2013年12月アーカイブ

「奏」2013冬

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2013年12月16日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【ぷらていあ「正宗白鳥『今年の秋』ノート」勝呂奏】
 正宗白鳥といえば、私は岩波文庫の戯曲のようなものしか読んでいない。ここに記されているようなエッセイでもなく私小説でもない「散文」というスタイルを構築しようとしていた事実をまったく知らなかった。興味深く読んだ。というのも、自分が趣味的な書き物として、歴史的事実としての資料性と、今の時代、それに語り手の「私」がメッセージを盛り込む。「私」は必ずしも現在の「私」ではない、というスタイルを作ることを考えていたからだ。一部実験をしているが、なかなか工夫が必要で、気に入るようにはいかない。ただ、作文をする過程の面白さは楽しめる。独りで詰将棋や詰碁を楽しむのに似ている。
 文壇の大御所だった作家と無名人とでは意味が異なるが、文芸の技術については関心が重なるところが面白い。いつの時代でも「この世に新しきものは無し」である。
【「父のこと」勝呂奏】
 父親の故・勝呂弘氏との息子の立場からの交流の思い出。立派な教育者で歌人であったエリートと、同じ道を歩む息子という構図が興味深い。なぜか日本にはエディプス・コンプレクスのテーマ小説はあまり読まれないようだが、ここでは本人が意識して話題にしている。お互いの対話の有り様が、なるほどと思わせる。親が無意識に期待していることを、息子がいくら意識させられないといっても、無意識に感じてしまっているものだ。立派な人といわれた父親の息子はやはり立派な人となろうと努力することがわかる。私の境遇は、勝呂家とあまりにも対照的である。父は継母に育てられ、丁稚奉公で尋常小学校も卒業していない。私が大学を出てからは、共通の話がなくて困った。碁や将棋を勧めても、お前が勝つにきまっている、とやらない。気位の低い変なところのある親で、とにかく趣味をもたそうと後楽園で場外馬券の100円券からの買い方を教えた。これがあたって、前夜には競馬新聞を読んで予想に夢中になった。100円で万馬券を当てると、大喜びして自慢しにきた。好き嫌いを超えて憎めないところがあった。姉妹弟、親類からは、息子が親に悪い遊びを教えたと批判されたものだ。立派でない父親と立派でない長男であった。いろいろ悩まされたこともあったが、死なれてみると、自分のどこかの細胞がなくなったような気がしたものだ。肉親関係の不思議なところだ。今回の「奏」は、そうした喪失感がよく伝わってくる。
発行所=〒420?0881静岡市葵町北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「照葉樹二期」4号(福岡市)

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<2013年12月 8日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>

照葉樹二期4号を送って貰ってすぐに読後感を書こう思っていたのだが、気が付いたら12月になってしまった。読んだのは小説2編、「順平記 その一『つばき』」(水木怜)「思い出を、ブラックで」(藤代成実)だが、読後感は1編のみ載せる。
【順平記 その一 「つばき」水木怜】
 読み始めたら一気に最後まで読んでしまった。
 主人公の順平の年齢は不詳だが、勤務していたIT企業が倒産したのを機に、母が亡くなった際に家を処分し、貸本屋を始めた。姉律子が塾の仕事が休みのときは貸本家を手伝ってくれ、何とか食べて行けるらしい。そんな順平が散歩の途中の神社に、いつもいる猫がいないのが気になって、さらに奥の方へ行くと朽ちかけた土塀があり、そこには順平の好きな藪椿が咲き乱れている。土塀の屋根には順平が気にしている猫「ゆき」もいた。椿の陰の方にレンガ色の屋根の家がある。そこには老姉妹2人が住んで居り、妹の名前はフサで終戦の年は23歳だったという。姉はコウといい、現在は神経を病んでおり、1964年からフサが介護しているようだ。老姉妹の家は祖父の代から医師で昔から椿病院と呼ばれていたという。
 ストーリーの環境設定はもうちょっと複雑だが、ストーリーは順平が老姉妹の住む家にある古い蓄音機の修理することに中心に置かれている。古い蓄音機を順平がインターネットを頼りにいろいろ調べんながら修理するところの描写がいい。現実にこのような修理ができるかは疑問であるが、小説の世界でのリアリティという意味では納得できる。今までほとんど喋らなかったコウが治った修理が終わった蓄音機の音に合わせてタンゴを歌い始めるのもいい。
 最後にフサ86歳、コウ91歳と正確な年齢をテレビのニュースで伝える形にしたのも面白い。
 読み終えて記憶に残る作品という感じがした。これから順平がいろいろな場面で特殊な能力を発揮するのを楽しみにしたい。

