2016年12月アーカイブ

「奏」2016冬号(静岡市)

| コメント(0)

016年12月24日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  本誌には、「新資料・小川国男『藤枝教会史』」(解題/勝呂奏)が掲載されており、興味深かったので、自分なりの意義を「暮らしのノートITO」に書いた。
【「屏風のような」小森新】
 話は井上靖文学館での米神礼三館長と企画展での交流と館長の突然の訃報を知るところから始まる。そこから、作者の父親の死に目に会えなかったことへの感慨が語られる。これを読んで気づいたのは、肉親との死別の事情を語ることは、その人の境遇や人生の一断面を浮き彫りにするということである。この作品では、父親の死期が近いことが分かっていても、予めそのための準備のような行為をすることをためらう心理が描かれている。そして、死別に立ち会えなかった、やむ得ない事情があったのだが、心残りの気持ちを独り胸の内にしまっておく。米神館長と父親への想いを表現する。――作品の読者としての自分の父親への思いと、比較したりした。自分の場合、父親にとって悪い息子であることを、晩年の介護生活のなかで自覚があったので、今のところその罪の意識に変化はない。
【「芹沢光治良『感傷の森』論」勝呂奏】
  芹沢光治良の作品「感傷の森」の敗戦後の日本人の精神の支えを意識して書かれたことを評している。太平洋戦争の責任、敗戦の責任追及の精神よりも、戦後を生き抜くことへの努力に重心がある作品のようである。これは、やはり人間の愚行を飲み込んだ宗教的な精神が働いていたのかも知れない。
  昨年だったか、都内の図書館で、ご自由にお持ちくださいの棚に、芹沢の全集の茶色のようなクリーム色のような本が並んでいたのを見た。これも時代というものだろう。
【「小説の中の絵画(第5回)太宰治『きりぎりす』―『私』の言葉」中村ともえ】
  太宰治の女性の独白形式1人称小説に関する評論。内容とは異なる受け取り方かも知れないが、太宰の表現力の多彩さ、巧みさなどがわかり、小説はまだまだ技術的な可能性を多くのこしているのではないか、という気持ちになった。
発行所=〒420?0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。

カテゴリー:

2016年12月21日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 「海」は第二期なので通巻では84号となる。九州では文学的歴史をもつ文芸同人誌です。今号では高岡啓次郎「書斎の雨音」に目が留まりました。主人公の姉が結婚後も夫との不仲に悩む姿を描写している。幼少時には母親代わりに主人公等の兄弟の面倒に奔走し婚期が過ぎそうなので見合い結婚をしたが料理人の夫とは理解しあえず苦労した末に先立たれる。その葬儀に北海道から関東まで出向く。読み進むと心象風景と実際の風景との対比が迫ってくる。雑誌「文芸思潮」での入選作品を加筆して掲載したそうである。授賞式で見た高岡氏は若く溌剌とした文章力を反映させるような人でした。
 高岡氏は、九州の同人誌にも参加して掲載する多忙な人気者です。どれも、水準の高い安定した作品を続々と送り出しています。
 「海」(第二期)誌の主宰者である有森信二氏とも「文学街文庫」で共に掲載した事も有り毎号必ず贈ってもらっています。 今後も遠方でも同人誌活動に励む知人とは励まし合っていきたいものです。
 編集発行人=〒818?0101大宰府市観世音寺1?5?33(松本方)。「海」編集委員会。
紹介者=外狩雅巳(町田文芸交流会事務局)

カテゴリー:海(第二期)

2016年12月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は文学同人誌という通称をしているのを、どこかで目にしたことがある。それが印象深いのは、内容が文学的な芸術性をもって粒ぞろいであることだ。その意味で、概要を<暮らしのノートITO>に掲載した。
 文学同人誌と文芸同人誌のどこが違うかというと、文芸ーーの方は、文学性の強い作品と、ただの生活日誌的な作文や娯楽小説とが混在していることであろう。それはそれなりに、社会の世情を反映した親しみやすさをもたせる良さがある。しかも同人会員として、出版費用の負担をすることの支援になるわけである。
 読書愛好家専門新聞などの文芸同人誌評などは、その膨大な作文の類を分け入って文学的な意義のある作品を選び出しているようだ。文学的な野心をもった同人誌でも、こうした作文や読み物との混在で、先鋭てきな文学部門が、埋没してしまうことが起きる可能性があるかも知れない。
【「蜜の味」新村苑子】
 描かれた土地は明確にしないが、土着性の強い風俗を土台にそれが「昭和46年11月中旬のこと」とまず明確にする。飲んだくれの夫と、障害をもつ長男元雄と暮らす主婦キクエの生活の貧困生活を描く。その中で、家出をした次男の光雄が、東京で身元不明で亡くなった男とド同一人ではないか、と警察から告げられる。どうのようにして東京に確かめに行く金を工面するのか。さまざまな問題を抱えるキクエの疲労した神経。そこで観る白日夢を描く。
 重みと粘りのある文体は力感に溢れ、作中で緊張感を生むような語りの構成が、物語の興味を生む手法として成功している。これが長篇小説の一部ではないかと、思わせるところもある。
 作者は「新潟水俣病短編小説集?、?」(玄文社)を刊行しており、「律子の舟ー新潟水俣病短編小説?」で2014年の第17回日本自費出版文化賞各部門賞・大賞の小説部門賞を受賞のほか、新潟県の文学賞なども受賞しているようだ。
発行所=〒945?0076新潟県柏崎市小倉町13?14、玄文社。
紹介者「詩人回廊」北 一郎。

