2018年4月アーカイブ

「石榴」第19号(広島市)

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2018年4月16日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「クリスマス」木戸博子】
 主人公の私は、妻子ある男の子供を宿した身体で、それを相手の男にも、家族にも告げていない。どうするのか? この課題をかかえたままのなか、認知症の祖父が、徘徊中に足を骨折して入院する。私の両親も加わって、祖父の対応に追われるクリスマスシーズンである。
 構図的には、老衰期に入っている祖父の認知症的な反抗行為、それに新しい命を宿した私。対応に追われる家族関係から、人生における現代への問題提起がされている。なかでも、認知症の祖父の行動に細かな描写が集中しており、その不合理な反抗ぶりが、小説的な構図のなかにおさまっている。創作的なパターン化が見える。祖父の認知症の対応に加わりながら、私は子供を産むことを決意する。日本の家族関係は、さまざまな形態が生じて来ている。それを認知症の祖父の介護問題と絡めたところが、女性らしい作者の視点がユニークである。
【「写真家宮内民生の到達したもの」篠田賢治】
 目次には、作者が高尾祥平となっているが、どちらかが本名なのであろうか。写真家・宮内民生という人の作品評論の体裁をしている。しかし、内容はベンヤミンや、フッサールの現象学の視線からみた、映像表現・言語・コラージュなどの、複製芸術論のようになっている。アクロバチックな、論証展開であるので、なかなか解釈が難しい。現在の二次創作的なジャンルや、シュミレーション的コピー表現論にもつながるのであろうが。ありきたりの芸術評論の平板さを避けようとする、作者の特有の手法であろう。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀崎2?16?7、「石榴編集室」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:石榴

「澪」第11号(横浜市)

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2018年4月14日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「プロペラ地蔵」石渡均】
 相模原市の小田急線の付近をオダサガというそうである。主人公は、作者と等身大らしきプロのカメラマンで、写真家育成専門学校の講師もしている。若い頃は時代のニーズにマッチした写真集が出せたが、年齢が高くなると、写真集が売れなくなる。そこから妻から離婚の申し出を受けている。その設定が自由な精神と行動を可能にし、物語化に便利である。
 相模原の町のいわゆるそこらの風景描写が、さすがカメラマンと思わせる。丁寧さが光る。弘明寺や戸越銀座の場所も懐かしい。プロペラ地蔵の怖しいような逸話にも存在の説得力がある。だが、話の軸は、教え子や、紹介されたカメラマン志望者たちの自殺してしまった若者の話になっている。
 三人の自殺者の関わりを描くが、彼等の内面に迫ることができない。どうにか化出来なかったのか、という思いは伝わるが、世代の異なる自死者たちの心はわからない。この分からないことの報告の作品となっている。
 散漫のような話の手順だが、読んで飽きない。多様性のなかで、妙に集団性が崩れない日本社会の描き方の一つであるかも知れない。
【「大池こども自然公園生態系レポート?かいぼり編(下)」鈴木清美】
 池のかいぼり作業が、テレビ番組にもなった。自分も、かいぼり後の井の頭公園に行ってレポートをしているので興味がある。
 ここでは、地元の写真家による横浜・旭区の「大池」のかいぼりと、その地域の歴史、生態系がレポートされ、見事な写真もある。とくに、外来魚アリゲーターガーの水面浮上の写真が見事にキャッチされているのが、すごい。アリゲーターガーは、自分が大田区の?川の近くに住んでいた時に、池上本門寺近くの川にガ―が3匹はいるらしいという目撃情報があった。それが5、6年前から目撃されている、というので、時折、川沿いを探したが見つからなかった。ところが横浜の外来種捕獲ボランティアがやってきて、捕獲した。テレビ放送までついて、見事2匹を捕獲した。
 また、自分はライブドアのネット外部ニュース記者として、多摩川の「お魚ポスト」を取材した。たしか稲田堤の近くだった。現場で池の写真はとったが、管理者に会うことが出来ず、ボツ記事にした記憶がある。それはともかく、ここでは、外来種生物との生態系を乱さない共生的思考などが記されている。また、池の魚や野鳥への一般人による過剰な餌やりなどの問題提起がある。
 同感するし、実際に独り暮らしの友人が、野良猫に餌やりするので、近所からクレームをもらったりし、当人も癖になり、病のようになっているので、他人ごとではない。とにかく、こうした記事は、フクションより面白いところがある。
【「ウメとマツ」鈴木容子】
 ウメとマツは、よしお君が飼っていた猫の名前である。話は昭和50年から60年頃のものだが、ポイントは視点がよしお君だけでなく、猫にも移動したように書かれている。短編で視点の移動は、失敗するとされている。だが、ここでは、それが欠点というより、自然で人間の幻想を見る存在としての進化の途中であるような現象に読めた。
【「針鼠二人」上田丘】
 タイトルから、守りの堅い人間同士の話かな、と思って読んだら、若者のカップルの心理が描かれていて、当たらずとも遠からず。理屈っぽいところのあるひとつの男女交際風俗風景。
【「十五分後」衛藤潤】
 都外のデパートの屋上の観覧車の係員になった予備校生の時松が、客とゴンドラに同乗することがあり、それが評判になって制度化する。
 そこで、時松自身が同乗した人たちの記録のような話。変わった設定で面白い。無関係の人の語る話を聞くという軽い読み物で、これもまた現代風俗のひとつか。
【映画評「カツライス・アゲイン!『ど根性物語・銭の踊り』」石渡均】
 勝新太郎と江利チエミが主演で、市川昆監督の映画の話だが、自分は見ていない。しかし、ヌーベルバーグの幾つかは見ていたので、状況説明は面白く読める。また、撮影の裏話と作品批評が一体となっているのも、興味をそそる。特に、市川昆監督のカメラの個性が生まれるための条件がわかって、なるほどと思った。
【「ハイデガーを想う(?)下・柏山隆基」
 外国哲学というのは、用語の翻訳がまず困難として立ちはだかる。この作者の用語の説明は、翻訳語の日本語解釈のイメージづくりに参考になる。ただ、認識についての定義なので、範囲は限られている。自分は、雑誌「群像」に連載の中沢新一「レンマ学」を読んでいるが、不立文字の認識と哲学的な日本的解釈の違いを感じる。
発行所=241?0831横浜市旭区左近157?30、左近山団地3?18?301。「澪の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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