相模文芸の最近のブログ記事

2016年12月31日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「新時代を迎えた文芸同人誌」木内是壽】
 文芸評論として、明治期にはじまった文芸同人誌と商業文芸誌との関係、近年の国文学系の学術誌などの廃刊、休刊の時流に触れる。そのうえで文芸同人誌の全国組織として、森啓夫氏の「文学街」、五十嵐勉氏の雑誌「文芸思潮」などの活動を記す。
 さらに現状としての文学フリーマケット「文学フリマ」が東京において、600グループ、大阪で300グループの市場が生まれたことが記してある。じつは、ここでの「文学フリマ」というのは、過去の話。すでに同人誌だけの市場ではなくなり、現在は文学作品のフリーマケットとなっている。市場としての機能も、12017年早々の1月22日に京都、3月には前橋、4月には金沢、5月には東京と、ほぼ毎月のように全国の各地でフリーマーケットが開かれ、合計で3000を超える文学グループが作品を即売するようになった。
 これは「作家は個人という存在」意識の高まりから、単行本が多くなり、1日で100冊以上即売するという一般書店顔負けの強い市場力をもつようになったことによる。いまや「文学フリマ」は同人誌もある文学市場になっているのである。また、ここでの同人誌は合評会というのをしない傾向にある。価値は見知らぬ読者が買うことで決まるからである。
【「工場と時計と細胞」外狩雅巳】
 この作品は「詩人回廊」サイト(外狩雅巳の庭)にシナリオ風に断片的に執筆したものを、作品としてまとめたものである。
 形式としては、プロレタリア文学的手法で、工場労働者の労働実態が活写されている。舞台は大田区の外資系ゲーム機製造工場の労使対決の一場面である。
 話は小さな町工場を転々としてきた労働者が、日本の高度経済成長の途上で、ある程度経営基盤のしっかりした中堅企業に入社し、時代の波に乗って大企業になろうとするなかで、働く機械として非人間的な状況に置かれてゆく労働者の権利を確保する組合づくりの過程が描かれている。特に大田区は、共産党の活動拠点として、労働運動が盛んな時代が長く続いた。
 その時代の状況を多摩川に沿った大田区という工場地帯の雰囲気を烏の眼として俯瞰的にとらえている。さらに企業内でのベルトコンベアの流れに組込まれた工員たち、会社からの指令を実現する管理職という、それぞれの視点から描き、組合結成を阻止しようとする側。組合結成によってストライキ権を確保する労働者の立場を描いている。日本の資本主義社会の製造現場が歴史的な一場面として、ドラマ性をもって描かれているのは、興味深い。本作品は、自分の表現しようとしているものの形がつかめない段階で、まず「詩人回廊」に書き起こした。そして、その自分の表現したいものはこうではないかと、まとめたということになる。その意味と表現法の追求行為がともなうゆえに文学作品たりえるのである。すでにわかっていることを、その通り書いても、それは線を引いてあるものに色を塗るだけの「ぬり絵」に過ぎない。ぬり絵を美術だという人は変人である。
 プロレタリア文学には、芸術的価値と社会的価値の双方が要求されることから、その姿も変化してきている。
 偶然かどうか、作者が「詩人回廊」にメモ風に書きとめ、構成などを推敲している間に、雑誌「民主文学」の17年1月号に、仙洞田一彦「忘れ火(連載第1回)が掲載されはじめた。この作品を読むと、地域性や企業の製品などからして、同じの企業でしかも、この企業が大企業に成長したのちの舞台設定である。ここでは、主人公がリストラとしてクビにされないが、窓際族として処遇されるような予感をさせるもの。おそらく、企業内組合活動で標的にされた男の戦いが描かれるのではないか。合わせて読むのもひとつの趣向であろう。
発行所=相模原市中央区富士見町3?13?3、「相模文芸クラブ事務局」担当・竹内健。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:相模文芸

