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「奏」2016冬号(静岡市)

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016年12月24日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  本誌には、「新資料・小川国男『藤枝教会史』」(解題/勝呂奏)が掲載されており、興味深かったので、自分なりの意義を「暮らしのノートITO」に書いた。
【「屏風のような」小森新】
 話は井上靖文学館での米神礼三館長と企画展での交流と館長の突然の訃報を知るところから始まる。そこから、作者の父親の死に目に会えなかったことへの感慨が語られる。これを読んで気づいたのは、肉親との死別の事情を語ることは、その人の境遇や人生の一断面を浮き彫りにするということである。この作品では、父親の死期が近いことが分かっていても、予めそのための準備のような行為をすることをためらう心理が描かれている。そして、死別に立ち会えなかった、やむ得ない事情があったのだが、心残りの気持ちを独り胸の内にしまっておく。米神館長と父親への想いを表現する。――作品の読者としての自分の父親への思いと、比較したりした。自分の場合、父親にとって悪い息子であることを、晩年の介護生活のなかで自覚があったので、今のところその罪の意識に変化はない。
【「芹沢光治良『感傷の森』論」勝呂奏】
  芹沢光治良の作品「感傷の森」の敗戦後の日本人の精神の支えを意識して書かれたことを評している。太平洋戦争の責任、敗戦の責任追及の精神よりも、戦後を生き抜くことへの努力に重心がある作品のようである。これは、やはり人間の愚行を飲み込んだ宗教的な精神が働いていたのかも知れない。
  昨年だったか、都内の図書館で、ご自由にお持ちくださいの棚に、芹沢の全集の茶色のようなクリーム色のような本が並んでいたのを見た。これも時代というものだろう。
【「小説の中の絵画(第5回)太宰治『きりぎりす』―『私』の言葉」中村ともえ】
  太宰治の女性の独白形式1人称小説に関する評論。内容とは異なる受け取り方かも知れないが、太宰の表現力の多彩さ、巧みさなどがわかり、小説はまだまだ技術的な可能性を多くのこしているのではないか、という気持ちになった。
発行所=〒420?0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

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2016年6月28日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【エッセイ「水俣―ひとつのルーツを求めて」田代尚路】
 これはエッセイというより、東大安田講堂で5月3日?5日に行われた水俣病「水俣フォーラム」初日講演会のレポートである。《参照:暮らしのノートITO「文芸と思想」》石牟礼道子「苦界浄土」を軸にした社会文芸評論でもある。概要として「現在のチッソの位置」(小宮悦子氏の話)、「具体的なエピソードの強み」杉本肇氏の話)、「猫の慰霊」(石牟礼道子氏の新作能)、「水俣と私」(田代尚路)のセクションがある。それぞれの項目において、人間の家族関係の強さに胸を打つものがある。作者自身が無縁と思っていたこの事件に、物理的な縁があったことを地霊の存在とからめて語っている。これを記す自分も東京湾の漁師の子であることから、妙な懺悔心に襲われる気持ちで読み終えた。書く材料に頭を悩ます人がいたら、読んで欲しい良い作品といえる。
【「小川国男『海からの光』論」勝呂奏】
 小川国男の小説のなかで、その作家の書く姿勢の本質を読み取ろうとする評論である。この作品について、吉本隆明が宮沢賢治「雁の童子」のように、文学芸術家の文学者としての証明のような作品という趣旨の評をしていることが記されている。たしかに、小川国男の文章には、技巧を超えたなにかがあって、幾度か部分の読み返しをさせるものがある。その推敲の痕跡をたどるものであるが、参考になると同時に、作家精神と宗教心というものを考えてしまう。
【「堀辰雄をめぐる本たち?――菱山修三訳・ポォル・ヴァレリィ『海辺の墓』」戸塚学】
  堀辰雄とヴァレリィというと「風立ちぬ」の冒頭の「いざいきめやも」という妙な文語体の訳語で有名だが、菱山修三が影響をうけ盛んに訳していたことが研究的に記されていて、新鮮である。
 同じ筆者による「堀辰雄旧蔵洋書の調査(九)―プルースト?」も興味深い。堀辰雄は、日本の平安朝文学の文体の調子と、フランスのプルーストの微細なでスローな文章との調和をはかる文体創造に、相当熱心であったように思える。もしかしたら、芥川龍之介の文法に忠実で明解な論理性で失われがちな味わいを、もっとソフトなものにしようと苦心していたのかもしれない。
【「枝垂れ梅」小森新】
 長男の私が南伊豆の町に一人暮らしをしている母親の様子を見に、定期的に実家に帰る。いわゆる普通の家族の普通な生活の有り様がわかって、面白く興味深く読んだ。
〒420?0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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「奏」30号(静岡市)2015夏

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2015年7月 7日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「性素な女学芸員の後悔と友情」小坪直】
 男社会色の強い世界では、女性の存在が性的空間を作り出す。主人公の理恵という女性の音楽会での鑑賞や、日常のなかの下村という男との交流を話のタネにしている。同級の下村という男がその後、性の産業界の仕事に関係したということを素材にする。小説にしない形の小説で性的空間を浮かびあがらそうという試みか。もともと性的空間というのは具体的な性と直結しないでも存在する。それを具体的な性の世界と心的なエロスをつなげているのだが、小説とは情念と欲望の共感をもって、面白く読ませるようするものであろう。ここではその小説の素因を抜き取って、思考でのエロスを考えさせるような気配の出来上がりとなった。性を「知」でとらえたのかというと、論理的展開がみられない、かといって先にのべたような情念の欲望には、小説的な表現をしない。バタイユのエロチシズム感に迫れば、と求めるのは贅沢か。こんな書き方もできると考えさせるのが面白いと言えるかもしれない。
【「堀辰雄をめぐる本たち?―笹沢美明『リルケの愛と恐怖』戸塚学」
 まず堀辰雄の「風立ちぬ」は代表作だが、文学ファンの間では、しばらくこの作品の有名な台詞「風立ちぬ、いざ生きめやも」が、日本語の文法に合っていのか、いや詩であるから美しい言葉であるから良いとか、もともと誤訳であるという話題が続いた。このことでも、堀辰雄がフランス語やドイツ語に詳しかったということがわかる。
 これは堀辰雄がリルケにも関心があったこと、その友人で詩人・翻訳者の笹沢美明との交流が記されている。その笹沢の息子が、ミステリー人気作家であった笹沢佐保であるという。笹沢佐保といえば、「あっしには、関わりのねえことでござんす」というセリフの木枯らし紋次郎の小説の作者である。彼も「詩人の家」という私小説的作品で父のことを記していること書かれている。笹沢佐保は、女優の富士真奈美と深い恋愛関係になったが、お役所勤めで小説を書いていた下積み時代に彼を支えた夫人と、別れることをしなかった、と下積み時代の彼を知る人から聞いたことがある。
【「堀辰雄旧蔵書洋書の調査(七)プルースト?」戸塚学】
 どういうわけか、転居のために捨て私が捨てたつもりでいた本、堀多恵子随筆集「葉鶏頭」が残っていたのである。それに関係するので、興味をそそられた。これは堀辰雄が創作にもっとも影響を受けたであろうと思われるプルーストの翻訳ノートの書き起こしらしい。プルーストの原書は、神西清の提供による。というのも両家の交流の深さを物語っている。想い出のなかの一時間はただの一時間ではないと文学表現に時間のスローモーション化を取り入れたプルーストから堀辰雄が何を吸収したのか、興味は尽きない。この草稿は、科学研究学術研究助成基金助成金による若手研究Bにおける成果の一部だという。粋な研究支援組織のあることに感心させられた。
発行所=420?0881静岡市葵区北安東1‐9‐12、勝呂奏方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「奏」2014冬号(静岡市)

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2015年1月16日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「川崎長太郎の文学"私小説家"の誕生まで」勝呂奏】
 川崎長太郎という作家の小説を読んだことがない。ただ、文壇情報のなかに、掘立小屋に住んでいて、私小説を書いている、というようなことを読んだ記憶がある。そのもとが伊藤整の私小説作家論として、この評論で記している。
伊藤整の「逃亡奴隷と仮面紳士」(昭和23年8月『新文学』)において、「<逃亡奴隷>と呼ぶ作家をその代表格として太宰治と並べて川崎を<現代の典型>とする。」その紹介は次のようで――魚屋の2番目息子が、文学に凝って天秤棒をかつぐ奴隷から逃げ出し、女たちを恐れて、2畳間の小屋に暮らしている。実に典型的な逃亡奴隷だ。(略)現世を極端に恐れて「方丈記」の作者然と小田原の海岸に構えこむ――。
 実際は、川崎は長男だそうだ。それはともかく、川崎長太郎が社会主義思想のプロレタリアの視点と、アナーキースト思想の反ブルジョワ的文学作品や評論を書いて過ごしたという事情が詳しく記されており、私小説作家になったのは、晩年に近い頃であると知って驚いた。
 これは個人的な考えだが、社会主義思想に影響されても、個人として芸術表現を追求する場合、アナーキーになるのは必然で、あくまで政治体制への変革を志向するなら、筆を折るしかない。政治闘争には欺瞞とアジテーションが必須だからだ。そこでの芸術の存在する場所はないとは言えない。しかし狭い。
 評論で私小説作家「葛西善蔵の芸術を否定す」というのを書いているという。おそらく民衆を困窮者へ追い込む社会体制への意識が欠けるという論拠であろう。いまでも同様の論調は存在する。
 その経緯が綿密に調査され、そんなに資料があったのかと、勉強になった。川崎が徳田秋声と宇野浩二に認められ、ついには「既に社会を否定する為にそれを破壊する為に生きる意志も、さらにプロレタリアート為に生きようなど」とするのは、身の程知らず。主義の洗礼当時に抱いた夢を失い、ひとり山頂に居て、下界をみるような否定も肯定しない文学の道を志すまでを立証している。これは徳田秋声の晩年の世間の観察者として自己感情を抑制した作風に似るであろうことを想像させる。
 発行所=〒420?0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「奏」第28号2014夏(静岡市)

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2014年7月17日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

本誌の目次は次のようになっている。創作「西行の日」小森新/詩「Knowledge in Chmistry?AnEpic ?For the world`s Greatest chemist chemist Erasmus」Masahiko ABE/「遠藤周作『地の鹽』『コウリッジ館』論」勝呂奏/小説は芸術たり得るか「谷崎潤一郎『■(旧字の食にあたるらしき部首とつくりが堯)太郎』『から異端者の悲しみ』へ」中村ともえ/ぷらていあ「小川国夫『逸民』推敲考」勝呂奏/「堀辰雄旧洋書の調査(五)?コクト?ー」戸塚学/講演録「完全版『人間の運命』の完結を見て」勝呂奏。
【「遠藤周作『地の鹽』『コウリッジ館』論」勝呂奏】
 遠藤周作の芥川賞受賞後の表題2作品が、作者のパリ留学時代の体験からどのような背景で書かれたかを解説する。2作品には遠藤がフランス留学した時に体験した、人種差別意識の現実を背景にしているのだという。評論によると遠藤自身の評論「有色人種と白色人種」(昭和31・9月『群像』に、留学前の日本で<人間本質の普遍性は白人であろうが黒人であろうが変わりないという原則をもっていた>と書くように、それが信じられていた。これは通常の人間の観念としての共通意識であろう。しかし、フランスで体験した遠藤周作の体験は、観念が実際の渦中に巻き込まれたことの現実として、切実感が異なっていたようだ。そして自分自身も差別意識の当事者としての視点から、その問題を作品化し、その細部を検証している。
 遠藤周作の「沈黙」を読んでいるが、テーマにまぎれがなく、すっきりと整理された作品との印象をうけた。この評論を読むと、それ以前にこの2作品の存在があったわけである。「沈黙」は完成度が高く、出来すぎ感がある。おそらく、経験を積んだ作法慣れとでもいうものが漂う。しかしその前に、感受性の鋭いこの純文学作品が存在していたことがわかる。
【ぷらていあ「小川国夫『逸民』推敲稿」勝呂奏】
 小川国夫の推敲の過程をよく検証している。たまたま「季刊文科」62号に<なつかしい作家たち第2回>徳島高義「小川国夫『彼の故郷』のころ」が掲載されている。ここに勝呂氏の著作「評伝 小川国夫 生きられる"文士"」(勉誠出版)からの引用がある。
 発行所=〒420?0881静岡市葵区北安東1‐9‐12。
紹介者「詩人回廊」北一郎

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「奏」2013冬

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2013年12月16日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【ぷらていあ「正宗白鳥『今年の秋』ノート」勝呂奏】
 正宗白鳥といえば、私は岩波文庫の戯曲のようなものしか読んでいない。ここに記されているようなエッセイでもなく私小説でもない「散文」というスタイルを構築しようとしていた事実をまったく知らなかった。興味深く読んだ。というのも、自分が趣味的な書き物として、歴史的事実としての資料性と、今の時代、それに語り手の「私」がメッセージを盛り込む。「私」は必ずしも現在の「私」ではない、というスタイルを作ることを考えていたからだ。一部実験をしているが、なかなか工夫が必要で、気に入るようにはいかない。ただ、作文をする過程の面白さは楽しめる。独りで詰将棋や詰碁を楽しむのに似ている。
 文壇の大御所だった作家と無名人とでは意味が異なるが、文芸の技術については関心が重なるところが面白い。いつの時代でも「この世に新しきものは無し」である。
【「父のこと」勝呂奏】
 父親の故・勝呂弘氏との息子の立場からの交流の思い出。立派な教育者で歌人であったエリートと、同じ道を歩む息子という構図が興味深い。なぜか日本にはエディプス・コンプレクスのテーマ小説はあまり読まれないようだが、ここでは本人が意識して話題にしている。お互いの対話の有り様が、なるほどと思わせる。親が無意識に期待していることを、息子がいくら意識させられないといっても、無意識に感じてしまっているものだ。立派な人といわれた父親の息子はやはり立派な人となろうと努力することがわかる。私の境遇は、勝呂家とあまりにも対照的である。父は継母に育てられ、丁稚奉公で尋常小学校も卒業していない。私が大学を出てからは、共通の話がなくて困った。碁や将棋を勧めても、お前が勝つにきまっている、とやらない。気位の低い変なところのある親で、とにかく趣味をもたそうと後楽園で場外馬券の100円券からの買い方を教えた。これがあたって、前夜には競馬新聞を読んで予想に夢中になった。100円で万馬券を当てると、大喜びして自慢しにきた。好き嫌いを超えて憎めないところがあった。姉妹弟、親類からは、息子が親に悪い遊びを教えたと批判されたものだ。立派でない父親と立派でない長男であった。いろいろ悩まされたこともあったが、死なれてみると、自分のどこかの細胞がなくなったような気がしたものだ。肉親関係の不思議なところだ。今回の「奏」は、そうした喪失感がよく伝わってくる。
発行所=〒420?0881静岡市葵町北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「奏」2013夏

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2013年7月 1日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【書評「勝呂奏著『評伝小川国夫―生きられる"文士"』阿部公彦】
 表題の書(勉誠出版)は、著者であり、本誌の編集者でもある勝呂奏氏が、2013年度静岡県文化奨励賞を受賞している。紀伊国屋のHPからの許諾済み転載である≪参照:書評空間≫ 東京新聞でも、芹沢光治良の研究会のメンバーとして、活動が紹介された。また(産経ニュース20013年5月29日)では、下記のような記事になっている。
 『小川作品を掘り起こす動きは盛んだ。昨年10月にはデビュー前の未発表短編を集めた『俺たちが十九の時』(新潮社)と、桜美林大学教授の勝呂奏(すぐろ・すすむ)さん(57)による『評伝 小川国夫 生きられる"文士"』(勉誠出版)が刊行された。季刊誌「アナホリッシュ国文学」(響文社東京分室)でも、未発表で未完だった小説「無題」が連載されている。戦時中に学徒動員された自身の体験が投影された原稿用紙190枚の中編で、編集長の牧野十寸穂(ますほ)さん(70)は「死が心に張り付いた少年の震えとざわめきを、声高な戦争批判ではなく、透明感のある乾いた調子でつづる。未完とは思えないほど完成度は高い」と話す。9月発売予定の第4号で連載は終了するが、単行本化に向けた話も進む。
 小川さんは同人誌「青銅時代」を創刊し、昭和32年に小説『アポロンの島』を自費出版。作家、島尾敏雄(1917?86年)に新聞紙上で激賞されて本格デビューを果たしたのは37歳のときだった。自宅の資料整理を依頼され、一連の未発表原稿を見つけた勝呂さんは「文壇に認知されるのが遅い分、発表のあてがなく書かれた草稿は多い。未発表作品がさらに出る可能性はある」と話す。』
 本誌でこれまで、もし短編小説が掲載されていなかったら、文体研究書としての紹介であったかも知れない。私は、それほど小川国夫の作品を読んでいるわけではないが、小川作品の文体の特徴を知ることができた。私にとっては高度過ぎる内容だが、文体に興味のある人にはお勧めである。私自身はかつてコピーライターをしていた時期に、いかに判りにくい言葉を避けるか、という視点やその時代の文章リズムを吸収するという作業に関心があり、別の意味で文体には関心が強かったのである。
【掌編二つ「ペッサァ遺文」「She has gone......」小森新】
 この2編は、故・小川国夫の文体を模したという但し書きがある。見事と言うか、ここまで文体がトレースできるということは、作者名はペンネームであろうと、思うしかない。「ペッサァ遺文」は、聖書を題材とした宗教的な古事を語る。文体は「アポロンの島」の系統で、視線が地上と天との中間点というか、一定の時間的な距離感をとって安定している。神を意識した宗教的な色彩もつ。
「She has gone......」の方は、地上人である男の愛の揺らぎを独白体で語る。詳しい知識はないが、小川国夫の後期を意識したのかも知れない。
 その他、今号には芹沢光治良に関するものや小川国夫の資料原稿「ノルウェーの旅」など貴重なものがある。
発行所=〒静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂片、
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「奏」2012冬号(静岡市)

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2012年12月12日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌の後記によると、編集者の勝呂奏氏は、作家・小川国夫が亡くなって本誌に連載していた「評伝 小川国夫」を刊行し、「新潮」9月号に「作家修業時代の小川国夫」を執筆したとあり多忙のようだ。
【「冬になると赤い実をつける木」安倍七家】
 文章には読む上で、スピードのあるものと速度の緩いものがあるが、これはゆっくりとした速度で読ます、いわゆる行間を味う傾向の作風であった。連載的なつながりを意識せずに部分読みでも楽しめる。今回は、イギリス生活が非日常性を感じさせる描き方がされていてそれが面白く読めた。
【「小川国夫『心臓』論」勝呂奏】
小川国夫の短編「心臓」(原稿用紙27枚)が、名作として各種のテーマ別短編文学集に収録されていという。その元となった17枚の原稿が現存しており、そこからどのように小川国夫が「心臓」という形にまとめたかの過程を検証している。
文章はそのままではただの文であるが、それをある方向性をもって、簡潔化し省略することで、多言を要さずに多くの意味を含蓄させるか、または、多くの装飾を加えることで、語る意味付けを深めるかという相反するような手法がある。
小川国夫は志賀直哉の影響をうけたらしく簡潔性を重視したようだ。ここでは、省略の仕方が極端で、そこに独自の技法が存在することがわかり、より含蓄の深まる方向に推敲してきた経過がよくわかる。これを読んだ自分の感じだが、小川国夫という人は、当初の表現の源は閃きであって漠然としか把握していなかったものを推敲しながら焦点を明確にしてゆく作風のようだ。
 わたしは伊藤桂一氏の指導のなかで、雑誌社からテーマを与えられ原稿依頼を受けた時に、下書きをつくり、それを推敲していく過程を知らされた。その時の作家としてはテーマについて格別に関心があったわけではない。下書きはテーマに必要な素材をならべた、まさに作文に毛の生えたぼんやりとした凡作であった。とことが、それを推敲しながら文芸的な含蓄のある短編に仕上げてしまった。
 それにくらべ小川国夫には、自分の書きたいことに全力を尽くす、まさに純文学作家ならではの発想が見える。
紹介者( 「詩人回廊」伊藤昭一)

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「奏」2012夏(静岡市)

