小説藝術の最近のブログ記事

2012年6月15日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 55号は時代に対応したものが多く充実。東日本大震災と福島原発事故を題材にしたもので、文芸的な詠嘆精神を越えて社会性を強く反映している。
【「望郷」(二)海鳴りの春」もえぎ ゆう】
 同人誌というのは、読者が同人仲間という前提が意識にあるためか、三人称を使っていても一人称的効果のものが多い。しかし、ここでは、3・11以降の夫沢海岸の現場の状況をリアリズム手法で再現したためか、住民のそれぞれの多勢的な動向を的確に表現しており、優れたドキュメント風の表現力である。同人誌で意識的に群衆を描くことに心を配る人は少ないが、これはその少ない事例のような気がする。わたしはこういうところに、ここに文藝表現力の肝があると思うのだが、最近はこうした表現力をもたなくても、ライトノベルなどのプロ作家になれるようだ。
 そのせいか、読む面白みが薄っぺらであるため、文章芸術のファンが減るのだ。たとえば4人の若者がデズニーシーに行ったとする。その場合、その4人の性格を表現させるのに、具体的な会話をさせ、それで読者に伝えるにはどのような工夫をするかなど...。現在はA優しい、Bは気が強い、Cは人見知りとか、直接説明して話を進める。どのようにしたかを省略してしまう。ストーリーだけになる。TV番組の事件報道バラエティのほうが、内容がないのに、話のつくりが巧い。こんな話は旧い文学老人の価値観ではあるが。
それはともかく、本作品のなかに、こうある。
『東京電力を恨む気持ちではなかった。/原子力の恐ろしさを感じていても知識力がなかった悲しみ、安全だと主張し揺るがない東電の説明、政府の意向を断れなかった悲しみだった。いや、安全という観念に負けたのだ。そしてその「安全」がいかに無能な対策でしかなかったかという、「安全」という言葉だけが魂を持っていただけだったかという事実の発見だった。
 具体的な対策を確認したわけではない、共に学び検討していくという事実に向かうこともない、ただ「安全」の言霊の魔術にかかっていたのかを、今現実として剥き出しになって初めて実感させられた悲しみだった。
 それは道造にとって第二次世界大戦中「日本は神の国だから勝つ」と信じ込まされてきた苦く苦しい言霊の体験と同じだった』
 まさに実感のこもった独自の表現で、説得力がある。新聞テレビのメディアは、今もまた言霊の悪霊の役目を果たす。1度あることは、2度、3度あるというジンクス。原爆も広島の後、長崎にも落とされた。そのことをメディアは語らない。おそらくメディア当事者には、戦前と同じで、ものを考える頭がないのであろう。ほかにも原発事故の当事者の手記があるが、それは次に紹介したい。優れたドキュメンタリーになっているので...。

 発行所=〒352ー0032新座市新堀1?13?31、竹森方、小説芸術社。
 編集人の竹森仁之介氏にPRした方がいいと、一時期でも当会のサイトを利用したらと進めたが、その気はないようだ。原発事故のドキュメントは同人誌的なところを越えて、被害者の心情や現状が参考になる。興味のある方にはお勧めである。
紹介者・伊藤昭一(詩人回廊・編集人)

カテゴリー:小説藝術

「小説藝術」54号(新座市)

| コメント(0)

2011年11月13日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「三島没後四十年」羽島善行】
 1970年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺をした。作者16歳の高校生だったという。三島が太宰治に批判的なことやその言動に共感があって、三島の代表作を読破したことから、改めて評論にしたものだという。傾倒するも無批判ではなく、精読して自立した視点を会得しており、文芸評論家の講演をきいても必ずしも賛同していない。
 その知見からの三島論なので秀逸。学ぶところが多く、有意義に読めた。
 三島は昭和34年5月の「群像」に「十八歳と三十四歳の肖像画」という寄稿があり、講談社の「美の襲撃」に収められている。そこでは自作について解説している。「仮面の告白」では、自分の気質を認め、それを敵として直面。抒情の利得、うそつきの利得、小説技術上の利得だけを引き出したのに耐えられなくなって、すべてを決算し、貸借対照表を作ろうとした、と述べている。
 三島の分析的な明晰さと日本民族的傾斜は、西欧の一元論を意識したところから出ているようだ。しかし、日本人として自同律・アイディンテティの合成ぶりが作品のつながりを混沌とさせている。自分にはその根元には、太宰に対し、民族的同質性をみたがゆえに反発する感性があるように思える。

【「断絶」美倉健治】
 母親が亡くなった知らせを聞いて「ついにクタバリやがったか」と、気の晴れた思いをすると語る息子の独白体。平談俗語体というか、日常用語のみで文学的表現をしようとする意欲が感じられる。
 その他、3・11震災に関する重みのある作品がいくつか。同人誌に読む震災記というのも評論のテーマになるかも知れない。
発行所=〒352?0032新座市新堀1?13?31、ホワイトハイツ?103号、竹森方。小説藝術社。

カテゴリー:小説藝術

2013年5月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリ