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「弦」第101号(名古屋市)

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2017年5月 4日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「猫・猫・猫」市川しのぶ】
 猫ブームというより、日常生活のなかに溶け込んでいる猫。人間と猫の関係から、猫の本質的性格とキャラクター的な個性のありさまを描く。いやとにかく面白い。内容やテーマは猫の存在に結ぶ付くことで、それぞれに多彩な物語がある。文章の簡潔さと手際の良さがで読む楽しみを導き出す。読みようによっては、文芸的表現の新手法に向けて参考になる。エッセイの長いものという視点から離れて可能性を検討する意味で、最初に紹介した。小説を読んでいる気がしないで読んでしまう文学の形式にならないのかということが浮かんだ。
【「普通の人々」長沼宏之】
 両親に問題があって養護施設で生活していた由美が、ある日、里親に引き取られて思春期を迎える。そこから、里親との仲がわるくなり、施設に戻ったりする。その後、視点が変わって、里親の母親役になっていた妻ががんで亡くなる。里親になった夫婦の事情が語られる。養護施設の子供と里親の関係をかなり詳しく調査した形跡がある。
 そこに描かれた人物の人間性には、ぎこちないところもあり、人により受け止め方に違いが出るかも知れないが、テーマの啓蒙的な効果は大きく、自分も学べた。タイトルの「普通の人々」というのは、意味深長で、考えさせられる。
【「初夏の翳り」岡田雪雄】
 戦後から10年ほどした時期の大学生同士の友情関係を描く。女性にもてなそうの中山という男が恋をした。荻原は、その彼女と彼の出会いをとりもつようなことをする。荻原もじつは、その彼女に好意をもっていた。友人の男は、荻原のおかげで、彼女と接触できるが、交際を申し込んで断られてしまう。それから、しばらくして友人は突然、自殺してしまう。その原因を推理できるのは、荻原だけである。冒頭の荻原のところに遊びに来た中山が、新しい靴が玄関でなくなったという。誰かに盗まれたのだろうとなったが、死後その靴が中山のとことにあった、というところが、非常に印象的で、荻原を責めたい鬱屈した中山の心理を表しているようだ。
【「ミンシングレーイン1?16番地」合田盛文】
 1967年から英国で仕事をした銀行員の記録。T銀行とは財閥系と合併する前の外貨銀行であったのか。海外生活の記録。たまたま自分は経済法則に関心があるので、興味深く読んだ。欧州人にしてみると、敗戦で廃墟の国なったはずの日本人が高度経済成長をしていることに、不快と不思議さを感じていた時期であろう。
  太平洋戦争中にフィリピンで負傷し、傷も癒えない元兵士に、恨みのビールを掛けられた話がある。英国人にとって日本人は不愉快な存在であるという空気は、いまもどこかに残っているはずである。また、杉原千畝とユダヤ人出国のパスポートの美談を通説に沿った説を記しているが、美談には違いないが、同じことをしても名を出さない人もいるし、このことを安易に受け取るのは、単純すぎる。とはいうものの、当時の日本人の高揚した精神が反映されている。ヨーロッパの翻訳ミステリーなどを読めば、その複雑な背景を滲ませた作品も少なくない。この問題の根源がどこにあるかなどは映画「アラビアのロレンス」などでも感じることが出来る。英国の帝国主義の負の遺産であろう。
【「絶滅危惧種」空田宏志】
 ここでは、下部構造にうごめく労働者像を象徴的に描いたものと読める。インコを飼って幻想を見たりするのも、閉塞感からの産物と見える。小説的な面白さと書き方の個性を感じた。
【「ある日の自画像」木戸順子】
 胃がんを宣告された男が自らのお墓を探しに行く。友人や見知らぬ少女との出会いを軸に、壊れた妻子との関係を浮き彫りにする。文章と話の運びが巧みで、味わいのある作品になっている。
 【「同人誌の周辺」中村賢三】
 交流によるものか、送られてくる同人誌の作品評を毎号掲載している。費用もかかるであろうが、本来はこのように活字にして残すのが正当であろう。同人誌の多様性がわかって貴重な存在である。雑誌全体で、文章力抜群で、みな巧いのは日本人だからなのか?と思う。
発行所=〒463?0013名古屋市守山区小幡中3?4?27、中村方。「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

