2017年6月アーカイブ

2017年6月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は、日本民主主義文学会・代々木支部のサークル誌で、年1回刊行とある。
【評論「『シンゴ・ジラ』は何を進化"させたか???続・怪獣映画のリアリズム考」谷本諭】
 非常にわかりやすく、主張のはっきりした評論である。まず映画の「シン・ゴジラ」(総監督:鹿野秀明、監督:樋口真嗣)が、2016年に公開され興行収入82億円の大ヒットになった。「日本アカデミー賞を」の最優秀作品賞、最優秀監督賞など7部門を獲得。いわゆる怪獣映画が、この栄冠を得るのは、史上初。さらに「毎日映画コンクールの日本映画大賞、「ブルーリボン賞」の作品賞など邦画各賞を総なめににし、歴史ある「キネマ旬報」の国内映画ランキング(2016年期)でも、「第2位」に選ばれているーーなど。
  続編なのに、きちんと理解できるように、説明がある。その評論の方向は、自衛隊を美化しているように観られてしまうか、政治的な意図を読みとられてしまうかなど、映画文化における社会的な意味性について論評されている。
 わたしは、「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・脚本の鹿野英明が総監督であるから、ヒットしたのであろうと思うくらいで、また映画の意味性の議論もいわゆるマニアの世界のことと受け取りながら、関心を寄せなかった。もちろん映画もみていない。しかし、これを読んで、現代カルチャーの問題とする意味性について、概略を知ることができた。大変に勉強になった。
【エッセー「ビバ!『逃げ恥』リアリズム」谷本諭】
 これは同じ筆者のエッセーである。TBSTVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を「逃げ恥」と略して、話題になっていることは知っていた。が、ここにその魅力と各回の概略が記されていて、実にわかりやすく、面白い。内容紹介のまとめ方や、社会的なメッセージについて語るところなど、じつに手際よく解説してくれている。自分の作品紹介ぶりが、どれほど不器用で下手であるかを思い知らされた。とにかく、500円で読めるのだから、お勧めである。才能ある社会文芸批評家の起用をする北村編集者の柔軟な発想に敬意を感じてしまう。
 このほか、【エッセー「星野源が福山雅治とキムタクを超え、植木等になる日」コングロマリット橿渕】、【エッセー「小説で読むブラック企業と労働組合」北村隆志】など、エッセーと称しなが、前者はカルチャーを、後者は労働者たちの現代社会環境動向を良く表現した小評論に読める。
 ちなみに、友人と待ち合わせをするため喫茶店でこれを読んでいたら、友人がこの本を手に取って、「ぼくに貸してよ。これには読みたいものがある」といったので、「読んだあとでね」と言ったものだ。要するに、文学がカルチャーとして、ほかのジャンルに負けてしまっている現状からすると、その他のジャンルに乗り込むための文学性が必要だということを強く認識させられるのである。
発行所=〒調布市上石原3?54?3?210、北村方。「日本民主主義文学会代々木支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

「異土」第14号(奈良県)

| コメント(0)