カテゴリー:照葉樹・二期

2013年12月 8日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「風の訪れ」猿渡由美子】
第26回中部ペンクラブ文学賞受賞作。一読して、この作品を選んだ中部ペンクラブの現代性というか、時代性への感度の良さを感じた。一般人が読んでも面白いと思う小説のスタイルを持ち、小説としての普遍性を持っている。私は送られてくる同人誌を通りすがりの第三者の立場で読ませてもらってきたが、そのなかで今年一番の作品である。(多少、歯切れがわるく、いわゆる下手に思うところもあるが)ー?それが言いたくて、早くから読んでいたにも関わらず、年が詰まるまで待っていたのである。
 小説は、語り手がどの立ち位置で書いてるか、最大の問題である。本作品は、作者が語り手としての立ち位置をほぼ確立するであろうと、予感させる。語り手の「私」を含めて3人のキャラクターを描いているところにある。
 本賞の選者の評によると、脱力系小説として評価したとある。そのなかでこの作品の本質を物語っているのが、ガチガチの私小説作家の吉田知子氏の評である。猿渡氏の立ち位置は、想像力で自分とは無関係な人物を生み出すという、純文学私小説とは対極をなすことへの戸惑いであろう。たしかに、これは娯楽小説に限りなく接近する。だからといって、つまらない小説でないといけないということではない。そこにおいて、吉田氏は、それが純文学小説として成り立つかも知れない、ということを認めている。その柔軟性に、別の感銘を受けた。
【文学講演会「小説の現在と未来」清水良典】
 記録者である遠藤昭巳氏の書き起こしの文章が素晴らしい。清水氏は、村上春樹がアメリカ文学の影響を受けて、手法がそれの真似である、と言われて不機嫌になっている話をする。そして、現代文学が自我を持たないという位置から創作するようになった始まりを紹介している。純文学のかつての傾向に内面的な自己探求が重要なテーマであったが、それが他者との関係と結びつけて追求されているのではないか、という私の観点を裏付けているような気がした。
発行所=〒464?0067名古屋市千種区池下1?4?17、オクト王子ビル6F、中部ペンクラブ。

カテゴリー:中部ぺん

季刊遠近50号(記念特集号)

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2013年12月 1日(日)付、「文芸同人誌案内」http://www.geocities.jp/hiwaki1/doujin/douindexF.htm掲示板より転載いたします。

投稿者:kitaohi 投稿日:22時34分30秒
本日季刊遠近50号の全作品についての合評会(4回)が終わりましたので、私の読後感を送ります。

【「つばめ」難波田節子】
 読み易く、一気に読めた。久江の息子良夫は39歳で関西に転勤になり、2年目に商家の娘と結婚をする。その娘は良夫より年上だった。久江も2度結婚をし、良夫は連れ子である。娘の真紀は夫との間に生まれ、夫や祖母にもかわいがられて育ったが、良夫は父親になつかなかったこともあり、父親に殴られたりもした。姑が亡くなると、夫は外に女を作り、家は久江にくれて離婚した。真紀と良夫は久江が引き取った。真紀は高校時代に知り合った男と結婚してニューヨークに住んでいる。真紀は、良夫がなかなか結婚しないのは久江が良夫をかわいがり過ぎることが原因だといつもいっている。
 良夫は、結婚の翌年離婚する。会社も辞めてしまった。久江が良夫の嫁の実家に行くと、母親は良夫が嫁を結婚してから1度も抱いたことがないとなじる。娘は未だ生娘だが、離婚した以上、未だ生娘だという看板を背負って歩くわけにいかないでしょうという。良夫は、子供のころ自分をいじめる父親に母親が抱かれているのを見たためにエディブスコンプレックスに罹り不能になったのではないかと、久江は考える。
つばめが家に住みつくのは、縁起がいいといわれてるので、巣を作ってよかったと思っていた。しかし、良夫から貰った新婚旅行の土産に礼状を添えて嫁にブラウスを贈ろうと家をでたら、ひよどりがつばめの巣を壊し、小さな卵も潰されていた。
 以上が大まかな筋書きだが、読み終えてから釈然としない部分がいくつかでてきた。まず、40歳を超えた息子よりも年上の嫁が結婚して抱かれなかったから、生娘だといってガタガタいうのだろうか。噴飯ものとしかいいようがない。次に、ひよどりがつばめの巣を壊すという話は聞いたことがない。良夫の実の父親と久江はどんな関係だったかも書いてない。そのため読者は、良夫、久江、久江の夫との関係がただ事実を並べているだけになり、深部に入り込めない。また、エディブスコンプレックスが不能の原因であるような書き方になっているが、エディブスコンプレックスとはどういうものなのか読者は全く分からない。インターネットで調べた限りでもエディブスコンプレックスと不能は繋がらない。不能は身体的なものか、精神的なものかも不詳である。
 以上、作者の力量で作品自体は読み易いが、ディテールには問題が多すぎるように思う。題名にもなっている「つばめ」の生態などは、最近はいろいろな探鳥会のメンバーが発表しているので、ウソを書いたらそれだけで見向きもされない作品になってしまう。エディスコンプレックスも今は大きな図書館に行かなくてもすぐに調べることが出来る。こういったことを考えるとこの作品は全く評価できない。また、この作品のモチーフは何か。よく分からない。