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「弦」100号(名古屋市)

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2016年11月17日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌掲載の合田聖文「ビームを浴びて」は、がん治療体験記として、有意義なことから、概略を「暮らしのノートITOhttp://blog.livedoor.jp/hbk3253/archives/51489486.html」に紹介記事にした。
【「チマチョゴリの時」木戸順子】
 容子は65歳になって、NPOの国際交流活動に参加し、世界各国からの人々に日本語になれる交流会に参加している。そのなかで、韓国籍だが、日本人名をもつ金井君のことを思い起こす。少年時代はよく遊んだが、彼の一家は廃品回収業をしていて、周囲から差別を受けていた。そうした間にチマチョゴリをみる機会があって、それがとてもきれいで、着てみたいと言ったことがあった。金井君は後に母国に帰ってしまう。その後、彼がチマチョゴリを送ってくるが、父親はそれを怒る。
 そのほか、現在起きているヘイトスピーチの波紋についてなどが違和感をもって話題にされる。容子は思春期の金子君とのほのかな想いを胸にしまって、国際交流のイベントにチマチョゴリを着ていこうと思う。
 意図が先行して、話の展開にぎこちなさがあるとは思うが、民衆における国家と国民の関係の硬直したなかでのひとつの心情の表現にはなっていると思う。
発行所=〒463?0013名古屋市守山区小幡中3?4?27、中村方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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「弦」第99号(名古屋市)

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2016年5月23日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【空田広志「チャンプルー苑」】
 四十歳を過ぎても独身の新という男が、都会生活の疲れを癒そうと沖縄に出かける。そこで、ミレという沖縄の基地への抵抗運動をしてきた女性の過去と現在が語れる。新は、不遇な生活環境のなかで、現実の厳しさに立ち向かう姿に勇気をもらうという話。
 視点が3人称であるが、語りの手法は一人称という、文章にアンバランスがあるが、物語のなかに、沖縄問題の現実を組み込んだところが、光っている。その事態の把握や思想がごく一般的であるのも、大衆の通俗的なヒューマニズム精神の観察の実態を反映。世間の多くはこのようなものであろうか、と思わせる。新という人物の子どもっぽさを指摘するような視点を明確にしないと、作者の眼力に疑問が生じるとも思わせる。
【長沼宏之「秋の間奏曲」】
 英二は五十九歳になった。近頃は妻から夜の営みを「もう終わりにしない」と拒否されるようになった。「英二にとって妻との営みは欲望のはけ口とうよりは、壮年の精気を証明する精神的なつっかい棒だった。突然そのつっかい棒をはずされて途方に暮れた。いよいそういう年齢に達したことを認めるように迫られ、一方で強く反発した。いまだに心の整理がついていない」という話をはさむ。その気持ちを埋め合わせになるような女性との出会いもあったが、彼女に別に愛する人がいた。全体に人生の秋の間奏曲として、テーマに触っている。折角テーマの泉に味をつけないのはもったいない。その水の味を深めるもうひと押しが欲しい。小説を作る発想を強めて、もっと粘っていい題材であろう。
【市川しのぶ「海なりの町」】
 人口減のさびれた漁師町の様子がよく描かれている。柔らかい筆使いで、じっくり読むとたしかに海鳴りの音が聞こえる。散文詩的な要素が光る。
【山田實「去りゆくもの」】
 ここには日本人の伝統的な血縁社会である家族の形態がみっちりと描かれている。創作としての作品制作努力に感心もするが、自分が興味深く思ったのは、密度の濃い家族関係社会のサンプルのように読めたからである。従来は、経済的な利害関係で人間の社会の形をマルクス主義思想で読み取られてきた。ところがポストモダン思想では、経済関係でのつながりより、無意識に存在している親族関係や風習に人間の社会形成に意味があるのではないか、という思想が生まれてきた。それをさらに進展させたポスト構造主義が生まれて来た。
 この小説には、そうしたその無意識の作用に埋没し、それに従う伝統的な気配をよく表現している。創作意識のなかに、外部社会の流れと衝突するか、流れに同化するかの問題意識をもって、その素材を活用したらどうであろうか、と思った。
【木戸順子「ディスタンス」】
 まるで職業作家のように安定した筆力で、次々と作品を生んでいる作者なので、純文学作品として、ほかの同人誌評で解説されるであろうと、しばしば紹介対象から外してきた作家である。今回の作品も、人間の関係性への漠然とした、しかし根強い欲求を満たそうとする独自の情念を描いて個性的である。理解者の納得を得られるかどうかが気になる。
【中村賢三「同人誌の周辺」】
 寄贈誌が多い同人誌で130冊を超える寄贈が記録されている。そのいくつかの感想評が集められている。現在、同人誌というと、コミケや文学フリマで売られているというイメージが浸透し、大衆サブカルチャー時代から小衆文化のひとつとなった環境の中で、意義のあるものに感じられる。
発行所=〒463?00137名古屋市守山区木幡中3?4?27、中村方。「弦」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「弦」第98号(名古屋市)