2017年6月18日 (日)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 毎号大変充実した作品群が詰め込まれているが今号も300頁を超える冊子となっている。
 注目したのは秋吉好氏の作品「松永軍記」と松山信慎介氏の作品「甦る火野葦平と戦争文学」である。
 171枚の力作である火野葦平作品論は、戦争協力作家として戦後に追放された事に言及している。
 現在私が同人誌に郷土作家として発表予定の古山高麗雄(1920年- 2002年)の紹介でも重複するので後述したい。
 ここではもう一つの秋吉氏の作品を紹介することにしたい。
 政権基盤の脆弱な室町幕府を揺さぶり戦国時代の幕を開けた応仁の乱の当事者の一人の臣下の物語。
 室町幕府の二大巨頭。細川と山名。日本国の六分の一を所有する六分の一衆と言われ細川勝元。
 そして以後は国元の四国の統治をおこなうそ家老の三好氏が実権を握りのし上がってきた。
 京都の室町幕府を牛耳る三好氏。しかし更にその家老の松永氏が台頭する下剋上の戦国時代。
 その松永久秀の実態に迫る142枚の連載長編が今号では一番の興味をそそられた。
 かつては「歴史読本」等の月刊誌があり図書館で手軽に読めたので歴史ファンとして読んでいた。
 廃刊となり日本史関係雑誌が身近になく、この作品を興味深く学びながら読ませてもらった。
 氏は奈良県在住で当誌の発行人としての重責を果たしながら多くの作品を生み出している。
 徳川家康・豊臣秀吉などの歴史上の有名人は多くの作品になり読者も多い。
 私も新聞連載になった津本陽氏の織田信長記「下天は夢か」は毎日欠かさず読んでいた。
 しかし近畿地方の戦国大名の松永氏についてはあまり興味がなかった。
 「異土」が毎回送付されてくるので読みふけり松永ファンになりそうである。
 武士階級が平将門等で世に出た奈良時代から実力を蓄え平氏と源氏が時代の主役になった平安時代。
 そして源氏の鎌倉幕府。貴族階級の復古勢力による反攻期の南北朝時代後を抑えた足利尊氏。
 その足利幕府を支えた細川氏の家来たちの歴史としてこの作品を細かく読み込んでいる。
源平藤橘の話 源平藤橘とは日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を まとめた言い方である
 源平藤橘(日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を まとめた言い方)として現在まで日本の名家であり支配階級の根幹として連綿と続く家父長制度。
 日本人とは何か。それを基調にした視点で足利家の歴史の読みを行っている。
 発行所=奈良県生駒市青山台 342-98、秋吉好方、「文学表現と思想の会」(発行日=2017年6月)
紹介者=外狩雅巳・文芸交流会事務局長

「奏」34号・2017夏(静岡市)

| コメント(0)

2017年6月16日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「評伝藤枝静男(第一回)」勝呂奏】
 表題の郷土の私小説作家の詳細である。冒頭に講談社文庫に藤枝の短編集が2点刊行されていることに触れ、没後も一定の愛読者が存在することの現象として捉えている。
 たしかに、私自身も「悲しいだけ」をもっているし、それ以前に幾つかの短編を読んでいた。40才頃から執筆しはじめた藤枝の作品が、師とする志賀直哉とほぼ同量の作品を残した、と指摘しているのには驚いた。なぜ、藤枝静男の作品が意外にも? 読まれるのか。自分はその理由は、家族関係が題材になっていることが多いことだと思う。
 家族関係は、人間生活の基本的な構造に由来する。したがって、読み物好きには、興味深く感じる。場合によればもっとも大衆的な素材である。人間の好奇心に訴える物語にミステリ―小説があるが、それと同等な世間話的な家族関係も大衆的な魅力がある。横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の大ヒットもそうした両面をもっているためであろう。
 同時掲載の【「藤枝静男『家族歴』ノート」勝呂奏】と合わせて、藤枝の家族関係の細部は、愛読者には参考になる労作である。
 本論一部を読んで、私なり注目したところを上げてみると、まず藤枝の自我の形成についての手掛かりがある。人間の自我形成は幼児期にあると見るので、これによる藤枝の自我形成には、祖父や兄によって、愛情を与えられて、そこから無意識な自己肯定の基礎ができたこと。
 同時に、人間像へのイメージが尊敬する先輩や偉人の姿に置くという理想主義があって、彼の自己肯定感を満たすには、この境地に達すること、というビジョンがあったこと。
 そのために、自己批判と自己否定感の影を負っていたと見える。常にそれと向き合っていただけに自分は自分という自己肯定感によって、困難に打ち勝つ精神が確立された。志賀直哉の我儘にも見える自己肯定の精神に藤枝が同感したのも道理である。
 これと対象的なのが、太宰治で、裕福な家庭内ありながら、家族からどこか充分な愛情を受けているという、充足感を知らず、愛情不足を抱えた精神が形成されたのではないか。無意識に抱く世界感について、寛容性を感受するより、不公平感を持つ。僻みっぽく、自己肯定的精神が弱い。他者の気分を伺い、それに感情が左右される感受性が生まれる。太宰治の文学的才気の繊細さと、藤枝の図太いような作風は対照的である。
 今後はそれに関連した話題として、示唆されると思うが、藤枝の私小説が、ただ事実をもとにしただけでなく、そこから次元を超えた日本の風土に根差した異次元世界への展開を含む、想像力による手法に果敢に挑戦したところが魅力であろう。
【「小説の中の絵画(第六回)太宰治『キリギリス』(続)妻の願い」】
 太宰の作品にこのような絵画の場面があるとは知らなかった。妻の独白体の引用文を読んでも、女性の感性を表現するのが巧いし、女性の孤独感より、夫の孤独感が想像させるのは、やはり巧さと才能を感じるしかない。
発行所=〒420‐0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:

