2016年7月アーカイブ

「海馬」39号(芦屋市)

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2016年7月20日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「玄冬の草」小坂忠弘】
 若き頃の持ち物のなかに、良寛の短歌があったことを冒頭に記し、散文に傾倒していたころ短歌の結社において、
――散文のために詩歌は害なれと避け来し我もや今は歌詠む――というものを詠む。そして、自作短歌を区切りにし、70枚にわたる長編散文詩という形式に挑んでいる。
 菊池寛が「詩は将来なくなる」と論じたことがあった。まさに、現代詩は、絵画の抽象画パターンと具象画、具象イメージ画という分類が出来たのと同じ状況にある。抽象詩は、読者の感受性を頼りにした表現であり、具象詩は行替えをする散文となった。そうした現状のなかで、本編は、詩の方向性をさぐる興味深い試みに読めた。終章には――今私は拙い詩文を閉じようとして何故か「花無心招蝶蝶無心尋花」という良寛の詩を思い出している。それが今の私に遠い風景か近い風景かは自分には分からないけれど。――とある。
 短歌における詩の要素と散文における抒情とを組み合わせたもので、今後の長篇散文詩のひとつの形式の開拓になるのではと、期待したい。
体験をそのまま書いても、生活日誌であり、時には作文になる。文芸風味をつけるためには、やはり散文芸術への創作的自意識が必要である。そういう意味で、本編は含蓄に富んでいる。
発行所=〒659?0053芦屋市浜松町5?15?712、小坂方。海馬文学会事務局。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:海馬

2016年7月 8日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「姫、峠越え」宴堂沙也】
 地元の神奈川県とその周辺は、武蔵国といわれていた。武田信玄の娘を峠越えさせる話を中心にし、郷土史から題材をとっている。なかなか面白い読み物である。とくに、文体が、庶民に身近であった講談調を取り入れて、語りに安定感がある。このところ、職業作家も語りは現代調になっているなかで、双方の良さを取り入れたリズムと味わいがある。懐かしさを感じさせて、なかなかの文才を思わせる。
【「砂時計」五十嵐ユキ子】
 中年過ぎての夫婦関係の心理を描いて、文芸的な意味で、よくまとまっている。夫婦で映画館に行ったが、映画が終わって、妻の私がお手洗いにいく。当然、夫が待っていると思っていたら、先に帰っていて良いと勘違いした夫が、そこに居なかった時の記憶。その気分が簡潔な表現で、心を打つ。
 それと息子を交通事故で亡くしたこと。その後の夫の行動など、断片をつないだものだが、その行間に読者の想像力を喚起する仕組みが活きている。短い作品だが、長い物語の時間を内包しているのが、効果的である。
【「やるまいぞ  須田貞明から黒澤明」登芳久】
 無声映画時代に活弁士であった須田貞明という人物と、交際のあった黒澤明の家庭環境から話を進める。また、三船敏郎との関係の一面を紹介している。監督論やシナリオ論では知ることのない事情がわかり、興味深く読める。
【「夢のある日々」外狩雅巳】
 どういう訳か、インターネットの詐欺メールとの交流をはじめた年金生活者の対応ぶりを描く。何億円かを処分したいので、千円を振り込んで、銀行口座を通知すれば億単位の金をおくるというのだが、そのような金がありすぎて困る状況がどうして生まれたかを説明する話が面白い。背後に、現代的な孤立した年寄りの多さや、わびしさを感じさせる。
発行所=相模原市中央区富士見3?13?3、竹内方。「相模文芸クラブ」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:相模文芸

2016年7月 6日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「星と花 R共和国奇譚」井本元義】
 作品の必要条件とも思える、憂鬱状態の「私」が、多数の部族で構成された山岳民族国家R共和国から招待される。80年に一度のベルセウス座の大流星群が見られるという。そこで、「私」は、その招待に応じて、訪問する物語。設立して70年というこの国は、伝統と近代科学を両立させたようなところがある。そこで、書かれるのが、食虫植物の存在と、しきたりとしての鳥葬の様子である。
 フランスの象徴派、ボードレールの視点と、なんとなく佐藤春夫、福永武彦の作品世界を思わせる雰囲気で、鳥葬の細部にわたる説明や、食虫植物存在感が文芸的に味わえる密度の濃い作品である。文学的表現の高度な技術の見本のような世界を展開される。読ませられながらも、その表現力に舌を巻くとはこのことであろう。読んでよかったと思わせる。食虫植物に食べられる「私」が活きている。やや、ディレッタンチムの気配があるが、上質な純文学の世界を楽しめた。
【「機縁因縁」中野薫】
 保険金殺人事件の犯罪関係者と警察官の活動と犯人が死刑になるまでを描いた犯罪小説。新聞による事件報道をヒントに、小説化したものだという。ここでは、警察官も人間、犯人も人間という視点を崩さず、警察官の職場での立場を冷静に描き、同時に犯人とその周辺の人物を、説得力をもって描き切っていることに長所がある。作者の洞察力と筆力が一致して、大人の読み物として優れている。これも上質な社会派的中間娯楽小説に読める。
 発行所=〒818?0101大宰府市観世音寺1?15?33、(松本方)「海編集委員会」
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:海(第二期)

2016年7月 5日 (火)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「子どもの風景」武藤武雄】
 大東亜戦争中の日本帝国主義時代の子ども達の生活を通して、その空気を伝える。徴兵制なので、昭和19年に恒夫は招集され、万歳三唱のなかで出兵し、両親は20年8月29日に戦死の通知を受ける。この時代の子どもを描くことで、時流に抵抗できない状況の国民の姿を浮き彫りにしている。丁寧に描かれた時代の証言である。
【「山崎川」西澤しのぶ】
 エッセイ風であるが、現代を描いた散文である。戦場ジャーナリストのジムという記者が中東地域で行方不明となり、気にかけていたが、その後無事とわかる。そして日本の平和に感謝する。現在性に富んだものであるが、作文的であるのが惜しまれる。
【「広島と靖国神社」三田村博史】
 詩人としては、難解さのある作品を書いている作者だが、これは散文で解釈にまぎれがない。作者は戦前に朝鮮の日本人社会で育ち、戦後に釜山から門司へ引揚げてきた体験を踏まえ、昨年広島に行った話から始まる。朝鮮での生活意識に子どもだったので、差別意識はなかったという。そして広島の原爆ドームを見て、そこに被ばくの証拠としてのプロパガンダの要素の少ない展示法に、不満を覚える。その後、九段会館から靖国神社へ行く。その間にマンミャーに行った經驗がはさまる。そして憲法9条の強化を希む意見を述べて終わる。
 散文は、時代の中の文芸のひとつの有力な手法だと思う。その点で、自分たちの上の世代の現代感覚を知るひとつの手掛かりにはなる。
【「音楽を聴く(72)」堀井清】
 毎回、前半をオーディオ音楽鑑賞の話をし、後半で芥川賞候補や受賞作品についての感想があるという形式が、楽しく読める。今回は、滝口悠生「死んでいない者」について、辛口の印象が記されている。この小説のタイトルについて本作では「死んでない者」という読み方だけの意味で評しているが、作者は「死んで、居ない者」と死者のことを指す意味にもとれるように、意図的にしているのではないかとも思える。
発行所=〒477?0032愛知県東海市加木屋町泡池11?318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:文芸中部

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