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2015年12月26日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「ゆくえ」野々山美香】
 これは、結婚して新しい生活に入った娘の境遇が、あまりにも不幸に感じて心を痛める両親の姿を描いたものである。人間の肉親関係を端的に表現している。嫁にやった娘の亭主は、浪費家で、自分で家賃を払えなくなると、妻の実家に住んで、家賃の節約ができると、同居を求める。娘は妊娠している。娘可愛さで、それを親が受け入れると、娘の亭主は、会社の同僚を読んで麻雀三昧。とにかく社会人としての、矜持がないクズ男だが、娘は夫を愛しているという。
 かつての「みのもんた」のテレビバラエティの人生相談にありそうな話である。しかも、人間の家族構造の原理からしても普遍性がある。作品では、父親が娘の亭主を殺してやろうと、刃物とロープを用意する。そして、娘の亭主を殺す夢を見るが、目が覚めて、その凶器を探すが見つからない。そのまま時が経つところで話を終わらせる。いかにも同人雑誌でなければ読めない素朴な味わいがある。現代は、子どもが成人したら親は親、子どもは子供と、別人格がはっきりしているものだが、日本人の家族意識の伝統がまだ健在な世代もあるということを示している。
【「沙也可」白井康】
 韓国人名の家族の祖先が日本人だというので、そのルーツを秀吉の挑戦征伐の時代からたどる話と、若者の恋愛交際の進みぶりを描く。半分ずつ成功している感じ。
【「カイロプラクティック」長沼宏之】
 日本人のサラリーマン生活のいじましさと鬱屈した側面を、丁寧に描く。読むのに長いの気になるが、好きに書けるのが同人誌だから、それもいいのでは。
【「加齢臭」空田広志】
 男の高齢者の性的な欲望について書いたもの。それを加齢臭と同じ嫌悪すべきものと描く。いまはやりの消臭剤の宣伝になるような、普通感覚で、そうですか、というしかない。リアルさを超えた真実味を発見する努力をみせれば文学になるが、これは書きかけで終わってそれがない。
発行所=〒名古屋市守山区小幡中三丁目4?27、中村方「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

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「弦」第97号(名古屋)

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2015年7月11日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「竜の舟」小森由美】
 ノゾミという少女が出てくる。河原で小さな箱庭風にミニチュアの街をつくっている。童話風の出だし。そのうち川の魚が居なくなったことから放射能汚染の話題が出てくる。
「橋向こう住宅は五年ほど前に、西日本を襲った地震と津波による原子力発電所の事故で、風下となった首都の西側の地域から放射能を避けるために、避難してきた人たちのものだ」という説明があって、近未来小説だとわかる。声高に語るのでなく、童話風にしたのが、この作品の肝か。原発の放射能汚染と被曝の問題が、福島に限らず、社会的な広がりをもってきたことがわかる。
 ノゾミという名前も、人がどんな状況でも、それなりに希望をもって生きることの暗喩としてきいている。ちなみに、J・Kローリングのファンタジー小説「ハリー・ポッター」の第1巻「賢者の石」編には、「みぞの鏡」という存在があって、それは自己の望み通りの姿が自分として映る鏡。原作では、人間の自己陶酔欲を象徴したアナグラムだそうだ。評論家の浜矩子は、その希みを日本語アナグラム化して、「みぞの鏡」としたことを名訳だと称賛している。
【「建前は、どちらなのか」小森由美】
 これを読むと、小森由美氏が、気まぐれで上記の作品を書いているわけでないことがわかる。イスラム過激派組織「イスラム国」(当時)が湯川榛氏、後藤健二氏殺害した。その事前の日本政府の人命第一という建前と、人質救出交渉の事情の現実のずれを指摘し、安倍内閣の米国追従「安保法制」に疑問を呈する。
 これらの情報はメディアで知るのだが、ジャーナリストの林克明氏は、その交渉過程の記録文書を見せて欲しいと、公開請求したところ、「内閣府」では、そのような文書は存在しないと回答。外務省では、あったとしても見せられないという主旨の回答だった、と話していた。外務大臣や安倍首相なども、これらの交渉や、安保法制の実行事態には「特定秘密保護法」の適用があることを認めている。もともと、特定秘密法には「何が秘密かは、秘密」にするという項目あるのだが、情報漏えいの防げない時代への錯誤がある。
 いずれにしても、文芸同人誌が意見表明の媒体として、作用し始めたことを指摘したい。優れた社会評論で一般人の読者を得れば、それはそこに掲載された文芸作品の読者層を広げることになるのではないか。
発行事務局=〒463?0013名古屋市守山区木幡中3丁目4?27、中村方、「弦」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「弦」第96号(名古屋市)