2016年7月 8日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「姫、峠越え」宴堂沙也】
 地元の神奈川県とその周辺は、武蔵国といわれていた。武田信玄の娘を峠越えさせる話を中心にし、郷土史から題材をとっている。なかなか面白い読み物である。とくに、文体が、庶民に身近であった講談調を取り入れて、語りに安定感がある。このところ、職業作家も語りは現代調になっているなかで、双方の良さを取り入れたリズムと味わいがある。懐かしさを感じさせて、なかなかの文才を思わせる。
【「砂時計」五十嵐ユキ子】
 中年過ぎての夫婦関係の心理を描いて、文芸的な意味で、よくまとまっている。夫婦で映画館に行ったが、映画が終わって、妻の私がお手洗いにいく。当然、夫が待っていると思っていたら、先に帰っていて良いと勘違いした夫が、そこに居なかった時の記憶。その気分が簡潔な表現で、心を打つ。
 それと息子を交通事故で亡くしたこと。その後の夫の行動など、断片をつないだものだが、その行間に読者の想像力を喚起する仕組みが活きている。短い作品だが、長い物語の時間を内包しているのが、効果的である。
【「やるまいぞ  須田貞明から黒澤明」登芳久】
 無声映画時代に活弁士であった須田貞明という人物と、交際のあった黒澤明の家庭環境から話を進める。また、三船敏郎との関係の一面を紹介している。監督論やシナリオ論では知ることのない事情がわかり、興味深く読める。
【「夢のある日々」外狩雅巳】
 どういう訳か、インターネットの詐欺メールとの交流をはじめた年金生活者の対応ぶりを描く。何億円かを処分したいので、千円を振り込んで、銀行口座を通知すれば億単位の金をおくるというのだが、そのような金がありすぎて困る状況がどうして生まれたかを説明する話が面白い。背後に、現代的な孤立した年寄りの多さや、わびしさを感じさせる。
発行所=相模原市中央区富士見3?13?3、竹内方。「相模文芸クラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:相模文芸

2016年2月 2日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「大泉黒石著『おらんださん』の中の『ジャン・セニウス派の僧をめぐって』」中村浩巳】
 原稿用紙440枚を六回に渡って連載した最終回です。彼の渾身の力作が終了しました。
 太平洋戦争直前に出版された大泉作品は反戦小説かと問いながら進める中村史観論でしょう。
 初回冒頭に、聖書のイザヤ書引用を置きその設問を最後で解き明かす周到な構成です。
 大泉の小説作品中の18世紀日本の海防論を軸に、オランダ近代史に入り込み縦横に論を展開します。
 感化された石原莞爾の満州論や、儒教の人間観を駆使し、禅問答的な持論開陳が面白く読めました。
 中村氏は法政大学出版局より「ファランの痙攣派」という18世紀フランス宗教紹介書を出しています。
 大学での教鞭と研究の成果を存分に書ききった会心の作品だと思います。
 大泉の小説「おらんださん」を非戦作品と読み込んで、結論に持ち込む論法は寄り道が多く、彼の講義態度を想像しました。
【「日本海海戦観戦記」木内是壽】
 木内氏は数年間に渡り「文豪の遺言」や「梅谷庄吉の辛亥革命」などの長編連載を行って来ました。
 今回は短い作品ですがアルゼンチンとの関係を持ち出した着眼が良いと思いました。
 親日国としての歴史を紹介しています。軍艦を譲渡する仲です。その軍艦が日本海海戦を戦います。
 海戦の記述は多くの歴史書等と同じで無難に筆を進めています。前後にアルゼンチンの事を書いて締めています。
 「日進」「春日」と名付けられた譲渡軍艦は装甲巡洋艦という種類です。その活躍は書かれてはいません。
 簡単な戦闘推移と戦後処理等が短く紹介されています。明治大日本帝国が世界列強になる契機の戦いです。
 歴史や戦史よりも二つの国の友好関係を主題にしています。これがこの作品の特徴でしょう。
 両軍の主力である多数の戦艦に比して、装甲巡洋艦の特性を少し紹介して欲しかったとおもいます。
 そのことで二隻の軍艦の重要性とアルゼンチンの好意が見えてくる書き方もあると思います。
  「相模文芸」は、 30号の節目を超え40号二十周年へ向けて順調に進行しています。近年は連続して大作を掲載する事で会を支える中興の中心者の二人がいます。
 中村浩巳氏と木内是壽氏です。今回も健筆を振るって存在感を示しています。
紹介者・町田文芸交流会事務局長《外狩雅巳のひろば》