2016年12月16日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 編集をしていた北原文雄氏(71)が、本誌を発行後に亡くなったことを知った。北原氏は農民文学賞受賞など数々の賞を受けた純文学作家。伊藤桂一氏が農民文学賞の選者をされていた時に、しばしばお会いした方である。ここでは、本号の編集後記として、同人作家の作品紹介を行っているので、その部分を抜粋編集させていただくことにします。「淡路島文学」」と同人への深い愛情が心にしみる紹介文と思います。
【一根一乗さん「淡島暮色」】
  架空の市民病院事務官を定年退職した加藤俊策の目をとおして、市民病院のあり方を問う一方、加藤家の祖父が東京から鐘紡S工場へ赴任したころからの、加藤家と鐘紡S工場とS市全体像を傭瞼的に浮かびあがらせる。筆者は医師であるから、病院の運営のあり方や医療施策に詳しいのは理解できるが、主人公俊策を書家と設定し、その書への造詣の深さに驚いた。妻瑛子と俊策の微妙な関係がなかなかおもしろく読ませる力作。
【宇津木洋さん「夕暮れの雲」】
  最近忘れ物が多くなったと主人公が述懐し、認知症が始まったのではないかと思われる事象を数多く語る。これが軽妙な語りで、「昔から自分はこのていどに迂闊でぼんやりしていたという思いがある」に至っては、同感して吹き出してしまう。ユーモアたっぷりの作品である。
【鈴木航さん「宗一郎の後悔」】
  高校から大学時代の宗一郎・圭太・華の交友から、華が圭太を選び結婚したが、圭太は一年後交通事故死するまでを描く。葬儀前に華と会った宗一郎は、圭太の人間像を知る。恋仇の圭太に酷い仕打ちを後悔する話しであるが、若者らしい会話と感性に新鮮さを覚える作品である。
【長木玲子さん「猪尻侍の逃避」】
    地域史を踏まえた長木さんの連作の一つであるが、語り部にマキと山家を登場させながら、徳島藩家老の稲田家の歴史的物語への関わり方が筆者の目で書かれている。マキと山家を有効に動かすべきであったと読後思った。
【芳谷和雄さん「サイパン紀行」】
  近くの農家の男性で、よくお世話になっている先輩である。同人ではないが、父親の戦死したサイパン島へ慰霊の旅に出かけた。その土産に添えられた手紙であるが、胸を打つものがあったので、本人了解を得て掲載させていただいた。
【大鐘稔彦さん「歴史小説と取り組んでーその余話(抄録を兼ねて)1」】
  3月に出版された三千枚の長編小説『マックスとアドルフその拳は誰が為に』上・下本の執筆裏話である。7月9日、なごやかな出版記念会をしたが、そのお礼まで書かれていて恐縮である。
【樫本義照さん「灯明はいずこに」】
  友人澤田と、癌治療中のその妻節子の夫婦愛を理解出来にくい石本をとおして、人の生涯を見つめる物語である。筆者の分身らしい石本が、これまでの作品とちがって、坦々と描かれる場面が多くなっているのは、筆力を大きく向上させたと言ってよい。
【野崎俊さん「徒然入院の記」】
  お酒をこよなく好きな主人公の、お酒の失敗談が多く語られるが、お酒好きの者ならだれでも共感できるものをもつ。失敗を重ねながらも、体調を崩しながらも、悲壮感がないので、かえって面白い軽妙な作となっている。
【植木寛さん「亜利婆と玄五郎丸」】
  後期高齢者夫婦の、よか夫婦振りを描く。大晦日に正月から夫婦で互いの呼び名を、夫玄太は玄五郎丸、妻亜利子は亜利婆と決めて元旦を迎える。近親者が次々に他界していく悲哀を描きながら、この夫婦のありようは、随所におかしみを感じさせる好篇である。
【北原文雄「朝の夢」】
  ある朝のはしたない夢のお話しに、庄一の日常の断面を切り取り描く短編。
【藤井美由紀さん「緑の庭」】
  スナック経営の姉遙子が癌闘病のうちに亡くなり、妹志帆が横浜から帰り、淡路島のスナックを継ぐ。幼くして海難事故で両親を亡くし、年の離れた志帆は姉遙子に母代わりとなって育てられた。姉妹の確執もあったが、病気の介護の中で認め合うようになる。店の名「緑の庭」の命名のいきさつを、ストーリーテーラーらしい巧みな謎解きで、読ませる作品である。
  ▼松下利明さん、橋本正信さんの二人の詩人が本誌にいて、小説作品だけではない文芸同人誌を発行できることを幸いに思っている。合評会をたのしみにしたい。
  ▼追悼「二人の先生」は、本誌の支援者である溝上眼科院長溝上国義先生と、倉本皮膚科院長倉本昌明先生がこの一年で、つづいて亡くなられた。急遽三根一乗さんに執筆・をお願いして、掲載できた。ご冥福を祈念申しあげたい。
  ▼本号は三根さんと藤井さんの作品以外は短編特集のようになった。最近は?頁近いのが常であったが、12号は150頁ほどのものとなった。感想批評をお寄せいただきたい。(北原文雄)
発行所=淡路島文学同人会。〒656?0016兵庫県洲本市下内膳272―2、北原方
「淡路島文学」12号について神戸新聞2016年9月10日付けにおいて北原文雄氏へのインタビュー記事にしています。