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2015年1月 7日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「大学にて(5)翠雨」喜村淑彦】
 毎回、大学内の運営や教授世界の動向を連載している。自分は経済分野出の文学趣味なので、社会構造に関するものに興味をそそられる。今回は文学的に独立した短編小説になっている。実父と養父のいる複雑な家庭背景と、その時代その時代の文化的雰囲気を手順良く描き、亡き実父に愛人がいたことを後で知るまで、意識を逸らすことなく、読み進む。作者はその愛人が存命であることを妹から知らされて、面会の手引きを依頼し、実現する。血族関係者の描き方を含めて、整然としたなかに、内に込めた情念を冷静に淡々と表現する文章は、幾何的な美と表現力を発揮。原稿30枚とは思えぬ重厚さで、ひとつの文学的成果を感じさせる。
【「たそがれ団地」長沼宏之】
 かつては若い家族が多く住んだ団地も、高齢化とともに空室が増える。そこで引きこもりをしていた23歳のおれも夜は団地を歩いて見廻りのようなことを自然にはじめる。そこで出会う住民の交流や、母親の死、団地自治への参加など人間模様が描かれる。注目点は「おれ」の一人称語りのなかに、他者からの聞き取り話を、第三人称的にとりまとめる文章表現で、この手法をさらに延長すれば、密度を高く幅がでる可能性をもつように思う。全体に癒しの要素を含んで、わかりやすく、読みやすい。その分、冗長だが、面白くよめる。
【「インナーマザー」木戸順子】
 認知症の母と世話をする立場から娘の視点で描かれた介護生活が素材。いままで、同様の素材の小説を同人誌でいくつ読んできたのか、数えられない。本作は細やかで、良く書けているが、それらに作品のなかでは、普通の印象。ちょっとひねったところが、母親が死んで、異臭を放つ夢を見るエピソード。不思議なことに、親の介護の生活日誌的な作品で、認知症に悩まされながらも、その死をイメージする話はほとんどない。死なないから、終わりが見えず、現在が見えずにただひたすら介護に没頭するのがほとんどである。いずれにしても、どれも人の生きる意味を、問いかけてくる。
発行所=463?0013名古屋市守山区小幡中3?4?27。中村方「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「弦」第93号(名古屋市)

