2015年3月アーカイブ

2015年3月15日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「『杉浦明平の日記』のことども」三田村博史】
 多忙な文学活動の日々の記録。表題の杉浦明平の敗戦前後の日記の抜粋を読ませていただいたが、その小冊子を作成するまでの経緯。同人誌「海風」発表のものと、その元原稿の入手に杉浦家を訪れた話がある。とにかく戦争に負けることはわかっていて、国民は「もうやめようよ」と言いださないのか、言い得ないのか。その時代の本音に触れているので、公表したものと原文とは差があるのだという。自分も秋葉原の電器屋の店主たちなど、戦時中は、低周波と高周波の情報は聴いていたので、戦況はすべて知っていたという話をきいていた。要するに知っているだけ、わかっているだけでは、どうにもならないのである。三田村氏も、世界の時代の流れが帝国主義の覇権争いのなかで起きたこととして指摘している。また、国際的な視点の第二次世界大戦と日本人にとっての大東亜戦争意識とは差がある。現在の安倍内閣はその意識のずれを浮き彫りにしているーー。そんなことを考えさせられた。
【「時の欠片」朝岡明美】
 小枝という高齢女性の体験と過去の時間の意識のよみがえりを追う。町を散歩しながらというか、彷徨うというか、その時々の記憶が意識の中で実在してることを描く。同居している息子夫婦からすると、一時、行方不明ということなっていたという話。落ち着きのある安定した平常心を反映する文章。「季刊文科」にも作品が転載されるなど、ただ巧いというだけでは言いたりないような、もの静かな表現をする。
【「時のゆらめき」堀井清】
 会話に括弧を使わない、特有の文体をもつこれもまた、安定した平常心をもちながら、俗世間を蒸留した表現力。友人の葬儀によって、まじかに迫った死を強く意識させる題材に、さまざまな晩年過ごす人物像を浮かびあがらせる。どこかにユーモアと皮肉を含んだ話運びで面白く読める。
【「彫師」本興寺 更】
 江戸の読み本は、版木に文字を彫って印刷していた。その文字の彫師の世界を版元や作者とのとの関係を描く。面白いし、味がある。最近は、時代小説の書き下ろし文庫が流行っているが、自分はいくつか読んだが、興味がわかず面白いと思ったことがない。本作は、それらのように骨格のある構成はないが、読む頁ごとが面白かった。
【「音楽を聴く(68)マックス・ブルック『スコットランド幻想曲』」堀井清】
 音楽再生装置というのは昔はステレオ装置といい、レコード再生装置とレコードに関しては作家の五味康介が音楽を文章表現していた。その後、団塊の世代が、外国音楽に熱狂し、再生装置も高度化しそれらをオーディオと称するようになった。オーディオ専門店が全国に発生し、名古屋ではどういうわけか、お相撲さんの絵を看板にした「ナゴヤ無線」という店もあった。その頃、音楽的雰囲気を文章でわかりやすく説明できるコピーライターが不足していた。なんでもオーディオメーカーが大手広告代理店に頼むと、「メカなら任してください。私はスポーツカーのコピーライト専門です」という人が来たとかで、メーカーから「あんたはどう思う」ときかれたものだ。ここではマーラーの気分を表現しながら、平野啓一郎の文学論、そして存在論まで及ぶ。エッセイの名品に思えた。
発行所=〒477?0032東海市加木屋町泡池11‐318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:文芸中部

「R&W」17号(愛知県)

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2015年3月10日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 自分は同人誌をカバンに入れて、電車やバスの待合や車中で読むことが多い。だから雑誌が到着すると、妙にそこで読んだことのある場所が浮かんでくる。「R&W」の初期はなぜか青山1丁目のビルの喫茶店で読んだ記憶がある。小説教室で学んで、さまざまな工夫が創作姿勢に感じられたものだ。それ以来、編集者の渡辺氏や装丁は変わらないが、書き手の様子は変化している気がする。書かれたものが、娯楽物と読めるものが多いが、中にはよく判らないながら文体が面白いのもある。読んで、ああそうですか、と済ませるのが妥当な気がするが、一応感じるところを記してみた。
【「SMOKIEの薄目見聞録」茅ナオミ】
 猫が語り手の連載物だが、語りの文章が面白くて、もしかしたら純文学になるのかな、と思わせる。
【「火の煙」萩田峰旭】
 呪術が使われる古代というか、昔の話で綬延という呪術使いの不思議な話で、自在な肩の凝らない文体と出来事が一風変っているので、面白く読んだ。
【「アンロック」長月州】
 未来小説で、小型無人飛行機ドローンが、空を飛びかい人間やロボットを監視コントロールする世界。若者の男女の、シュミレーション社会に置かれた状況を描くものらしい。
 若者の意識による世界からの視点で、非常に狭い空間域を右往左往する活劇描写は、書きなれた安定感がある。アニメ風の題材を小説化したような感じ。活劇小説のなかにも、社会機構に主体性を奪われた現代の窮屈な雰囲気を反映しているように思えた。
【「事故」松本順子】
 交通事故にあって意識を失った状態の女性の独白体というスタイルで、意識の流れを描く。事故を起こしたという加害者は、同じ場所で前にも同様の事故を起こしていたということが分かるが、それが謎めいていて因果関係がはっきりわからなかった。リアルな生活意識から抜け出したお話を作ろうという意欲が感じられる。
【「『足』考―人間は考える足である」渡辺勝彦】
 エッセイなのであるが、歩く存在としての人間について考察をしている。これが本誌の他の娯楽小説より面白く、娯楽になる。
 誰もが、自分の関心事を題材にして書くのであるが、読む方にしてみると疲れた。
 小説は、他人のどんな名作を読むより、凡作でも自分が書いた方が面白いと説いたのが菊池寛の「作家凡庸論」である。その論を基点にして、読者側の満足感と執筆者側の満足感の基本的な相違を指摘したのが「何故文学は人生に役立つのか」(伊藤昭一・文芸同志会)であるが、それを書いて、なぜそうなるかを明らかにしておきながら、読者側に回る自分に思わず笑ってしまうところがある。
発行所=480-1147愛知県長久市市が洞1?303、渡辺方。「R&W」編集室。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:R&W

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