カテゴリー:相模文芸

2014年3月13日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「アクシデント(墜落)」宮本肇】
 これはC―46という米軍から自衛隊に譲られた軍用輸送機が故障で墜落する。乗員のただ一人だけが助かったという。そこで、なぜ助かったのかというところに話の重点を置いている。まず読者を面白がらせようとした創作意欲に満ちたものである。しかし、作者の追求する面白さと別のところに面白さをがある。まず、民間人軍人を問わず乗ることが許可されたら、事故などアクシデントが起きたら、自己責任とするという誓約書を書く。ここで米兵、自衛隊員、民間人が計13人が乗り込む。それから離陸して飛行するまでが、詳しくリアルに描かれている。面白いのは、このようなことが、行われているとすれば、軍用機であれば必要に応じて、米国の軍用飛行場まで行き来することが可能であるという推測ができることである。
 話では軍用機は洋上で墜落し、主人公のみが助かる。主人公は、事前に墜落しても死なないコツ知っていたから、というSF的な小説になっている。奇談である。問題点といえば、墜落して絶体絶命のところをどのようにして、脱出したかの過程がない。読者が一番読みたいのはどのようにして、そうなったかである。映画「ダイハード」なども、実際にあり得ないことで、危機を脱する。人々はその嘘を楽しみたいのである。そこがずれているところが面白い。
【「あの日あの時」吉野さくら】
 このエッセイの優れているところは、まず初めに自分がこれから何を書こうとしているかが記されていることである。そのため、そのことかと思いながら、先に進める。これから何が出てくるか解らない書き方をされると、(予感さえない)まず何か読む義理でもない限り読まないものである。
  ここでは、記憶にあるものを書きとめて「生きてきた」という感慨を深くしようとするのだとある。まさにエッセイの本質をとらえている。
 その書いておきたいことというのは桜の季節の「茶室披き」である。庭の様子などが描かれている。蹲(つくばい)のある日本庭園のお茶会の典雅なひとときを思い起こす。そして、今はマンションの一角に暮らしてそれを思い起こすという、大きな落差を設定している。なかなかの抒情派である。短く軽く書いているが、当時の記憶と時間の経過をたどっていけば、長い文学作品できる姿勢が感じられる書き方と素材である。
【「万朶の桜」外狩雅巳】
 本作はネット「作家・外狩雅巳のひろば」に掲載したものを推敲したもの。最初の章で、中国大陸で戦闘する部隊の話がある。次章で、東日本大震災をきっかけに、母が亡くなりその一周忌に子供たちが集まる。そこから、軍曹であった父親から教えらえた「万朶の桜」 の歌を思い起こす。
 これで、前段の戦闘場面は父親の体験を想像したか、聞かされたものだとわかる。繋がりのない話を並べるという手法は詩の形式であり、散文詩である。その効果はよく出ている。
 ちなみに岩成達也「詩の方へ」(思潮社)によると、詩の特徴は、言葉、抒情、行分けによって、「異なる意味を創り出す」「概念の束をつくることで散文になる」「抒情は感受性に訴える」「行分けは散文でないという記号」「連続しているとは限らない」「読み手の洞察力を期待する」「第2の意味の概念をつくる」--
という要素があるとしている。小説のように読めて、じつは散文詩であったーーという作品への挑戦と読める。
紹介者「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:相模文芸