【「山里にて」花島真樹子】
 いずみ親子(母親の雪江、弟の祐一)が秩父のF村に昭和20年3月に疎開し、雪江が亡くなって東北の祖父母のところに引き取られるまでの5か月ほどの話である。いずみは11歳、小学校6年と考えればいいだろう。
 雪江は肺結核で隣の部屋に寝ている。毎日の生活は雪江の着物などを処分して食べ物を調達している。そんなところに浦崎馨と息子の徹が来る。空襲で焼け出されたのだ。馨は父親の従妹で親切だが、何故か親戚からは疎まれているようだ。馨は東京女高師を卒業している。いずみたちの面倒をよく見てくれるが、伯父(ある銀行の頭取)とは合わない感じだ。雪江が死んだときはいろいろ世話をしてくれたが、伯父たちには雪江が死んだあと着物などを持っていったと疑われる。しかし、着物を持っていったのは大家の母親と娘で、タンスから出すところをいずみは見ていたが誰にも言わなかった。
 暗い作品なので、読後感はよくない。もう少し明るい結末にできなかったろうか。なお、細部では疑問点が多すぎる。「女工哀史」の作者細井和喜蔵と馨の夫は接点があるのか。更に、当時は小学校ではなく、国民学校だったはずだ。また、給食があったのだろうか。起きるのがやっとの雪江に代わって食事などの世話をしたのは11歳のいずみと考えるが、その苦労がさっぱり伝わってこない。いずみは女学校に行く時期なのだが、進路については全く書いてない。しかし、女工哀史を読むような利口な子供なのだ。とはいっても女工哀史について読後感は全く書かれていない。
 女工哀史、疎開、食糧難など終戦前後の状況を単に羅列しただけの作品で、完成度は全く低い。

【「遠い山なみ」露木尚文】
 作者の季刊遠近に載せた初めての作品だ。主人公である葉子の夫が山歩きサークルの定年送別会の席でヒマラヤ遠征を宣言したことで、洋子が企画し、実現したヒマラヤ登山の話である。メンバーは、Facebookを通じて集めた仲間、カトマンズ在住の葉子の友人夫妻など12名だ。ホテルエベレストビューを建てた宮原魏氏の話、ゾッキョのこと、高山病にかかったメンバーへの対応の話など面白く読めた。「脱力系山岳部」という造語も面白かった。気になったのは、メンバーの敬称の付け方、特に夫に敬称は不要ではないだろうか。次に、最初の書出し「そういうことだったのか」の意味がよく分からなかった。
「ヒマラヤの灯」を読んでの感動から、この企画立案、メンバー集め、高山病の怖さ、ヒマラヤ登山の危険性などいい素材がすべて入っているので、構成をもっと工夫したら素晴らしい作品になったと思う。作者はいろいろな才能を持っているので、次回作が楽しみである。