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2012年8月 6日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「小川国夫『枯木』『あじさしの洲』草稿考」勝呂奏】
 小川国夫の原稿の推敲のあとを丹念に追って、短編小説の完成度を高める手順が示されている。島尾敏雄に取り上げられて世に出る元になった私家版「アポロンの島」に収録した「枯木」の前段階の元原稿が藤枝市文学館にあるらしい。「枯木」のモチーフになっている聖書の逸話はよく知らないが、「あじさしの洲」の河岸の風景描写の根気のよい推敲の繰り返しには、感服するしかない。
 同人誌にはよく使われ、わたしもよく使用するもので、このテキストにないもの。推敲では、「そして」などの接続詞を削除し、ほとんど使わない方向にもっていく。また、「その」という代名詞的なものも使わない。それから「など」と「それもなどの」の「も」。いずれも、冗長でイメージを散漫にする。
 本編では、文章の品格のあがらないような表現を削り、格調高くするための変更などが散見できる。このへんは時代の感覚ではあるが、現在でも納得がいくところである。
 「あじさしの洲」では、結局4稿までの推敲が示されているが、ただの風景描写でなく、死にゆく者の眼がどう見るかの選択で、風景として描くものを選んでゆく。小川の亡き後、こういう作家は、まだどこかにいるのであろうか。こういうのを検証して書く人も相当の文体追求マニアだが、小説はどう書いてもいいのだ、などといわれて迷う人などには、お勧めである。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
 たまたま、新聞の記事に次のようなものがあった。
 小川恵氏(78)『銀色の月』(岩波書店)は、2008年に80歳で死去した作家の小川国夫を妻の目から追想したエッセーだ。ファクスが普及する以前、静岡県に住む作家のところへは編集者が原稿を取りに来た。作品の完成を待つ彼らのため、魚の乾物やするめ、ねぎなどを七輪で焼き、もてなしたという。昼間は眠り、夜中に執筆をする夫を気遣い、日中は息子2人を連れて散歩もした。『アポロンの島』『ハシッシ・ギャング』などの名作は、静かな月光のような妻の献身により、陰影を深めた。(2012年7月31日 読売新聞)

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「奏」2011冬(静岡市)

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12月22日 (木)付、「文芸同志会通信」より転載いたします。

【評伝「小川国夫―最終回」勝呂奏】
 評伝にもいろいろなスタイルがあるが、この連載では小川国夫の独特の文体の生まれた背景や経過を明らかにする姿勢があり、ものを書く人のための評伝という色合いが濃い点で興味が尽きない。読みやすさ、判りやすさがある。それは同時に、文芸になぜ純文学のジャンルが存在するか? というこだわりが含まれて、示唆されるものがある。
 小川国夫といえば短編作家であると思っていた。晩年の長編小説完成の話題にも、資質が変わったという程度の知識しかなかった。それがこの評伝によると「弱い神」というのは、ただの長編ではなく、「『試みの岸』と同様にフォークナーのヨクナ・パトファ・サーガを模した、駿河西岸を舞台にした壮大なフィクションの現場に、読者は参加することになったのである」という。
 そのあとに、三十代に本多秋五に「肯定」してもらったことの小川の喜びなどが、活き活きと記されている。
 栄光に照らされた作家の手法に、感心するというのは、お門違いであるが、自分は自分なりに「純文学というものが、短編で書き散らしただけで済むものか」という疑問があって、終りのない自分だけの小説の制作について考えていただけに、ひとつの制作法として、参考になった。
 要するに、純文学的表現における散文のどこが作文と異なるのかー、という現代では極めて曖昧になっている問題に、何か有力なヒントになるのではないかーーというのはわたしの勝手な感想である。
 同人雑誌に掲載された作品でも、それが文学なのか、ただの作文なのかを見分けるのは大変難しい。ひとつにはそれが短編であるためで、ある程度の長さをもってすればその本質が見えるような気もするのである。
 関連したコラムで、【プライティア・小川国夫「速い馬の流れ」雑考】があるが、小川国夫がどこをどのように推敲し、省略してしまうかが、丁寧に検証されており、いわゆる小説的な散文が、詩的散文に転化するぎりぎりのところに置かれていることがわかるので、興味深かった。本誌全体の構成作風に真摯に丹念に書く姿勢が、文芸の価値を形成しているのは確かである。
発行所=静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。

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