2016年4月アーカイブ

2016年4月14日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 純文学商業誌の有力なものは数誌を読めばよいようで、文芸時評を読んで作品の選びようがある。ところが同人誌となると、どれを読めば良いのか、わからない。本誌は十二作品があると、後書きにある。若い人も多いらしく、それが作風に感じられる。気になるのは、世代の差で、共通の価値観で読み取れているかどうかだろう。
【「アゲハの卵」小畠千佳】
 珠名は、食堂に違和感をもち、医者に胃カメラで検診をうける。神経性胃炎程度で異常はみつからないという。しかし、彼女にはそこに虫がいるのが見える。小説としては、それだけでかなり問題なのに、彼女には入絵という姉が同居していて、別々に住みたがっている。これも問題である。おまけに珠名は子供を事故でなくし、自分も交通事故にあって、一時体の不自由なときがあったという。材料を並べ過ぎの感じで、短編小説として、そんなに材料が必要とは思えない。カフカのザムザは、存在が虫なったのに対し、本作は虫がつく話。あれこれ語って、全体的に、自己存在感の不協和が語られるのであるが、珠名のこの世がいやになってしまう気分が、読んでいやになるほど伝わってくる。
【「僕とマリーとヘソの夢」赤井晋一】
 僕のへそが移動していると彼女に教えられて気づく。実際にへそはお腹のまわりを一周しているのだという。それが元の位置に収まるまでに、マリーという彼女との関係が妊娠という出来事を通して無事進行する。なんでもないようなことが、大事なのだとわかる。何事もなく、それでいいじゃないのかなーーと感じさせられる。
【「ホッパー」西田恵理子】
 大学生の生活生態をソフトなタッチ文体で描き、なかなか面白く読ませる。魅力を感じさせるものがある。拓海という若者が崖から落ちて死んでしまうのだが、なんとなく無念という気分を表現して、残念に思わせるような吸引力がある。このような雰囲気小説というものが、描かれた同世代人にどう受け止められるのか、気になるところ。
【「赤塚山のチョンス」住田真理子】
 昭和二十年の戦時中に、朝鮮半島から徴用されて日本の赤塚山で差別をされながら働かせられていた若者たちが、米軍の空襲で壊滅したので、それを機会に逃げ出す。
 朝鮮半島人へ日本人が抑圧してきた歴史を受難者側からの素材で描く。作品に力があり、読ませる。歴史認識への思慮を深めるためにも、現在こうした事情を描くのに意義を感じる。
 参考資料として、「豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場」(これから出版)と「歌劇の街のむひとつの歴史 宝塚と朝鮮人」(神戸学生青年センター出版部)があげられている。こういう書き方も必要であるが、別の角度から内面に隠された不幸感に踊らされてしまう、人間性の側面を明らかにするのも文学の仕事であるような気がする。
【「いつもここで朝になる」善積健司】
 夢のなかの自己探究になりそうな作品であるが、「赤塚山のチョンス」と対をなしたところまで到達点が見えればもっとよかったかも。
 他の作品も読んだが、それぞれ文学的な表現法にこだわったもので読み応えがある。とくに今回の高畠寛「同人誌評」欄の「雑木林」16号掲載の評論・安芸宏子「北川荘平論」は、「暮らしのノート」サイト「雑木林の会ひろば」でも紹介をしている。大阪文学学校の歴史の重みを感じさせる。
発行所=〒536―0042=大阪市阿倍野区丸山通2?4?10?203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

2016年4月 5日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

  本号は、福島原発事故の5年目を迎え、大手メディアの伝えない現場情報に特長がある。文芸誌ではあるが、ジャーナリズム雑誌でもある。その視点から《暮らしのノートITO》のサイトで、まず報道した。大手メデアが権力に迎合する傾向の中で、知るべき事実を伝える手段として有効であることを再認識させられた。
【澤正弘「原発小説論(六)?3・1以前の小説(?長井彬『原子力の蟹』について】
 この評論で、長井彬「原子力の蟹」が推理小説であり、約35年前の第27回江戸川乱歩賞受賞作であることを知った。本格ミステリーでありながら、社会問題として、原発ジプシーいわれた各地の原発を転々として働く労働者たちの様子、それを管理する会社の杜撰な人員募集体制...など、その仕組みが、2000年に東海村で起きた臨海事故で、マニュアル無視、裏マニュアルの仕組み。3・11の福島事故後の現在に至るまで、変わらない状況を示している。
 この小説には、1961年米国アイダホフォールズの実験動力炉で起きた暴走事故(核分裂現象が5千分の1秒で逸走)で被ばくして亡くなった3人の原発労働者の事故の事実が記されているという。彼らの死体は事故後の20日間までは極めて高い放射線を放出したため、その後、身体は切断され高レベル放射能廃棄物とされて処理されたことが(注)にある。
 こうした原発の非人間的な存在に警告をした本がいくつもあることを知ることができる。人間の金銭崇拝の精神が、科学への過剰な期待のための盲信につながってきた。求められるのは、人間の本性を見据えた意識改革。これが進まなないかぎり、どんな警告の書も無視されるであろうということがわかる。
【武田房子「水野仙子書館】
 福島県出身で、田山花袋に弟子入りし、当時の文人と交流のあった作家の書簡である。病に倒れたのちの手紙類だが、その生き方が垣間見えて興味深い。
【石井雄二『ウェルテル』引用の意味】
  中野重治の「歌のわかれ」の中にゲーテの「若きウェルテルの悩み」が引用されている場面を取り上げ、中野重治の作品との関係を解説している。私小説的作品のなかの文言を事実ととらえて、その検証をしているのだが、それを調べて歴史的事実と一致することがわかったのには驚かされた。また、前回、「街あるき」という作品の解説のbなかに事実誤認があったとする、磐瀬清雄氏の指摘なども、よくあることで興味を誘った。
発行所=福島市蓬莱町1?9?20、木村方「ゆきのした文庫」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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