カテゴリー:淡路島文学

2016年12月14日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「鬼草紙」西田信博】
 仏教説話にある人間世界の彼方、天界の入り口にある須弥山を舞台に罪と罰をめぐって、人間と鬼が天界と人間界の双方をかけめぐる話。最近同人誌で読んだ作品の中で、題材と文体の工夫に優れて実に面白い。「今は、昔のことである。仁和寺当たりの僧に、如真と云うは、いわゆる悪僧だった」という出だし文のおおらかさに示されるように、古文のリズムと話のスケールの大きさで、気持ち良く読み進められる。人間の善悪と仏教思想の啓蒙にも意義がある異色作である。
【「アクリルたわし」田中修】
 東電福島第一原発から5年。作者の義兄は、相馬市の原発から北西約10キロ離れた場所にある。3.11の大震災には、新築間もなかった家が山沿いにあったため、屋根瓦がこわれた以外に大きな被害はなかったという。しかし、原発事故のため自治体からの避難指示がないものの、親戚の家を転々として避難生活を送った。福島市内の親戚の家を避難に場所に申請し、食料品の配給を受けていた。義兄の母は、当時93歳でつらい避難生活を余儀なくされた。
 作者の家は、茨木県笠間にあるが、避難場所の団地生活からの気分転換に二カ月に1回こちらに来て、気分転換をはかっていたという。そんな母が、アクリルたわしを手作りしたところ、関係先々で評判になったという話である。原発が事故を起こすと、さまざまな不幸を人々にもたらす、その多様性を感じさせる。
 ここで、自分が注目したのは、次のとことである。「母には一男四女がいた。私の妻が四女である。次女と三女は、大震災の数年間前、ほぼ同じ頃に治療困難な癌と診断され、同じ年に亡くなったのである。次女は63歳、三女は57歳の若さであった。」という事実である。
 じつは、事故を起こさなくても原発は常時トリチウムという放射線を放出している。身体に害があるが、無害のところまで薄めることで、海などに放出されている。しかし、日本各地のほか、ドイツの原発所在地では、事故がないにもかかわらず癌患者が多く出ていることを、住民たちが肌感覚で知っている。現在、ロシアでも高額の予算を組んで原発からのトリチウム除去装置を開発、日本に売り込みをかけているというニュースもある。
 福島県に被災者支援、福島県に頻繁に通っていた家族やボランテアの幾人かが、癌と診断されたという話も都市伝説的に流れている。いずれにしても、精神的に福島の影響かと疑惑に悩まされるような要因は、なくしたいものだ。
 発行所=〒309?1722茨城県笠間市平町1884?190、田中方「文学を愛する会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:アピ

「異土」13号(奈良県)

| コメント(0)