「群系」38号(東京)

| コメント(0)

2017年6月14日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌の36号が第6回富士正晴全国同人雑誌賞の大賞を授賞した。この賞は、徳島県三好市が郷土出身の作家・詩人の富士正晴を顕彰して同人雑誌に特化した賞で、地元で授賞式を行うことで、文学祭のような町おこし効果もあるようだ。特別賞に「水路」第20号、「文芸中部」第100号(名古屋)が授賞している。
 「群系」は文学史に残るような作家、作品の評論が主で、それが評価されたようだ。そのなかで小説もいくつか掲載されている。
【「青いアネモネからの風」荻野央】
 冒頭から「妻が交通事故で頭を強く打って意識不明となったその年の暮に、妹の亭主が自殺した。続けられたふたつの不幸によって今年の正月は、感傷が二重になってなまなましく、わたしにはきつかった」という説明があり、それを前提とした50代「私」の精神にかかわってアネモネの存在の様子が語られる。
 状況はかなり憂鬱な雰囲気にあるが、しかし、アネモネを観察観賞し、その美的な感覚を楽しむ「私」は、冷静な側面が半分あるようで、虚無的な精神から距離を置いている。散文詩的な感覚に、世俗的な出来事を組み合わせたもの。アネモネの存在する空気世界は、透明性をもった文章で光を帯びて明るい。詩的な一つの定型である憂愁のなかに、世界を悲観的なものとして受け取めない作者の向日性をもつ個性が良く出ている。
【「会長のファイル5『地縁・血縁』」小野友貴枝】
 市の公益社団法人・社会福祉協議会(市社協)の会長に就任した英田の組織改革の活動に向けた、地域の風土との調整の苦労を語る。地域の民間福祉団体が、各自治会を通じて会費が入っていることや、各種の利益還元もあり、会長はベテラン部下のすすめもあり、自治会の幹部に運営資料を届けるため、自宅訪問を行う。
 能率の良くない不合理なしきたりだが、実行してみるとそれなりに、風土と結びついた福祉活動の実体験として学ぶものを感じる。地域の民間福祉団体の組織活動の内部の実相が良く反映されて描かれている。実体験であるが故の曖昧な表現が、かえって想像力を働かせる余地を生み出し、それが多くの含みをもって、面白く読める。
【「大豆の戯言」野本恵理子】
 茅ヶ崎から三重県津市の別荘地に引っ越したこと、家族が3人であることなどが記さる。ある日、外出から帰ると煮込んでいた大豆が戯言を言ってるのが聞こえるたという。とりとめのない話だが、こうした断片の連続は、ツイッターの呟きを読むようで、今後の文学的手法の通り道を示すのかも知れないと思えた。
 メインの評論にも、いくつか興味をそそるものがある。いわゆる評論対象の作家について、読者がどれだけ知識があるかにかかる。データ―ベースの多い少ないに読者動向が左右される。その意味で、大衆小説やコミック、流行作家について評するのがてっとり早い。
 最近の「群系」には、そうした動向を掲載した編集がなされているようで、それが良い評価につながるのであろう。
発行所=〒136?0073江東区大島7?28?1?1336、永野方。「群系の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:群系

「海」95号(いなべ市)

| コメント(0)

