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「私人」第91号(東京)

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2017年5月26日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「ユンボのあした」(二)根場至】
 62歳の水谷は、若い頃に魚屋の実家を飛び出し、さまざまな職場を経て、現在は警備保障会社の交通警備員をしている。そこで出会った出来事を詳しく描く。警備員の仕事の内容や、アルミ缶ゴミを集めて暮らすホームレスの生活実態を描く。それだけで面白いが、だからといって、ただの生活日誌ではない。まず、出だしに「人は望んで生まれてくるのでもなければ、目的をもって生まれてくるのでもない。」とある。それを強調する意味は異なるが、認識で同様の感覚の持ち主だとわかる。
 小説というものは、読者の日々の生活において、気付かなかったり、見逃したりしていることを、改めて再認識させるか、その角度を変えて見せるもの。この作品は、それを探し求めていると感じさせる。その意味で純文学の製作過程として読める。つまらない日常を平凡に書いてあるとして、それだから読むに値しないということではない。ここに小説の受け止め方と読み方の難しさがある。
【「D・H・ロレンスの想い出」(5)尾高修也】
 私は外国語がわからないので、翻訳でしか読めないが、ロレンスは読んでいる。同じ原作のものを異なる翻訳者で読むのも、原作をより深く理解できるものだ。
 学者である筆者は原文で読んでいるらしいが、ここでは新訳「チャタレ―夫人の恋人」(武藤浩史・訳)を対象にその意義を述べている。大変勉強になる。私は、伊藤整・伊藤礼共訳のものである。そして、いまは、過去に裁判沙汰になった小山書店版の伊藤整訳の上下巻を伊藤礼氏より提供されたことから、その小説の意義について研究している。尾高氏は、ロレンスは小説が巧いとしているが、まさに同感である。現代は、小説に対する考え方に定説がなくなっているようだ。そのなかで、これが小説だと示せるのがロレンスの作品であろう。当然だが、ロレンスは詩も書いている。哲学や社会学的なテーマを小説芸術にするうまさは、彼が詩人であったことに関係があると思う。その思想を小説に反映させるために人間の性関係を絡ませているにところに、一般人にも読ませる技術がある。これからのロレンス論の展開が楽しみだ。
発行所=東京「朝日カルチャーセンター」尾高教室。発行人=〒346‐0035埼玉県北本市西高尾4?133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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「私人」91号(東京)

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2017年4月11日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 朝日カルチャーセンターの文学教室から生まれた同人誌。尾高修也講師も作品参加している。
 杉嵩志「立川まで」は手慣れた創り方で読ませた。ーーとっておきの話を教えようーーと始めてーー僕は迷子の達人だーーと続けると何となく読みたくなり一気に引き込まれた。
 少年期や就労期の回想なのだが迷子というキーワードで繋げてーー五十年たっても、僕はまだ迷子だーーと老いた母親の背に駆けてゆく衝動で締めくくるきれいな作品である。
 鳴沢龍「ねぶた祭り」は個人的な理由で気になった作品である。――中学時代に憧れていた友人の話ですーーと朴訥に話し出す回想記です。旧友の叔父が戦闘機乗りでB24に体当たりした勇士なので憧れたとの事です。
 後年作者の父の遺品に戦時中の体当たり勇士の記事がある雑誌を見つけた事と結び付けている。
 旧陸軍航空隊の隼戦闘機などの戦記物が掲載されている雑誌「丸」昭和44年10月号が参考文献との事である。
 武器と戦記マニアなので個人的に引き込まれた作品だが、趣味が異なる人にはどう読まれたのだろうか。
 季刊で発行を続ける旺盛な意欲の同人誌であり毎号乾燥を書いているので愛着も一入となった。

発行所=????163-0204新宿区西新宿2-6^1  新宿住友ビル  朝日カルチャーセンター発行  発行人・森由利子
紹介者=「文芸交流会」事務局長・外狩雅巳

カテゴリー:私人

「私人」第88号(東京)

