文藝誌「なんじゃもんじゃ」の最近のブログ記事

【「わが『残日録』あるいは『エンディングノート』小川和彦」
 大学の教授を退職後、同人誌の自家制作や家族の話、千葉から高知市への転居のいきさつ。78歳に至るまで活動が事細かにしるされていて、生活記録として、読み応えがあり、胸を打つ。小川氏には、以前から実生活から離れた文芸作品も発表してきた。それよりも、この記録の方が読んで面白い。だからといって、創作をするという精神性より必ずしも勝るというものではない、ということを感じた。やっぱり創作心というものには、精神の高貴さがふくまれるのでは、なかろうか。
【「迷走」杵淵賢二】
 刑事物で連載途中であるが、しっかりとした筆致の警察小説ミステリーを描いていおり面白く読める。
【「花のままで」坂本順子】
 若い女子社員時代に職場で、人間味あふれる上司が死の病に侵され、見舞いにいく。上司の奥さんのそれとない気づかいや、人生の儚さを巧みに描く。予定調和的な運びだが、書く方も読むほうも癒し効果がある。
【「雨宿」西村きみ子】
 夫を車で送り迎えし、自宅についたが雨が強い。夫は家に駆け込んだが、「私」は車庫入れして、雨の止むのを待つことにした。その間に、少女時代に父の生家を訪れた時、康夫という男の子がいて、一週間をともにすごし、寝床が隣になったことを想い起こす。その一夜の何事もなかった時間が、記憶に残っている。そして、夫の声で思い出のひと時から我に返る。ロマンを求める女心が意味深長な余韻をつくる。
発行事務局=〒781?8122高知市高須新町1‐1‐14、コーポ高須505号、小川方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

2014年11月22日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「わが『残日録』あるいは『エンディングノート』」小川和彦】
 人生の峠の登り道を過ぎ、下り道に入り、年令に見合った活動の範囲にする時期。日本経済は、人口の高齢化により、国民は大酒も飲むこともなく、大食もしない。大型車に乗ってツアーもしない。金をためたが、消費ができないのである。ビール会社は国内の工場を整理し、自動車メーカーは買い手のいる海外で生産をする。消費しないから、国内生産をしない。国民の働き手の人口がへってバランスがとれている。それがデフレである。魔法でもなければ、状況が変わることはない。こうした現状において、国のリーダーは成長の矢を打ったという。当然ながら、矢は地に落ちで飛ぶこともない。メディアは、国のリダーのアホノミクスな説を、変な話であると解説をすることもない。中国のサンゴ密漁、領海侵犯の自国防衛もできないのに、アメリカの子分となって他国と戦争をするとか、米国も頼りないであろう。アホな話をニュースされて、文句も出ないのは国民の衰退を示しているのであろう。解散したって、成長はしない。デフレは自然現象として作用する。インフレになれば、ローンの負担は軽くなる。パンが1個千円、月給100万円の時代がくれば月給の税金が20万円か。国債やローンの返済も楽になるであろう。
 そういうなかで、流石に文芸人である作者は、諸国民のひとりとして現実を描いている。人生の峠を下り道において、身辺整理と活動縮小を語り、成長期の回顧をしている。若き文学趣味時代には同人誌「文学街」がすでにあったという。
 また、同じ作者の編集後記には、子供のところへ行くので、住んでいた古家を売って、しばらくそこを借りて住むという「オーナーチェンジ」をすることにしたと記されている。本誌はどうなるのだろう。とにかく、空き家が増えて街に人が居なくなる。買い物をする人がいないので、店がなくなり、都会の店に行く。そこだけ繁盛する。
 経済の実態を知るには、文芸同人誌の私小説を読むとわかることがある。
 発行所=〒286?0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年4月16日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「代役」杵淵賢次】
 主人公の神門守次は、ある日、公安からの連絡で、自分と同姓同名の警察官がオーム真理教の関連宗教団体アレフの団体に入って、潜入調査をしていることを知らされる。そこで、アレフの関係にそれがわかって、同名の主人公が狙われる恐れがあるという。神門はかつて那須の別荘の工事人にアレフ関係者が入り込んでいたことで、公安と接触があったらしい。そこから公安検察の捜査に巻き込まれる。
 実際の事件とフィクションをからませているが、内容はフクションである。公安とアレフの潜伏活動の応酬が陰で行われている出来事に関係させられた市民。作者の目の付けどころが面白い。現代社会の表と裏の、不可解で曖昧な不気味な部分をなぞるような話になっている。
 現代人は、社会のどこかに見えないものが意図的に隠されているのではないか?という疑惑に取りつかれているというか、思いたがる傾向に見合った題材である。
【「ジャスミンの鉢―S町コーヒー店・第16回(最終回)」坂本順子】
 行きつけのコーヒーショップに客として入って、そこで他の客やマスターとの会話や様子を観察。その人たちの人生模様や生活態度を描くという設定で、16回も連作して最終回まで書き切った。安定した力量で、最初の企画段階ですでに成功を約束されたようなものであったかも知れない。
 NHKのテレビでも、これに設定が似たようなドラマ「珈琲店の人々」というのをやっているようだ。製作者は、3カ月や半年は、面倒な新企画を考えないで済むようなものを持ちたいと思うのであろう。制約のある設定はその点でかえってやり易さがある。脚本家の交代も利く。そういうものに対応できるような企画物を同人雑誌で読むとは思わなかったので、特筆した。
〒286?0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。なんじゃもんじゃの会。