【「海へ ?」田中恵美子】
 この作品にはスクーバダイビングで2011年のニューカレドニアと2012年のタヒチに行ったことが書かれている。ニューカレドニアでは、海辺の白浜が素晴らしかったこと、最後の2日はヌメアの観光をし、古来からの色彩再感覚に感動したこと、タヒチではイルカに出会った後、フロートの下につながれたロープをつかみ損ない、非常に危険な状況になる。しかし、今まで潜水にかけた時間、経験のせいか、冷静に対処することができた。書き並べると以上のようになるが、ニューカレドニアもタヒチも山場があるので、書きようによっては読者に興味を持たせ、惹きつけることができたのではないだろうか。

【「飾り絵の海」の木よしみ】
 主人公の岳志に役場に勤める甥から「飾り絵の海」と題したカレンダーと故郷の海の風景を拡大したものを送ってきたことで、岳志は60年以上前の子供の頃(小学校4年)を思い出す。友人の千太のこと、漁船が難破したこと、父親が病気になり、暗い夜道を隣村の医師を呼びに行ったこと、小学校6年になり父親に頼んでイカ釣りに連れて行ってもらったこと、千太と2人で誰も泳がない立烏帽子島から天神出島までの深海を泳ぎ、また帰ってきたことが頭に浮かぶ。ところでこの作品を読んで、農業と漁業の違いのようなものを、私は感じた。私の子供の頃、農業をしたいという人はあまりいなかった。長男なので仕方がなく継ぐという人が殆どだった。それくらい農業は魅力がなく、今でいう3Kだった。ところが漁業には継ぎたいと思っている人がいる。驚きとしか言いようがない。心休まる作品だ。

【「南インドへ行ってみたら」結城周】
 「インド幻想」は作者の履歴といっていいだろう。入社して12、3年ごろロサンジェルスへの海外赴任、次いでロンドンに赴任。ロンドンから出張でドバイへ行く。そのころ同期入社の友人がインドへの赴任命令を断り、別の人がインドへ赴任する。その後関係した日本語教室に来るインド人は例外なくIT技術者であることを知る。そんなこともあり「インド最南端の旅10日間」に参加する。インドでの言葉の問題、食事のこと、下痢止め薬、シローダラーの体験、などなど、話が続く。しかし、何故かグングン引き込まれるという感じではない。自分史的な部分が長すぎるように思った。

【「花魁高尾――愛を抱いて死す」柚かおり】
 題材になっている三浦屋「高尾太夫」は有名なのでしっかりした知識を持って書かないと、評価が下がってしまう。ストーリーは、高尾を側室にしようとした伊達綱宗に応じない高尾が、大川の舟遊びの場で綱宗に斬られるまでの高尾の心境や生活をを書いたもので、複雑ではない。
 時代物を書くときは、用語に注意することが求められる。廓は狭い地域ではあるが、独特の世界を作り、その世界は多少の変化はあるにしろ、ずうっと守られている。世界が狭く、また「吉原細見」など資料も多く、廓のことは勉強し易いせいか、芝居や噺家によく取りあげられる。落語家などは不特定多数の人を対象にするため、徹底して勉強をしている。同人誌でも、活字にする以上十分注意しなければならないと考える。
 用語で気になった点を書き留めてみる。89頁の「新米新造」という言葉は当時なかったのではないか。「新造」はすべて見習いなので、「新米」は不要。新造には振袖新造、留袖新造、太鼓新造、番頭新造があり、普通は「振袖新造」を指すという。「カムロ」は「禿」としルビを振ればいいのではないだろうか。92頁の上段の「15歳の年に・・・遊女の勤めのすべてが判った」とあるが、禿(かむろ)の時代に見ている筈ではないか。詩歌、管弦等の勉強は花魁になるため選ばれた者が習い、花魁であっても遊女として客をを取ることは、すべて禿のころから教えられていた筈である。ただ、花魁になると客を選ぶことができるというだけなのだ。
 101頁下段の「番頭」(警固する者の意)の使用法はいいと思うが、「番頭見習い」という階級はない。むしろ「新米の番頭」でいいように思う。次に、89頁「申の時刻」、93頁「午の時刻」、102頁「1丁」説明は不要と思う。98頁の「旧暦の5月」はむしろ「5月」を裸で使い、夏至が含まれる月であることを描写で表した方がいいのではないか。なお、「遣り手」「内所」「清掻き」「番頭新造」などこの世界しか通じない言葉をうまく使っていることは評価したい。

