ふくやま文学の最近のブログ記事

<2013年 3月17日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:和田伸一郎>

「穴を掘る」 河内きみ子
 かつては漁師だったが、製鉄所の進出で海が埋め立てられ、補償金を元手に農を営む老夫婦の回想物語である。農や漁の回想には、常に自然が挿入されている。それは景観としてではなく、身体の延長としてごく身近なものとして語られる。この作品はそうした自然を人物のように重きを置いて登場させているのが特徴だ。
 作物が失敗作でも、自然を相手に暮らす無意識の教養が老夫婦の生活処方ともなっている。書物から得られる教養にはないのびやかな視点が、忙しくあくせく暮らす現代人が忘れていたものを思い出させてくれる。
 地方語の会話とともに、過去と確実につながっている時間の流れは、遠く太古までもほうふつさせるものがある。私にとって、興味深い作品となった。

「蟻」     中山茅集子
 台所で料理を作りながら蟻をひねりつぶしたことを「ほんの少し後悔した。」ことから物語は始まる。主人公直子の自意識が、マンションの周囲の情況となじむことができない。その自意識が景観を切り取り、解釈を加えながら物語は進む。同じマンションに住む一人暮らしの男との出会いも、自意識を根底から揺るがす事態には運ばない。
 散歩の途中、バラの前でたたずんでいる男のひと言「おまえ、えばりくさっても、ハマナスの棘には勝てねえべえさ」が気になった。その男に話しかけ、男の育った北海道の荒海に思いをはせる。その荒海がはぐくんだ無意識が、直子の自意識を溶解していく。そうした過程が作品に見事に反映され、自意識をもてあましている現代人の心の隙間に分け入っていくのを感じることができる。

カテゴリー:ふくやま文学

『ふくやま文学24号』広島県

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<2012年 3月11日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:「クレーン」和田伸一郎>

【「うずみ」中山茅集子】
「うずみ」とは、備後(びんご)(広島県東部)の郷土食で、かつて領主が節約令を敷いたとき、椀の底に入れた具を上から飯をかぶせて隠すもので、「松茸、野菜、海老、豆腐が入り、薄味の汁と共に椀に入れ炊き立ての飯をかぶせてから柚子の一片をのせる」ものだそうだ。
 それがレトルトとなり、「町おこしの目玉として浮上してきた」ことを知り、「女」は敗戦直後に「うずみ」を食べた体験をよみがえらせる。
 「女」の夫はニューギニアからの帰還兵で、「あの島には大きな川があって、その川の両岸に累累と魚が打ち上げられていると見たのは餓死した兵隊たち」であり、「地獄の亡者は、生きて故国に帰った夫の背中に張り付いている」という状態だった。
 この小説を複雑にしているのは、「女」の精霊が登場してきて幻想の世界へと導くからだ。夫は飢えをしのぐため、「子を食うた!赤子も食うた!」と母親とセックスしながら告白する。それは懺悔を行うための原始宗教の儀式のように描かれている。息子の背負っているものを吐き出させ、楽にしてやるための母性愛。その母親が「女」の精霊によっていつの間にか「女」と入れ替わる。
 戦争の傷跡が人間の心の奥深く、後々まで残り続けることを現代によみがえらせた作品として読んだ。

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