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2013年3月13日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 低コストで制作できている同人誌だと聞いているが、潤沢な資金で泥くさい同人誌があるなかで、いつも垢ぬけした粋な感じを与える。
【別荘団地自治会長・実記「意地」杵淵賢二】
千号の15号では、番外編で新興宗教の信者が住民として紛れ込んで、大騒ぎになった顛末で大変面白かった。その後、指名手配中の信者が、自首したラり逮捕されたり、東京城南地区を騒がした。とくに川崎から多摩川を渡って大田区に来て捕まった男などは、かなり堂々と行動していて、見た見たという情報を警察に入れていた人が多かった。懸賞金がかると違うものだ。捕まったのは、それからしばらくしてからである。それをそのまま、小説にしたら、おそらくそんな行動をする犯人なんかいるものか、とリアリティがないとされるであろう。
 今回は会長の立場で総会を開催するが、対立勢力の動きに腹を立て、総会を済ましたあと辞任するというところで最終回。ちょっと説明不足のところがあるが、ドキュメンタリータッチの表現力に才気が感じられる。
【連作・S町コーヒー店(14)「桜の季節は...」坂本順子】
 コーヒーショップのお客の会話を横できくという定番スタイルで、人情話風のコントに仕上げる、。ほとんどプロの手腕である。文芸の芸が光る。桜の季節の詩情を俗世間の噂話を綺麗に並べ、身近なところを素材に見事な散文詩にしている。
【「私のヘルパー日記「君子さん」飯塚温子」】
 こういうのも、ひとそれぞれの晩年があり、人生があるのを実感させられる。
【エッセイ「お客さーん」島 麻吏】
 介護に疲れれて、食事をしたあと支払いをしないで店を出た時の恥ずかしい思い出を語る。お疲れさんです、という気持ちにさせる。
【「長明曼荼羅」小川禾人】
 鴨長明の心境を描く。俗に生き、世捨て人に生きる二面性を表現。小川式長明解釈。
発行所=〒286?0201富里市日吉台5?34?2、小川方。

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

2011年5月 9日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 後記によると、編集者の小川和彦氏は、和洋女子大学主催の「エッセイを書く」という公開講座を行い、小川氏が退職した後に受講生が「エッセイを書こう!」という勉強会を作って始まったそうである。

【「四人寄れば」坂本順子】
 連作・S町コーヒー店の10回目で、いつも日常生活に沿った掌編でうまくまとめている。というより、出だしから書くべきことに的を心得ていて、けれんみがなく、作家的な手腕がよく発揮されている。
 年配の兄弟がお互いに連れ合いを伴ってお茶をしながら、年老いた両親の住まいと生活の見守りを話題にしているのを、作者が耳にする。嫁と舅の話に女性の耳が反応する。
 話題は、いかにして両親に無事な老後をすごしてもらうかという生活の算段だが、それが実に、今は失われがちな、人情がまだ残っている様子を描く。心温まる話に現代的な作者の心が映される。昭和の時代には、年寄りにいかにより良く過ごしてもらうかに、重要な価値感があって、それをなし遂げると、世俗的な成功に勝る自己満足を得て、心の平和としていた。
 義理と人情のしがらみの産物であるが、個人主義が流行り、年寄りと気が合わないで主体性が保てないと、まず自分が不幸。逆にそのしがらみを断ち切らないと、心の平和が得られないということになり、合理的なごたごた解決策の核家族化。別居全盛である。不合理を排除した寂しさの感慨を与える話にしている。

【「決壊」杵淵賢次】
 別荘団地自治会実記?である。今回は、団地に高台と崖下のエリアがあって、さらに山の上からは「暴れ川」があるという。高台から土石流が起きて道路が決壊するというので、大変である。自治会役員が市役所と交渉し対応にあたる奮闘ぶりがすごい。温泉パイプなどもあるので、高級な団地らしいが、そんなこともあるのか、読んで驚いた。面白い話という前に、大変そうで、そんなことを言っていられない切実さがある。
 発行所=〒富里市日吉台5?34?2、「なんじゃもんじゃ」会。
(「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

2010年9月23日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 編集後記によると、編集者の小川和彦氏が、2006年に本誌を創刊し(100%手づくり)、「文藝年鑑」からアト・ランダムに60ほどの文芸同人会を選び出し、送ったという。現在は「カオス同人会」と交流会をもつ。
【「連作・S町コーヒー店9―連れ」坂本順子】
 もう連作の9作になるらしいが、いつもコーヒーショップを舞台に市民の生活ぶりを巧に掌編にしており、作品内容もイラストも上品で渋みがある。今回は配偶者がいない年配男女の交際のひと時を、短く精緻な感情表現で鋭く描く。創作的な腕力が抜群で、感心させられながら読まされる。記念エッセイで次兄と電話で無事を確認しあう話も心温まる。自分にも兄弟姉妹がいるが、なかなか羨ましい。
【ノンフィクション「別荘団地自治会長実記―『あの時』の男」杵淵賢二】
 リゾート団地内に珍品のキノコが生える場所がある。そこに無断でキノコを採取する夫婦がいて、作者はそれを発見し咎める。夫婦は当初は無視していたが、作者が警察沙汰にする姿勢をみせると、妻のほうが土下座して謝る。すでに車に積み込んだものもあったらしいが、それは不問にして解放する。
 のちに町の野菜販売店にいくと、その夫妻が経営していた。それが、店主が「あの男」なのである。お互いにその存在に気づいたが、知らぬふりをして過ごす。
 現代は商売をするにも厳しい状況であることや、土下座して危機を潜り抜けようとするおかみさんの逞しさなど、大変重みのある味わいのものになっている。
【「友への鎮魂曲」小川禾人】
 友人を失うことは、なんともいえぬ喪失感がある。この作品では、大学が四谷よりにある大学で、靖国神社や市ヶ谷の土手の付近がでてくるので懐かしい。自分は反対の飯田橋から市ヶ谷へ向う大学で、当時の品格はそれほどよくない雰囲気であった。母校について語るのに戸惑うのは、現在も存在していて、その在校生の現状と当時の事情がどういう関係になるのか、わからないことである。また、不思議な縁で作者の友人が大森のカトリイク教会であったという。自分は娘が小学生の頃、教会というのを体験させようと見学にいったら、しばらく迷える羊たちの仲間にいれられた経験がある。あそこかな? などと思いながらで興味深く読んだ。
発行所=〒286?0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

2010年3月19日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 先日、仮称「関東文芸同人誌交流会」の集まりがあったときに、本誌の主宰者の小川和彦氏がいらして、なんとなく催促されたような気がして、「そういえばあったな」と積み重ねられた同人誌置き場をみたら、やはり出てきた。
 小川さんの送り状によると、同人誌「文芸東北」が大林しげるさんの病気で終刊となったこと、「金澤文学」が終刊のことが記してある。「なんじゃもんじゃ」は、自家制作本で、20号まで出したいとのこと。その時は、小川さんは80歳になっているそうである。