【「意想軒鈴慕(3)」八重垣渡】
104頁と105頁を読み、読むのを止めた。したがって読後感はない。

【「青い遍歴」河村陽子】
 久しぶりに骨太の作品に出会った感じだ。主人公は「私」36歳。時代は1925年。作品は最初から読み手を1925年(大正13年)に連れて行く。大正デモクラシーが風靡している時代に気鋭の若手4人が、新しい教育を目指して教育事業に乗り出していく状況をうまくまとめている。
 作品の主人公は、大正、昭和の一番いい時期をのびのびと生きたのではないか。この作品のあとの時代は、昭和7年頃から不況に入り、軍国主義になり、敗戦と暗い時代になる。この作品は、主人公の大正、昭和の明るい時代の半生で終わっている。その点物足らなさを感じるが、その後の半生は別に書けばいい。なお、終わりの部分で、見知らぬ男からの手紙が来るが、友人が主人公を帰国させるための手紙だと暗に読者に分からせるように書いているのも面白い。「妻のことは少しも心配にならない」は、冷静になったときに手紙の差出人が上中氏と気が付いたからだろう。
 作品の構成だが、自分の過去を列車の中で思い出という形にし、読者に分かり易くしたのもいいと思う。前篇、後篇という構成にするより良かったのではないか。工夫した感じが読み取れる。
 作品の中に「児童の村小学校」という言葉があるので、4人の名前はすぐに調べることができる。4人の本名は、野口援太郎(1868?1941、姫路師範学校校長、帝国教育会専務理事)、下中弥三郎(1878?1961、平凡社創業者)、為藤五郎(1887?1941、東京日日新聞記者、太陽編集長)、志垣寛(1889?1965、同文館の「小学校」編集主任、平凡社勤務、教育評論家)である。最初の訓導も小砂丘(ささおか)忠義(1897?1937、全国紙「綴方生活」刊行)、上田正三郎(1894?1958、不破哲三の父)ということが分かる。篠田伸子の本名は、平田のぶ(1895?1958、教育者、婦人運動家)で、その業績などは、東京大学大学院教育研究科紀要39巻(2000.3刊)413頁?422頁に詳しく載っている。
 この作品の素晴らしいのは、時代を調べ正確に描いていることである。1917年のロシア革命で社会主義国になったのに駅構内のの待合室にはたくさんの乞食がいることなど、知らない人が多いのではないだろうか。
言葉も満州里、西比利亜など当時の使用方法をそのまま使っているのもいい。長春は、当時は新京といったではないかと思ったが、調べたところ満州国の首都「新京」と呼ばれたのは1932年?1945年だった。
 言葉の使い方、字句の誤りなど散見されるが、久保田先生の言葉を借りれば、小さな字句のを気にせず、腰にズシンと来るような作品なので指摘するほどのことでもない。

【「ペトラの岩窟都市」矢向春野】
 文章がしっかりしており、どこを読んでも推敲が十分になされたことを感じさせられる。読書好きにとってこういった作品に出合うと、なぜかホッとする。アンマン空港に到着するまでの機内サービスや機内整備に不満を感じていたが、アンマン空港の広さ、清潔さ、インターコンチネンタルホテルの瀟洒な建物に目を見張ってしまう。
 旅行仲間は11人、その中で私より年嵩な猪村さん(74歳)という女性と親しくなる。彼女は旅慣れた感じだ。当地の案内人は30歳前後のパセルさん、添乗員の美香さん、11人のうち男性は2人、うち1人のS氏は夫人同伴だが、英会話が堪能の様子だ。もう一人はT氏、写真撮影が好きらしい。出発に際し、バスのことでトラブルがあり、少し遅れての出発となる。
馬に乗ったり、岩山の間の洞窟を見たり、目的の1つの宝物殿の広間の大きさや、どのようにして穿ったかなどを想像したりする。誰もがこの岩窟都市の異様さに時間を忘れるくらいだった。途中3時間半も歩くのに公衆トイレがなく、女性も苦労した。昼食を予定していたレストランに着く前に4時になってしまう。が、レストランについてホッとする。紀行文であるが、うまく纏まっており、いい作品だ。