2013年7月15日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は相模原市を拠点とする地域の文芸愛好家による同人誌である。これこそ「民芸文学」であろう。地域の文化的な施設やショップに置いてあるようだ。たしかに、相模湖の行楽スポットの土産物店に、この雑誌が置いてあっても、ごく自然に感じるであろう体裁である。おそらく、合評会を行っても、作品の芸術性よりもサークル活動の充実性を重んじるはずである。風土にあった民芸作品が多く掲載されている雑誌に思える。
 ところが実際は、あまりそういう地域性こだわった作品はほとんどない。自由に純粋な文芸活動の成果が盛り込まれている。全体的には、相模の文人たちという感じである。
【「原稿用紙にかけた夢」登芳久】
 作家の原稿用紙にまつわる話を、豊臣秀吉の時代から現代までを股にかけて引用、事例を挙げて解説している。事例と引用があって、それが大変文学的で、その調査力には、驚かされる。現在の原稿用紙に近いものができたのは頼山陽が考案したもので、古いものでは、藤原貞幹が「好古日録」を作成するときに使用したもので、20×20の木版刷り。静嘉堂文庫に現存するという。また、与謝野晶子の「乱れ髪」の誤植にも触れている。さらにここでは、森敦「月山」の下書き302枚の事や、最近では田中慎也エッセイ集「これからもそうだ」(西日本新聞社)で「読書が教養として定着していた時代は高度成長とともに終わったのだから、筆一本で生きてゆくのは非常に厳しい」と記していることが書いてある。
【「水の上」五十嵐ユキ子】
 あの世とこの世の境目を題材した話。口語文体が活き活きとしていて、退屈しない。
【「ピラミッドの謎探求―何でも探偵団第1弾」竹内魚乱】
 何かと思ったら、エジプトの旅行記をガイド本がわりに探索記にしたらしい。一工夫というところか。
【「"粋"なお話」出井勇】
 有名人の裏話で、へえ、へえ、と感心するばかり。芸能記者をしていたのだろうか。事情に詳しい。普段のメディアは、芸能ニュースが欠かせない。それを入れないと、視聴率が取れないからだ。そういう意味で、一般読者にはこの作品が一番魅力があるような気がする。
【「血を売る」外狩雅巳】
 ネット「詩人回廊」で発表したものを、加筆してエッセイにしたもの。「詩人回廊」では、詩的な飛躍があった。今はない売血という歴史的な出来事が象徴的に感じさせるものがある。本誌では、それを判り易く説明を加えエッセイ調を強めたものになっている。時代の移り変わりと叙情的な味をつけた貧困ばなしに移行しているようだ。
【「大泉黒石著『オランダ産』の中の『ジャン・セニウス派の僧』をめぐって(一)」中村浩巳】
 大泉黒石という人が、太平洋戦争について、偽装反戦論を唱えたらしい。どこの国でも国民をかっとさせないと、戦争をしようとしない。しかし、一度その気になった空気のなかで、反戦を主張したら国賊扱いされる。とめるのはむずかしい。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:相模文芸

2013年1月 6日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「地の塩の聖人」宮本肇】
 「地の塩の箱」運動の創始者で、詩人・作家の江口榛一が1979年に千葉の団地で自死したという新聞記事から始まる。65歳だという。「地の塩の箱」運動とは、余裕のある人は箱にお金を入れ、お金がなくて困った人はその箱の金を使って良いというシステム。一時は流行って世界の各地で実行されたらしい。奉仕の末に破滅する人生の運命人を追い、作者自らその娘さんに会って取材したドキュメンタリーになっている。また、作者が中学生時代に体験した特殊な悟りのような境地も興味深い。作者は冷静に江口を評価しているが、わたしはなんとなくドストエフスキーの「白痴」の主人公の矛盾した存在を思い浮かべ感銘を受けた。
【「含笑些話異聞(八)花占い」中村浩己】
 お笑いコントネタを連載していて、ピリ辛の笑いがある。笑いをつくるのは難しい。同人誌だけですませるのはもったいない気がする。かつての私の友人は、自分の好きな噺家や漫才師に台本を直接渡しにいって、ネタに検討されたが、ネタの外部提供は現在はどういう仕組みになっているのだろうか。
 発行所=相模原市南区古渕4?13?1、岡田方「相模文芸クラブ」。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:相模文芸

