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彩雲」4号(浜松市)

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2011年12月30日 (金)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

 今回紹介のものは、どれも生活日誌的なもので、普通は文芸的な要素というのは薄らぐのだが、高齢者の先行きの見えてきた人生からの視点が冴える。それがなにか普通のことを普通でない貴重な光景にまで高めて読ませる効果がある。
 大きな未来をかかえた若者には、現在を追いかけるのに忙しく、つまらないようなことでもそれが大切に思える。多くの読者を得る大衆文学の素因はここにはないが、どこかに一人の読者の心をとらえ共感者がいればよいのだな、と思わせる。
【「つづくだのぉほか」村伊作】
 70歳を過ぎて積み重ねてきた歳月を背景にエピソードをつづる。寺の檀家の総会で久しぶりに同じ時代を同じ土地で過ごしてきた者同士が、腹蔵なく語り合う。すべて語り尽くしあうには、同じ歳月がかかるであろう。「わしらの付き合いは、ずうっと、ずうっと、つづくだのぉ」という表現が過ごしてきた人生が、素晴らしい輝きで照り映えていることを知らされるのだ。
 甲斐という主人公がたどる、昔の面影の残る風景、あとかたもない風景などが妙に幻想的で、時間の演出するマジックとして、風景描写がよく活きて目に浮かぶ。土着的な言葉づかいが温かい味わいのある物語に読める。
【「こんな人生」鈴木孝之】
 文房具メーカー勤める松埜は、自分の商品企画が採用されないでいた時には、体調が悪かった。検査をしても異常はないと言われる。ところがその彼の企画が採用され大ヒットする。体調へ絶好調である。すると、そこで体内にはガンが巣食っていたことが判明する。手術し意識の快復しない彼は、子供たちに夢を与えた満足感から、微笑んでいる。人生の生きがいの教訓を物語にしているのだが、スピード感があって面白く読める。ドラマの原作にいいかも知れない。
【「道の向うへ」馬込太郎】
 自然に恵まれた農村地帯の高齢者の生活ぶりが描かれている。従兄弟が住んでいるところに自転車で行き、従兄弟の生活ぶりを老齢者の視線で眺める。体験からでたエピソードがどれも面白い。

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「彩雲」4号(浜松市)?1?

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2011年9月14日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「別乾坤」寺本親平】
 地球上の生物の多くが、海の生物から進化したものだといわれているが、この作品も人類の祖先は魚とし、腕立て伏せをする魚の話題からはじまる。そこからリュウグウノツカイを気に入った絵師の驢馬人の話に発展する。話術の巧さに気をとられ、うかうかと読んでいくと、改行なしでみっちり書き込んだ文章で、長い話がつづく。飛躍しながらイリュージョンとして面白おかしく読み終わる。すると結局、日本人は海の民族であり、原始の時代からDNAに魚の遺伝子があって、仏教的な死生観、エロスを継承しながら生き抜いてきたのだなあ、と納得させられる。古典からの唱や経文の引用が、ピリッと利いている。
 なお、作者は「彩雲」3号に「幻燈一夜」を発表している。この作品は第8回関東同人雑誌交流会で、9月18日選考される全国同人雑誌最優秀賞「まほろば賞」のノミネート7作品のひとつに選ばれている。
【「奈落」大田清美】
 まず、自死の話がまくらにあり、それから美砂は子育てを一段落させて、人生のヤマ場も超え、五十路に足を踏み入れて更年期がはじまると、妖しく優しい友の招き声を思い出す。それは死への誘いである。そしてあの世の叔母さんの招きに誘導される。しかし、死の世界への扉の前で思い直し、引き返す。白日夢の時間を描く。人間の目的意識を失った時の空虚感を軸に、死の意識を身近な主婦感覚で表現しているのが面白く、目を見張った。
 この8月で94歳になった作家・伊藤桂一氏は、死んでもいいと思うと死の世界に入ってしまうので、まだやることがあって生きるのだという気持ちでいるから生きているのだ、という話をしてくれた。うっかりしていると人は死の世界に入ってしまうのかも知れない。「奈落」は一読すると、語り口のバランスの悪いところがあるが、本来は難解な哲学的な命題を含んでおり、身近なわかりやすい物語でありながら、ただの心霊談を越えたところに意義が感じられる。

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<2011年7月31日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・「クレーン」和田伸一郎>

第5回全国同人雑誌最優秀賞候補作を読む(5)
【「幻燈一夜」寺本親平】
 これは現代のおとぎ話だ。前半は、能登や内灘などの地形の描写をおりまぜながら、民俗について語る。それは柳田國男の自然描写のように視点が自由に伸び、大陸までも視野に入れる。
 後半は現代の浦島太郎が竜宮城に行ったような奇想天外な催しに出逢う。即興劇の能や西行法師が登場し、謡や和歌の引用がはさまれているが、唐突な感じで作者の意図しているものがつかめなかった。こうした古典時代の情緒を作者は愛しくおもっているのだろう。
 本文中「震度にかんしては原子力発電所なみの強度をたもつ構造になっている」という表現を見て、奇妙な感慨を持った。震災前後、文学的な表現にも大きな差異をもたらしている。

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