【「あるマッサージ師の恋」北村幹子】
 以下の文章は、季刊遠近37号にこの作品が載ったとときに書いたのであるが、読後感は変わっていないので、再度掲載する。作者の作品の中では好きな作品であり、いつまでも記憶に残っている作品だ。
 主人公(私といわずに「自分」という。)の思い出の形で、昭和35年の4月から翌年の3月ごろまでを書いている。「私」といわずに「自分」というのも、当時36歳の男性の律儀さがよく出ている。当時は軍隊経験がある人などが目上の人と話すときは、殆ど「僕」とか「私」といわずに「自分」といっていたように思う。
「自分」が属している診療所の大将に呼ばれていったところが、麻布笄町のお邸に住む大奥様からだった。大奥様は、昭和12年に外交官である夫が亡くなるまで夫と一緒にヨーロッパ各地を回ったという。現在82歳、一人娘(正子)は現在55歳で、一人息子を戦争で亡くし、夫とも離婚し、大奥様である母親と生活している。
大奥様が軽井沢に行き、「自分」も軽井沢に呼ばれ、二週間滞在する。その間に別荘客を多く紹介され、あとあとの仕事にも役立った。
当時の外交官といったハイソサイティの雰囲気、戦後の物資不足の状況、軽井沢の戦前、戦後の状況などを、マッサージ師が大奥様から聞いたという仄聞の形で描いているのも嫌味がなくていい。
 大奥様は軽井沢から帰って2、3日後に亡くなってしまう。
「自分」はその後小学生の子どもが二人いるのだが、妻と離婚する。亡くなった大奥様の思い出が強烈過ぎたためである。
 1年ほど経ったある春の宵、何となくお邸の前を通りたくなる。行くと娘の正子がいる。何となく「自分」がここを通るような予感がしたのだという。そこで明日来てほしいといわれる。翌日、娘である正子がいろいろ話してくれたのは、大奥様は82歳でありながら「自分」を好きになり、躯にもその兆候が出始めていたということだった。「自分」が妻と別れたのも大奥様を愛してしまったからだと話す。マッサージをするだけの関係でありながら心も体も一体となっていたことに気づく。
時代の考証、36歳の男の一途な生き方など、素晴らしい作品と思う。ただ、ルビが多すぎるのが気になる。読み手としては、作者は読者をレベルが低い者と決め付けているのではないか。
 また、この作品はマッサージ師が何歳のときに思い出として描いたのか分からない。55歳の娘から大奥様の話を聞いたときの思い出なのだろうか。

【「わが食欲史」逆井三三】
「わが食欲史」という切り口で書かれているが、自分史とみてもいい。しかし、「ヰタ セクスアリス」(森鴎外)はレッキとした小説である。私は「ヰタ セクスアリス」より面白いと思った。作者の意図は分からないが、自伝小説に分類していいのではないか。読者は、どんな作品も最初の数行を読んで、その作品を読むか読まないかを決める。所属している同人誌の場合は、載った作品を読むのはエチケットのようなので、無理をしてでも読むのが普通だろう。
 この作品が私を一気に作品の中に引きこんだのは「・・・パリの民衆は『貴族の娘を抱きたい』と叫んで立ち上ったのではなく『パンをよこせ』と言って革命を起こしたのだ」というくだりである。ここまで読んだら、どんどん先を読みたくなってしまった。とに角どこを読んでも面白く、また、読者を納得させるのだ。「腐ったものを食べればまずいと感じる。それは口に入れたものが有害だという証明だ」。私にも経験がある。
 少年時代の偏食、小学校のころのイジメの話、食事マナーの話など、醒めた目で書いている。これも読者を引き込む書き方なのかもしれない。両親について生年を記し(172頁下段)、「銀シャリを腹いっぱい食べられるのだから、ありがたいことだよ」と書いている。これだけで、私には作品の中の両親が生きた時代、更に「私はお父さんの後ろ姿と結婚したのよ」の言葉に凝縮された時代が見えてくる。「私は食事から生存競争を学ぶことがなかった」(172頁上段)と書いているが、食事からその人の生存競争の一部が分かるように私は思う。私の学生時代同じ寮(7名の小さな寮)の下級生が、皿の最後のものを取るときに、「私は8人兄弟の下から2番目ですから・・・」と笑いながらとっていた。また、うまいものを先に食べるのは兄弟が多い人に多い。
 父親について「体育会にいた時期が長かった」(172頁上段)と書いており、今の時代は、体育会所属が就職に直結している感じだが、父親の年齢、時代を考えれば、体育会系ということで会社に採用されたのではないことは文章からはっきりしている。企業の優秀な幹部候補生として採用され、その中で仕事をし、出世していったのである。大学卒業は昭和24、5年だろう。つまり旧制の高校、大学だ。人数も少なく、超エリートといっていい。食生活については「私の親の世代にとって、食生活の変化は目覚ましいものだったろう」と書いているが、このくだりも、私は年齢的に実感できる。
 作者は姉のことはスペースをあまり使わずに書いている(174頁下段、179頁上段、183頁下段)が、これだけで私には十分推測できる。年齢はよくわからないが、民間会社が女性の総合職を採用しだしたころの入社であろう。当時、民間会社は女性の総合職を採用し始めたが、一部の企業を除き、決して本音で総合職として育てようとは思っていなかった。ただ、官庁は中央、地方を問わず、キャリアとして採用していたので、私は「姉」は役人と推測した。もっとも、役人であってもなくても、作者は姉をしっかりと評価していることが感じられる。
 読み終えて、この作品は十分推敲され、文章に非の打ちどころはなく、構成もよく計算されていると思った。私にとっていつまでも記憶に残る作品になるだろう。誤解のないように補足するが、主人公の食に関する嗜好や食事の仕方などが記憶に残るというのではない。主人公の父親や家族が飢餓の時代から飽食の時代に移っていく中での家族の食生活、食卓の内容、団らんが変わる様や、もう一つ次元が違うが、子供たちのイジメの残酷さといったものを、「食」といった切り口を使い、うまく描いているので、記憶に残るだろうということである。