2012年12月20日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「政治と文学に向き合って」外狩雅巳】
 総選挙の後で時流に合うので、目を惹いた。わたしは毎回投票に行くが、その度に結果的には、一度も当選者が出ていない。それでもすべて死に票なのかどうかは、判断が難しい。それと似たようなものが、政治と文学の関係にあるのかも知れない。外狩氏は、本誌24号に「偽りの日々」という短編小説を書いており、それとの創作上の関連が、過去の労働運動生活にあるという。
「偽りの日々」という作品は、全学連活動かなにかの反体制運動で負傷し、身体不自由者となって地下にもぐる男の話である。それを支える愛人、道子の視点から描いたもので、思想的な芯を失った潜伏生活の破綻までを描いたものと記憶している。たまたま今年、潜伏していたオーム信者が自首する事件があったので、それと重ね合わせたタイムリーな作品という読み方もできて、よくまとまっていた。ところがこのエッセイによると、同人雑誌の印刷を依頼した会社の経営者が丹治孝子さんで、「婦人民主クラブ」の代表者であったという。そうした関係で社会運動家としての交流があった話や、女性活動家の姿をみてきたという。
 少なくとも「偽りの日々」には、体験を有効に活かしたものとはいえない。また、活かせばもっと良くなるとも思えない。そのことを自ら記して、次回作に意欲を示している。小説にはスタイルというのがあって、それにうまく沿っていることで完成度が上がっていることもある。
【「ぐうたら野郎たちの挽歌」野田栄二】
 湾岸京浜工業地帯の海岸にある自動車工場労働者の情況を描く。時期はオイルショックでトイレットペーパーがスーパーで品不足になった時期らしい。溶鉱炉の煙突、運河の廃船、クレーン、喫水の高い貨物船、強風に飛ばされる新聞紙。どれもドライハードな詩的情景に読める。そこに豊満でエネルギーに満ちた中年女性が出てくる。中味は郷愁に満ち、文学的で見事な叙事詩として読める。自由な散文精神によるこのような作品は、同人誌ではエッセイとするらしいが、詩的散文のジャンルがあっても良いような気がする。このようなものは幾つも乱発できるものではないと思う。
 発行所=相模原市南区古渕4?13?1、岡田方「相模文芸クラブ」。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:相模文芸

2012年7月14日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は地域色が作品に色濃く反映した作品もあり、地域文化の熟成を感じさせる。
【「ユダヤ難民二万人を救った男(四)樋口季一郎・伝」木内是壽】
 太平洋戦争と樋口参謀本部第二部長の立場がわかりやすく整理解説されている。当時の状況で、終戦になってから、ソ連スターリンが日本の弱っている状況を読んで、北海道を占領しようと「日ソ友好条約」を一方的に破棄、戦線布告するという、世界の歴史に稀な卑怯な行動をとった経緯が語れている。敗戦のなかで、必死に北海道侵略を食い止めた日本側の防衛により、ソ連は多大な損害を受け、邪心を果たさなかった。ひと昔前のアフガン侵略戦争をみてもわかる通り、口先ばかりで、もともと戦争に勝ったことがない国である。
 北方領土問題を論じるにあたって、世代によっては、この事実を知らないのではないかと思わせる。自分には、ソ連は政治的な約束を守らない。裏切りを何とも思わない無知厚顔の人々であり、契約や約束をするべき相手ではない、という認識がある。相手にしてはいけない国である。欲に目がくらんで、ロシアと商売をしても、結局は食い物にされる。これからの世代は改めてそれを知ることになるであろうと自分は予測する。メディアで働くひとたちは、国連で日本が敵国条項対象であることを知らないらしい。周囲の国から敵とされている。拉致問題が起きるのも不思議ではない。相手が敵国だとしている国には警戒心をもつべきだ。
 これは戦争に自力で勝ったことのない国は、姑息な手段をとるようになるーーという歴史的なセオリーを認識すればわかる。アジアの中で日本とベトナムは異端的な存在である。

【「同級生の縁」岡田安弘】
 ミステリー小説の部類だが、それが地域に密着して書けるのが素晴らしい。題材も、孤独死が増えて「遺品整理」業をはじめた男が主人公で、いじめ問題をからめて時流を使うのがうまい。事件に巻き込まれる。なかなか才気のある人だ。話の進め方に意外性があり面白い。相模原市は地元のミステリー作家の作品集として出版をしたら地域振興になるのではないか。陣馬山ブームが来るかもしれない。