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2016年5月 8日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は朝日カルチャーセンターの尾高修也氏の小説教室のメンバーによる。発行所は新宿住友ビルのセンターであるが、発行人は埼玉県在住の森氏になっている。総体的に、作品は創作意識の強いもので、指導精神のかたちが伝わってくるものが多い。それに忠実な作品ばかりではないようだが。よい先生がいるのに余計な口出しであろうが、紹介文を記す。
【連載・傍観録(二十八)「D・H・ロレンスの思い出(二)」尾高修也】
 ロレンスは19世紀的な手法の作家であるが、その作風はどこまでも小説的で、私も良く読むことが多い。伊藤整の訳もいいが、福田恒存の訳もいい。それぞれ訳者の異なるものを読むと、じわじわとロレンスの精神のニュアンスが伝わってくる。登場人物は肉体と精神のつながり方にこだわり、作家の好みを反映しているが、読んで退屈しない作家である。その根底には、生活の中に非日常を生み出していく手法があると思われる。
 ここでは、ロレンスの作品が出来た経緯が女性関係をからめて解説している。尾高氏が、ロレンスがフリーダと旅をしたという辺鄙なサルデーニャ島に行ったところ、カメラを向けると逃げ出すような原住民の存在があったというのが、面白い。前から、ロレンスの旅行体験をもとにした作品を読んで、よく変なところに行ったものだ、と感心したが、そんなところがまだあるのか、と驚いた。
【「ロシアンヒルの記憶」えひらかんじ】
 海外で武者修行したというか、文学的流浪したというか、ロシアンヒルでの米国留学生活で、学んだ経験が描かれている。昭和15年生まれの時代の人の視点から、農耕民族の土着的な人間関係の絆に縛られている日本人の生活からの見方で、非日常的なところが、書きどころ、読みどころであろう。
【「石川君」根場至】
 小学校時代に同級生であった石川君という気になる生徒がいて、それは定年退職後、偶然地域の水道工事かなにかの業者に石川組という業者がやっている。その社長がその石川君であるらしいが、会わずに終わってしまう。それだけのことで、まさに日常生活そのものを描く。これはこれでまとまっているので、悪くはないが、長すぎる。凝縮力が欲しい。せっかくの文芸表現の技術を学んでいるのであるから、人間の精神性に触れた表現をする発想をもちたいところ。生活状況の文章化だけでは、よくできた作文に範囲に終わってしまう可能性がある。
【「岐阜の記憶」櫻井邦雄】
  父親の晩年を描いて、それなりに人生の波乱を経ながら、終末を向かった父を思う。息子の供養の文章であるが、意味性は「石川君」と似ている。
【「ウサギの時間」宇田川淳】
 出だしは、前作と似たようなところがあるので、これはこういう作風の特集かと思ったが、途中から一転、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」ウサギの時間に入り込む。これは非日常性への展開があり、なるほどと納得させる。
【「水ようかん」伊吹萌】
 これは姉と妹の関係を追求できる設定であり、妹の性格が良く描かれているので読物として面白い。出来事も日常性を超えたエピソードがある。読物的な色彩に覆われ、文芸的な成果にまでたどりついたかというと、もう少し...といった感じ。
【「遠い家路」松本佐保子】
 女性らしい感覚で、家族の生活ぶりを描く。日常そのものであるが、結びに「人の晩年はあいまいなまま消えていくものだという気がした」と結んでいる。要するに作品の問題的に対する回答である。文学作品的には、その曖昧さを表現的に強調できるかという技術を検討する段階にあるのではないだろうか。
発行人=〒364?0035埼玉県北本市西高尾4?133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2010年1月2日 (土)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

【「翻訳文化の新時代」尾高修也】
 前回の続きで水村美苗「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」における日本の危機感について語っているなかに、村上春樹の話が出てこないのだという。そこから藤井省三「村上春樹のなかの中国」について解説している。中国の中産階級での村上ブームはすごいというのは聞いたことがある。挨拶に「きみは今日、ムラカミしたか」と、彼の小説の主人公の生活スタイルを追いかけるのが流行っているそうだ。そんな彼の文体論がないのが不思議だという。そういわれれば、たしかにそうである。