2016年12月 5日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は長編評論が多く、読むのに時間がかかる。内容が専門的で、ほとんど学術書である。自分などは知識がなく、まさに学ぶための読書となった。小説2編もあるが、まず、評論のタイトルを紹介する。
 紀井高子「J・M・クッツエー―コウモリであることはどのようなことか」(108枚)=クッツエーは、「恥辱」で2003年のノーベル文学賞受賞の南アフリカの作家。ブッカ―賞を2度受賞している。講演で自らの小説を読み上げたそうで、その作品「動物のいのち」の解説である。我々には縁遠いような作家でも、日本語の訳が出る。日本人の文学的な知見は実に多彩である。
 松山慎介「『海辺のカフカ』は<処刑小説>?小森陽一『村上春樹論』批判―」(159枚)=話題性とデータベースの厚さではこれが一番。小森陽一「村上春樹論」を紹介し、村上の「海辺のカフカ」に対する小森の批判を検証している。「海辺のカフカ」には、多くの歴史的事実と文学作品が関連しているため、小森の文学体験や漱石論など、「テクストの構造分析」「文脈」などをからめ文学と政治思想の関係に結びつけている。
 野武政「ゲーテ――愛と真実を求めて」(111枚)=ゲーテといえば「ロミオ とジュリエット」かもしれないが、「若きウェルテル」は、若い読者が影響を受けて自死するのが流行したというからすごい。芸術で人が死ぬのである。現代に果たしてゲーテの思うような恋愛というものが、文学作品で書かれているのか、という視点で読むと、恋愛の不思議さを改めて思わせられる。
 月野恵子「評論?・女画師平田玉蘊」(93枚)=平田は画師として頼山陽との恋愛関係が話題になったそうだ。田崎勝子「田岡嶺雲―近代天皇制国家成立期に生きた男」(147枚)=明治の文化人の評論。秋吉好「ビワ湖他界観諸相―ダウテンダイと井上靖」(168枚)=いずれも、話の広がりの大きさで、散漫さのなかに瑞々しい存在感を示すところがあり、ビワ湖伝説の研究者がいるとすれば貴重な資料とされる可能性がある。
【熊谷文雄「顔がちがう」】
 会社の慰安団体旅行という、今ではあまり行われない行事。旅行先は、韓国でのバス旅行。板門店も見学する。韓国のバスガイドは、中年ながら美人で日本語が流暢で、人気を得る。美人ガイドの話から、板門店から見える北朝鮮兵士の顔が幸せそうでない、わびしい顔になったという。また、韓国人も良い顔つきとは言えない、と感想を述べる。そこで、日本人の顔はどうかと訊くと、豊かな顔をしてると、外交辞令の感想を述べたので、一同、満足する。その話と、関西の財閥家の娘と出会った男。現在は一介のサラリーマンだが、これから男一匹の事業家としを目指している自分に、財閥の家柄の女性を伴侶にできないと、別れを覚悟して彼女にそれを告げると、女性は彼のどこまでもついて人生を賭けると伴侶となる意思をしめすところで終る。
【「みなと遊園」湖海かおる】
 昭三は、妻に無断で娘の夕子を「みなと遊園」に遊びに連れてひとときを楽しむ。近くのフェリー乗り場で、昔の恋人に出会って、別れてからの消息をしる。夕子の生活ぶりも入ってなかなか面白い。
 ただし、こうした小説創作は、評論に比べると、ボリュームも風格も貧弱に見えるのは確かだ。それがデータベースのある評論と、無から有を生む創作の難しさと立ち位置の違いなのであろう。
発行所=〒650-0015奈良県生駒市青山台342-98、秋吉方。「文学表現と思想の会」 
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

「文芸中部」103号(東海市)

| コメント(0)

2016年12月 3日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「『新カラマーゾフの兄弟』の風土」三田村博史】
 ドフトエフスキー作品の翻訳者である亀山郁夫・名古屋外語大学長による「新カラマーゾフの兄弟」の愛知県人と地域を舞台に描かれた部分を、風土的視点に絞って解説したもの。
 作品に、愛知関連記述部分の言及に付箋をしたところ、百か所を超えたそうである。その割には、愛知県的な風土色が薄いという。しかし、本編の引用と解説によって「新カラマーゾフの兄弟」の物語の一面を教えられる。とくにロシア文学は、大地性というか、郷土的風土性、神秘性を帯びていることへの対比としても亀山作品「新カラマーゾフの兄弟」との対比が学べそうだ。
【「影法師、火を焚く(第四回)」佐久間和宏】
 理由は分からないが、おそらく文学性における異なるものの面白さであろう。
発行所=〒477?0033愛知県東海市加木屋泡池11?318、三田村方「文芸中部の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:文芸中部

2017年1月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリ

最近のコメント

月別 アーカイブ