りが深く色白であった。今でも、なんとなく、沖縄とアイヌとは関係があるような気がしている。
発行所=〒001―0911札幌市北区新琴似十一条7?2?8、コブタン文学会

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2012年7月30日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「東北王国を夢見た男」石塚邦夫】
 徳川幕藩体制が崩壊し、薩摩・長州藩主導の尊皇攘夷の流れの中で、会津、伊達藩のなかで、中央集権体制からの独立を志した人々の意気と挫折を描く。よく調べてあり、講釈師の話を聞くようで面白い。
 背景には、生産性のよさで封建制度のなのに、東北各藩が財力をつけていたことが各藩の石高比較に示されている。
 それが、時代の流れの中で中央集権体制への馴染み深さか、あるいは経済的な負担の多きい戦争を避けたいという心理なのか、徹底抗戦にもっていけず挫折する。徳川幕藩体制時代の方が、現在の都道府県より財政的に自由なものがあった様子がうかがえる。現在の中央集権制度での、税金を(自分の金でもあるがごとく)お上が与えるという体制が悪い。地方で生活のための働き場所、金欲しさに、命がけで原発を誘致させるという状況を作り出している。東北地方は徳川時代よりも現在のほうが悪政なのではないか、と考えるヒントであるかも。

【「インド逍遙(三)」須貝光男】
 副題に―デカン高原の諸院・緒窟・諸文化―とあるように、インドの風土と人間模様が詳しく、しかも系統的に語られて、以前も今回も興味深く読んだ。長いので、時間をかけて読んでいたら、紹介記事を書くのを忘れてしまったので、現在、新鮮な感動を受けたところで、紹介しておきたい。
 インドはとてつもなく多彩で奥深いと聞いてはいるが、偏向して物知らずのせいか旅行記で、これほど具体的に書かれたものを私は知らない。人生経験とインド文化への知見が深く、社会的な制度による人心の機微の観察力、宗教精神の深さを感じさる。隠居状況でインドを再訪したらしいが、これを読むと若い時代にインドに行っても、社会的な知恵が得られるか疑問である。それを具体的に示すような日本の若者の現地での事情などが的確に語られている。
 また、旅行記としてこのような形に纏め上げることのできる手腕に畏敬の念を抱かざるを得ない。社会人として相当の事業をしてきたと思われる人もまた、同人雑誌活動をしてきているのだな、と妙な感銘を受けた。今は亡き中村元氏の書の話がでるのも懐かしい。
発行所=〒001?0911札幌市北区新琴似十一条7?2?8、コブタン文学会
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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