【「偽りの日々」外狩雅巳】
 プロレタリア文学の手法を使って、相変わらず上手い。学生運動の活動から、いまだに潜伏している活動家の現在を描く。この手法がいまだに効果的なのは、リアリズム詩に近い文章の凝縮力が文学性を失わないからである。この作品では、組織人としての退廃ぶりが、描写力で表現されている。状況を描いて、理屈を述べないことが、登場人物への無言の批判になっている。
 作者がどう考えているかは問題でなく、的確な描写がすべてを物語る。
 最終章で登場人物のもつトラベルウォッチが、地に落ちて壊れる。作者が文学的効果として選んだ上手いところだが、それはすでに、彼らの精神が破壊されたものであることを暗示している。
 本当は、現代的なテーマなら、壊れた時計を拾って、再び時を刻ませるまでの困難な人生を描かねばならないのだが、作者はそこに気づいているのだろうか。
(紹介者・伊藤昭一「詩人回廊」編集人)

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2011年12月26日 (月)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

【「月橘の香り」登芳久】
 冒頭に松本清張の「半生の記」の抜粋があって「私は一人息子として生まれ、この両親に自分の生涯の大半を束縛された。少年時代には、親の溺愛から、十六歳頃からは家計の補助に、三十歳近くからは家庭と両親の世話で身動きできなかった」とある。
 話の中味は、亡くなった夫人との想い出で、良き理解者の伴侶を失った感慨に胸を打たれる。若さ溢れる時代を、瑞々しく思い出すのも切ないものがある。結局、人生の重心に親の面倒をみることがあるのは、日本の家長制度に沿って生き抜いた最後の世代になるのであろう。
 それはともかく、作者は著書もあってものを書くことで収入にしてきたが、ここえきて、同人誌にお金を出して書くという状況からも同人雑誌の存在意義を感じさせるものがある。
 たまたま、私は松本清張が菊池寛の作風にどれだけ影響を受けたかを、調べているので松本清張の「半生の記」を持っている。
 清張は、終戦後に朝鮮での兵役から引き揚げ、帰国した時に、次のように述べている。
「いま、私はたった一人であった。これから二里の道を歩いて両親や妻子の居る家に戻るのも、ひとりどこかに逃げて行くのも私の自由であった。なぜ、そんな考えが起こったのか」。それほど、日本の家長制度が重かったかである。同時に、安易な気分で、戦死をするわけにはいかなかったのであろう。
 自分自身でこれを考えれば、小学生の頃から家業の手伝いをさせされ、労働力として必要とされた。家業が廃業となると、働きに出て給料の一部を家に入れ、家計の足しにさせられた。定職に付かず、アルバイトをしながら大学に通うようになると、仕事が続かないことが多い。お金を入れないと、よく親から家計負担分を催促されたものだ。しかし、当時とは言え、本当に親は子供の稼いだ金を必要としていたのかどうか。その辺はわからない。ただ、そのことにより、お互いの存在について認め合う絆ができていたことは確かだ。その時代が健全で、現代が病んでいるということは間違いないが、それを意識できないほど重病な日本である。あれほど、親の溺愛からの自由を求めたように記す松本清張が、代表作「砂の器」では、家族の絆の切ない思いをテーマにしているのである。

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「相模文芸」第23号-1-

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12月25日 (日)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。
 本誌は、地域の総合文芸同人誌として、会員の拡大が続いているという。その運営に力を入れていた戸狩雅巳氏は、それを受けて今後は執筆活動に力を入れるという。

【「裁かれざる者」戸狩雅巳】
 国鉄労組時代の労働運動で、馘首された時の話。特定の時代を背景にし、短いものながら、エネルギーが出ている。過去の時代における臨場感なので、そういうこともあったな、と云う感慨にとどまるのだが、生活がかかった思想闘争の様子は迫力がある。ほかに「掌編帳」という作品がある。氏は昭和17年2月生まれだという。わたしも同年同月である。毎年、自分の誕生日近くになると、朝鮮半島の偉大な指導者の生誕記念パレードのニュースが流れるので、複雑な心境になったものだ。戸狩氏もわたしも偉大な指導者より、長生きしたことになる。来年は古希らしい。これを読んで知った。家の事情で上京したのか、させられたのか、「長いようで短い」という述懐がある。今後は創作に専念するそうだ。同い年である自分も偶然に同様のことを考えている。素直な実感が感じられる。

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