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2013年7月26日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「来たり人」木戸順子】
 主人公の女性は56歳、都会暮らしから鹿森村に草木染めをしたくて転居してくる。旦那の退職金で購入した住まいだが、夫はすでに他界し、一人暮らしである。村では、他所者扱いだが、それなりに近所の趣味の合う住民と交流をする。ちょっとしたことが、気になり、場合によれば何事が起きるかも知れないという緊張感と村暮らしの日々が、静かな文章運びで綴られていく。別の作品では「文学街」の読者賞というものを受賞している。
 ここでは、小説として自分のスタイルを構築しつつあるという印象の書き方で、安定した筆運びである。ただ、主人公と交際する男性や、女性友達のそれぞれのキャラクターの線が薄い。それが意図的なのか、作品全体のトーンを統一させるためのものか、曖昧な段階のように思える。雰囲気小説としては、面白い物語性を排除して成功している。ベダンチックな芸術性へ向かう一里塚か。
(なお、根保さんのコメントいただき、ありがとうございます。修正しました。どうもご指摘のとおり、「石榴」の木戸順子さんと同姓異名でした。別人ですね。私は勘違いし、てっきり作風を変えたものだと思い、器用な方だと思っていました。木戸博子さんの「石榴」第14号は、別途紹介します。)
【エッセイ「大学にて(2)セクハラ」喜村俶彦】
 各地から同人誌の贈呈を受けるが、最近一番印象に残ったのがこのエッセイである。エッセイではあるが、末尾に(本稿は、いずれも事実を大胆にカムフラージュしてあり、限りなくフィクションに近いものであることをお断りしておきます)とある。つまり、エッセイ風フィクションだということだ。大学の学部長をしている筆者が、セクハラ行為をした講師がいるという噂のあることを知る。そのうちに、地元新聞が大きくそれを取り上げ、全国紙の地方版にも取り上げられて、取材攻勢を受けることになる。結局、筆者は学部長を退任したあとに形式的な懲戒をうける。
 象牙の塔のパワハラ、セクハラ問題は珍しいことではない。このエッセイが、文芸作品としての品質を問題にするなら、書き方が具体的なようで曖昧模糊としているので、取り上げられることはないであろう。ところが、ここは作品を紹介するところである。品質の問題はそれほど大きな比重を持たない。それにしても、おそらく書いた人は、紹介されることをそれほど望まないであろうな、と私は考えた。それではなぜ書くのか、というところに同人誌サークル活動特有の特質があるように思う。ひとつは少人数の仲間にだけ、という気持ち。さらに自からが書くことで、この問題への気持ち整理してみたくなったのかも知れない。皮肉なことに、この文章には職場環境に対する自意識の緊張感が強くにじみ出ている。この作者の自意識緊張感こそ文芸の品質向上の素因があるように思うのだが......。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3?4?27、中村方。「弦の会」
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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「弦」89号(名古屋市)

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2011年7月 3日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 最近、同人誌に作品を書こうと思っているが、送られてくる雑誌の作品が皆さん巧いので、なにもわざわざ自分が書かなくてもいいじゃない、と思ってしまう。うまいうまいと感心しながら作品の紹介文でも書くのが性に合っているのか。
 本誌では巻末に受贈誌、受贈本のリストがある。雑誌約70誌、本10冊になる。長い活動を思わせる。
【「長い終楽章」長沼宏之】
 主人公は、40年勤めた会社から傍系会社の役員を2期勤めた。半年後に定年退職を控えて、妻が突然「家事をやめます」と宣言し、何もしなくなってしまう。
 妻の外での社交活動は変わらない。習い事や文化活動は相変わらず盛んで、家事だけ夫にさせる。ただ、社交の友人知らせで、人柄的に感情の変化激しくなったとあり、昔の同窓生の医師に相談すると、躁鬱病か何かの病気との境界線で、ストレスを与えないようにしたら、とアドバイス。
 こう、粗筋を書いていると、身にしみて頭が痛くなる。長い間に生まれた夫婦の溝がうまく表現されている。
 妻や子供に対しての無理解だった過去の主人公の行動を、妻がちくちくと刺す。主人公は感慨する。「夫婦であっても、もとをただせば他人同士だ」「なぜこの人を人生のパートナーに選んだのか。自由意志の選択と見えて、実際にはすべて外界からの照り返しに過ぎない幻想の自己を受入れ、与えられた価値感の枠の中で行動した結果に過ぎない。それがリスクの少ない道だと本能的に知っていたからだ」とある。こんなところで、なるほどそうだなあ、と頷いてしまう。
 主人公は「人の気持ちがわからない」「冷たい人」と過去の罪状を裁かれながら、妻との心の接点を探して努力する。感動的なところで終わる。まだ、子供たちから弾劾されていないのも、救いなのか。フィクションに体験を盛り込んだような、具体的なエピソードが生きている。妻の家事に感謝もせずに、同人誌活動に力を注ぐ亭主族に推奨する一編である。
発行所=〒463?0013名古屋市守山区小幡中3丁目4?27、中村方、「弦の会」。

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