2017年6月 6日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「アナザー・ローズ」宇佐美宏子】
 60代半ばの塔子は、眼の具合が悪くなり、病院に行く。すると、血液検査をされる。結果は梅毒による視神経の疾患とわかる。感染の原因は60歳で数年前に病死した夫しか考えられない。末尾に参考資料として、医学書が3点記されており、医師による事実の記録に同様の事実があったようだ。
 作品は、夫との生活の回想を中心に、病状の悪化を、薔薇の花やバルコニーの花壇の荒れようと並行して描く。話は孤独に暮らす塔子の回想が中心であるが、そのやり切れない孤独感が伝わってくる。小説設定からすると、他の手法もあるかと思うが、孤独を描くのに適した作者の資質なのか、本質的に人間は孤独であると強く認識させる筆力で、不思議な余韻を残す。こうした特殊なケースでなくても、孤独の表現が可能な作者のような気がする。
【「どこかへ」白石美津乃】
 定年退職者の政雄。妻の君江、82才になる母親の茂子は認知症気味。40才前の息子の弘。一度、都会生活をしたあと、実家に舞い戻って来て、居候をしている。それにペットの猫という家族構成で、ある種の現代家族構造の一典型でもある。政雅は、仕事を離れてしまって家庭内に居場所がない感じをもち、どこかに出かけることにする。自由であるが、孤独である。女性の手になるせいか、細部が実に小説的。
 人間社会は家族・市民社会・国家の構造のなかにあるとヘーゲルの「法哲学」にある。家族は愛による共同体という一体感をもち自由であれば良いとしている。家庭内の自由がどういうものか、この作品の家庭は一体感は失われている、自由であるように見えるが、幸せの条件を満たしていない。マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」で、資本主義国家の経済的階級格差がヘーゲルの主張を裏切るとしている。しかし、これは息子の弘の経済生活の不満足の現状とはマッチしないようだ。本作品の家庭内生活ぶりを読むと、現代はヘーゲルやマルクスの発想を超えた段階にあることを示している。ただ、よく描かれた小説の家族構造は、社会科学の時代性の問題提起をも表現しているように思える。
【「水谷伸吉の日常」国府正昭】
 理髪店の主人が、お客が減ってしまう。経済の高度成長時代の人口増の反動と、高齢化で頻繁に髪の手入れを必要としない人が多くなった。そうした時代の流れに逆らえず、近隣の精神的発達障害者の施設に出前の仕事を引き受ける。淡々とまじめに仕事をする主人公の姿を描く。社会環境というのは、必ず変化することを実感させる。
【「夕霧理容室」紺谷猛】
 こちらの話は、50年前の団地生活ブームに合わせて、地域に必要となり開店したので、順調な時期が続いたことも話題にされている。この時代は、農村地帯からの大量人口移動が起こり、農業から工場現場へ、工場事務員が人口の半分近くになった。農業からサラリーマンになる人が都会に集中した。いわゆる団塊の世代の現象である。そのベッドタウンとしての団地造成があった。そこで良い商売になったのが、耐久消費財の電機メーカの系列電器店である。しかし、電気製品の普及が進むと、まず大型電気店に押されて消えて行ったのも系列電器店である。それに比較すると、理髪店の衰退はゆるやかである。
【「河岸をたたく雨」宇梶紀夫】
 農民文学賞受賞作家の鬼怒川ものともいうべき、一連の地域歴史時代小説である。「おさと」という料理茶屋の女中の見聞を軸に、当時の商売、庶民の男女のふれあい、鬼怒川の増水による輸送船の転覆事故など、さまざまな悲喜劇が語られている。各地に郷土史家や郷土作家がいるが、これも地域風土の雰囲気を再現しているように読めた。
【「『世代』初代編集長 遠藤麟一朗のこと」久田修】
 作者のエッセイ風の前半につづき、「世代」という文芸誌の編集賞であった遠藤麟一朗というエリート社会の文学者の年譜がついている。知らない文学者の話だが、が形式にこだわらない自由な書き方が、読んで面白い。
発行所=〒511?0284三重県いなべ市大安町梅戸2321?1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

カテゴリー:海(いなべ市)

2017年6月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

カテゴリ

最近のコメント

月別 アーカイブ