【「喪失」しみず黎子】
 コケティッシュな女性の勝手な気分を描いたものだが、作者が彼女の喪失感をどうみているのかわからないのでつまらない。女性の心の動き描き出すのが巧い。

【「心を売る」庭さくら】
 女性が、夫をなくしたり、年をとって虚しくなって、パチンコのギャンブルに取り付かれる話。話の段取りが悪く、あれこれとムダ話が多く、読む気分を逸らすが、それでもここぞというところの書き込みが的を得ている。話を盛り上げる作家的な感覚は良く、才能を感じさせる。全体に面白く読ませられた。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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「私人」第66号(東京都)

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9月16日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「翻訳文化の新時代」(六)尾高修也】
 自分は、翻訳された本の恩恵を受けてきた。そういう意味で、この評論に興味をもった。水村美苗の日本語喪失への危機感と、村上春樹のグローバル化の問題をとりあげている。日本の文学的な伝統の断絶を結びつける活動をすすめることで問題提起している。
 この辺の考えは自分も論より証拠で「詩人回廊」というブログサイトで実行をはじめた。村上春樹のケースは、世界文学というより、作品が「情報コンテンツの発信」として世界中に受信されている現象であり、伝統的な文学精神のあり方とは別に論じる必要があるように思う。「文学のコンテンツ化」の大きな波ではないかと思う。自分なりには、伝統的な文学手法、言葉の運用の回復と、現代的なコンテンツとしての実現を狙っている。

【「繭の中」牧康子】
 女性が、仕事、恋、愛の遍歴を経て、マンションにひとり住まいし、こもるような生活をしているところにマンションの大規模修理の期間に入る。そのため、住民はベランダを自由に使えなくなり、作業員にカーテンの内側を覗かれるような気がする。その大規模修繕の過程が詳しく描かれていて面白。新築マンションを購入したばかりの人には、いずれこれがはじまりますよ、と参考になるかもしれない。話の奥にある骨格はきちんとしていて、文学的精神はあるのだが、題材との関連がいかにもエッセイ的で、事実関係と密着しているので、エッセイと間違えかねないところもある。もうひとひねりも必要か。

【「百薬」木山省二】
 これは時代小説を書こうという、創作的意欲にあふれた作品。江戸時代の山本長五郎という男に関し、周囲の人の噂を拾い集めることで、山本の人柄を浮き彫りにしたもの。熱心で、ていねいな作業だが、オチとヒネリがないので、その丁寧さが充分に生かされていない気がした。

【「シリウス」櫻井あき】
 全共闘時代の若者の恋愛を描いたもの。時代背景に取り入れた作品は多いが、ほとんど全共闘にたいする思想的な立場にふれられることがない。これは時代の流れの様々な要素と絡みあった出来事で、それだけを取り上げても、一時的な空しい時代の流行に過ぎないように見えるかららしい。この作品も青春の同時代性の表現の一部になっている。

【「築二十年の家」加井恵】
 住み替えの話だが、なんとなく面白く読んでしまう。家探しの詳細とセールスマンの様子がよく書かれている。

【「冬木立」江幡あつ子】
 高齢化した両親が自己責任で生活をすることが出来なくなり、介護に娘がそこに移住してきた話。こまごまとした話は、女性ならではの筆致で現状のレポートになっている。最後に、主人公が介護の意義を認識して前向きに生きようとする決意が、介護生活がひとつの戦いであることを示している。

【「蔦もみじ」鈴木真知子】
 同じ町の書店の店主とも交流を描いて、人生の悲哀を描く。これは上手な書き手で、細部に工夫があり、文学作品として、すっきり仕上がっている。

☆本誌は、東京・新宿の住友三角ビルの朝日カルチャーセンターの教室の人たちによるもの。5月発行のものを、ふと思い立ってこのブログ宛に送ってみたものらしい。最近、未知の同人誌の到着が増えて、なかなか紹介が追いつかない。月報を発行していた時期は、他の会員に手分けしてみたこともあったが、一回はいいが、何故か、あとが続かない。意味があるから送られてくるのであろうから、無視もできない。当方も自分の詩作や創作に力を入れたいので、できればもっと簡略化したものにしていきたいと考えている。(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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