【ノンフィクション「火事」杵淵賢二】
 自治会長をしている作者の地域内の火事の現場とその後の情勢が、生ナマしく活写されている。火事はこわい、という実感がわいてくる。観察力と表現力がマッチしていて的確で、文章家としても頼もしい。

【連作S町コーヒー店「かたえくぼ」坂本順子】
 ティールムで、市井のちょっとした出来事を見聞したスタイルで連作をしている。今回は、乳がんを手術した女性に対する思いやりというものが、どういうものかを描く。なるほどそうなのか、と感心させられる。いつも鋭い観察力と表現力で、短くしっかり締める手腕に感心させられる。
発行所=286?0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

9月21日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「ある失踪」小川禾人(おがわかじん)】
 大学の定年後の講師を務めていた森本は、30代のころ交際のあった町田という当時、同僚で友人であった男のことが気にかりはじめる。町田はその後、大学院に通うなど学問の道に関心をもっていたが、ある時期に音信がなくなり失踪したことになる。いちばん最終の手がかりは高野山で修業することらしい、ということだ。
 町田が75歳を過ぎて、生死の不明な状態のまま、その後のことが知りたくて、高野山に行って見る。その道中の過程で、これまでの森本の人生、生きてきた時代、町田の人柄や行動を語る。
 小説の要素の定番は、まず過去の時間をたどること、人物が出てきたら、それはこの人を見よという意味がこめられている。ここでは、森本、町田の二人の人物像と、時代をゆったりとした調子で物語の要件をうまく満たしている。老境に入って過去に関心が出る心理を描き、それほど深みはないが時間のたどり方に、苦心をしており、書きなれた筆致でまとまっている。

【「いぬを追う」杵淵賢二】
 自治会の役員をしている私。町内の老人の飼い犬の管理が悪く、住民の子どもが噛まれたという苦情をもらう。そこから、町会で協力して野良犬の捕獲をはじめる。そのなかで、おびえて震える犬を見て、それを処分することに抵抗を感じる話。素材の捉え方がいいし、作品にメリハリがある。良い資質の作品。文芸作品とするには、ラストの「やるせない気持が私を襲った」というのは、エッセイ的。

【「デッキシューズ」坂本順子】
 「連作・S町コーヒー店」の7話。同じ設定で、質を維持しながら連載。楽しませる着眼と構成力、筆力に脱帽。

発行所=「なんじゃもんじゃ会」〒286-0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。
(紹介者=「詩人回廊」編集人。伊藤昭一)

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3月9日 (月) 付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

【「白い闇の中へ(俳人蕪村の死)」小川禾人】
 与謝野無村が死の床にあって、口をきくこともできない瀕死状態になる。枕元に集まった弟子たちの様子は感知できる。走馬灯のようにかけめぐる思い出のなかで、作者は蕪村への想像力を働かせる。芭蕉の俳句に想いを寄せ、師の宗阿との師弟愛と接触愛を想い、最後に生命の輝きであるエロス的な想念にひたってこの世を去るという、作者の美意識に沿った創作。俳人の生活や精神の世界を描いて興味深い雰囲気小説となっている。

【「怒る女」坂本順子】
 語り手がS町のコーヒーショップに入ると、近くの席で黒い身なりの年配の女連れが会話をしている。その会話から葬式か法事の帰りで、癌で夫をなくした女性が夫の親類の応対に怒って不満を語っているのだとわかる。そして、聞き役の女性たちは、怒る女性の話しをとめどなくただ聞くことに徹している。それから、葬式帰りの彼女たちが60歳を過ぎた姉妹であることがわかるシーンがある。そこで語り手は、女性グループの姉妹たちを大変うらやましく思うという話。
 短いなかに、含蓄の豊かさといい、その切り口といい、感心させられた。(最近は感心ばかりしている)。見知らぬ他人の姉妹の様子を見ただけで、その長い人生の姉妹関係を洞察できる語り手の視線、また、それに羨望を感じる語り手の、不幸ではないが、現在のなんとなく裏寂しい心境を見事に表現している。洞察力を反映している。

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