カプリチオの最近のブログ記事

「カプリチオ」(東京)

| コメント(0)

2015年1月18日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本号は、「はたして『檸檬』は――爆発したか? それぞれの梶井基次郎」という特集があって、同人がその評論を発表している。現代人に梶井作品がどう読まれているかがわかって面白い。
【「葛につかまって」荻 悦子】
 詩人として「るなありあ」誌を発行して、詩はわかったり、わからなかったりするが、小説を読むのは初めて。奈緒という家庭の主婦は、年頃の娘がいて、夫は出版社の役員で忙しそう。奈緒が文章投稿の採用が縁で、乃木坂に行き占い師に合うところから話がはじまる。
 奈緒の趣味や好みの話が出て、それが「問題なのか」と思うと、そのことに気持ちが動いたということらしく、問題の所在は横滑りをしていく。娘が海外留学を希望している話がでる。夫は賛成のようだが、夫の仕事でしばらく米国滞在の経験がある奈緒には、積極的に賛成する気分でない。それらの成り行きが、心を揺らす要因のひとつで――感じることを中心に奈緒の感覚の好みの横風に流して語られる。そのように意識の流れることが、主婦の存在感となって示される。夢見る女性の微妙な心理が伝わってくる。この風変りで独特の表現法でないと語れない気分と主張があることを納得させられる。
 あっと驚くような新しいものに出会いたい、としながら「それから、どこへ向かおうか。辿り着けない峰を仰ぐのに似ている。心の中に葛を生やして、しかとは見えない想像の木の枝に絡め、それにつかまって、頼りなく揺れているようだ。」とあるが、こういう精神は、奈緒だけのものでないことが、たしかに見えてくる。
【「星のふもと」夏 余次郎】
 妻を交通事故で失った男が、喪失感と憂愁の思いに心をふさがれ、バーやクラブなど街角をさまよう様子が描かれる。落ち着きのある文体に魅かれて読みすすむと、クラブのホステスらしき女性、バーの老人など、みな愛する人を失った悲しみをもっていることがわかる。優雅で重くならない表現力で、しだいに愛するひとを失った喪失感というものをあらためて身にしみるような気がして、余韻に満ちた読後感がある。
【「漆黒のホールの奥にあるもの」門倉 実】
 抽象的に見えながら、比喩のどれもが地に足のついた独特の感覚で、現代という時代をリアル感覚に転換いるようで、なるほどと共感し感銘を受けた。
【「秋」斎藤勲】
 これは、何月何日に何があって何をしたという生活日誌だが、どういうわけか、じつに面白い。出来ごとの選択の仕方が品性を感じさせる。
発行所=〒156?0044世田谷区赤堤1‐17‐15、「二都文学の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:カプリチオ

【「花鳥」荻悦子】
 作品は「訪れ」と「赤い嘴」の2編で、ほとんど散文詩である。「訪れ」はこの世では光が落ちる場所があるという。それで言葉は完成しているのだが、それでは世界が構成されない。そこで私の世界を展開する。永井隆夫という画家に教えを受けた彼と私の空間。ここにある私は、鏡の中の私であって、しかもその裏側に存在する。鏡のなかからは花を差し出すが、それを受け取るには鏡の世界に入らねばならない。光と花が映って反射している。「赤い嘴」では、私は鏡の反射投影の作りだした世界に入ってしまう。私はベルギー人となって、白鳥の「赤い嘴」に犯されることを夢見る。詩人の心は時空を飛ぶ。
【特集「NINJA『忍者』という生き方】
 百地三太夫の話が面白い。私自身、信州戸隠山の百地の伝説があると聞いて、取材に出向いた経験があり、そこから上杉と武田の対決に興味をもった。文芸味としては万リー「半分現地、半分自宅の小さな旅」が、うまい。
【「サハリン 埋もれ行く風景」谷口葉子】
 丁寧に書かれているので、読ませられる。叙情のスケールが大きいのが良い。
その他の創作もそれぞれ味わいがある。
発行所=〒156?0044世田谷区赤堤1?17?15、二都文学の会。
紹介者「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:カプリチオ

2012年1月 2日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【特集「いまだからこそ再会したい夏目漱石」】
 夏目漱石の課題にした人間性へのテーマは、いまだに解決の糸口が見えないと思っている自分には実にタイムリーな特集に思える。深く読み解く力不足の自分の知らないことが沢山盛りこまれている。
 7人の筆者がそれぞれの視点から論じているので、多彩な解釈が集まった。
「漱石の不愉快」(鈴木重生)は、漱石の書き物もの中から不愉快という語をチョイスし、その元が英国留学での西欧と日本の精神的な構造の違い、孤立した精神環境、日本の文学的な環境、国家主義への不快であること示す。
「オフェリアの気韻」(荻悦子)は、草枕に見る漱石で、文章藝術的な志向による実験的なものと指摘する。文学者なら一度は試みることかも知れない。わたしは中学生時代に先生によむことを宿題にされたのが「草枕」である。当時、ホームズ、ルパン、明智小五郎の探偵小説を読み漁っていたので、その内容に面食らった記憶を残す。
「『草枕』―俳句と小説の間―」(芦野信二)、「輪廻のど真ん中で直立する漱石」(塚田吉昭)など、それぞれ読み応えがある。特に「地下生活者としての夏目漱石」(草原克芳)は、漱石の人間完成への希求精神が、現代のニヒリズムの横行によってすでに過去のものとされているのか、という問題意識を呼び起こすものがある。

カテゴリー:カプリチオ

<2011年2月11日(金)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:「クレーン」和田伸一郎>

【「三月のメリーゴーランド」玉置伸在】
勤めていた会社に辞表を出し、のんびり過ごすはずだった「三十二歳の誕生日を迎える私」が、「自分でも驚くほどの不調に嵌り込んだ」。「本当に怖いのは、空白だ」という言葉が象徴になって物語は進んでいく。人物の存在感は希薄で、「オシラサマ」というイメージだけが先行する。
かつて文芸評論家の磯田光一が論じたように「イメージが現実を代行するような神話のシステムが、いまやいどむべき現実としてあらわれる。」(『左翼がサヨクになるとき』)ということなのだろうか。そしてこれらの作品は「実在よりも象徴によって人が動かされる」時代の反映ということなのだろう。

カテゴリー:カプリチオ

2015年1月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリ

最近のコメント

アイテム

  • crane34.jpg
  • syutsugen5hyoushi.jpg