【「一句たぐり寄せれば」島有子】
 いい作品と思う。書道の先生から与えられた条幅の句から句の作者である杉田久女に入っていくのは、導入部としていい。ただ、杉田久女は小説やTVドラマなど多く作られており、有名人である。杉田久女随筆集だけでなくもう少し多くの資料を当たって「伝説の久女」新しい面を出したらもっと良かったのではないか。
 Wikipedeiaによると杉田久女の実家の墓地(長野県松本市)に分骨された「久女の墓」の墓碑銘は、理由も告げず「ホトトギス」を破門した虚子が筆を執ったとある。
 なお、作者の句「描きし句たぐり寄せれば道鮮やかに」の季語はどれだろうか。

【「ヒッコリーのような高齢者」北大井卓午】
省略

【「『懲役人の告発』における終末論の展開――ドストエフスキーと椎名麟三」水野野里子】
 作者の今までの作品よりは分かり易く書かれており、読み易かった。ただ、私は椎名麟三の作品を全く読んでいないので、読後感を書く資格がないと思う。しかし、それでは作者に失礼なので、私なりに考えを纏めてみた。
 まず、椎名麟三(1911?1973)の生い立ちを調べてみた。椎名は現在の姫路市で生まれたが、両親ともに愛人を持ち、ともに自殺する。そのため旧制姫路中学を中退し、いろいろな職に就き、宇治川電気(現、山陽電鉄)の車掌のときに共産党に入党、昭和6年(1931)に逮捕され、4年の実刑判決を受ける。が、昭和8年に転向し、出所する。出所後は筆耕を職業として生活をしながら、ドストエフスキーの「悪霊」で文学に開眼したといわれている。(椎名麟三とドストエフスキー「ドストエーフスキィ広場」No.12.2003)
 また、椎名麟三は1950年にキリスト教へ入信している。
椎名麟三の最初の小説は「深夜の酒宴」(1947)なので出所後14年ほど経っている。最後の小説は「変装」で1970年だ。
作者が取り上げた作品は1969年に発表されたもので、作者は椎名麟三の考えがこの作品に凝縮されていると考えたのだろう。「懲役人の告発」を椎名麟三のキリスト教の終末論の視点から眺めるという発想など作者ならではの作品ではないだろうか。私は、こういった世界の議論には教養がないので入っていけないが、作者の鋭さには感心している。今後の活躍を期待したい。

【「久保田先生の思い出――短歌と先生――」小嶋知善】
 久保田先生の研究者である作者が先生の短歌との関わりから先生のお人柄を書いており、感銘した。短い文章ではあるが、私たちが知っている先生を本当によく描いている。私たちが大学などで有名教授に教えてもらい、その教授が書いた本を読み、いい先生にあってよかったと思うことがある。しかし、その教授との接点は殆ど教室だけである。ところが、久保田先生とは、朝日カルチャーセンターの講座開始時から毎週2時間の講座と喫茶店での1時間、計3時間をいろいろ教わりながら十数年過ごしている。こんな関係から先生のお人柄は、多分先生から授業を受けた学生以上に知っていると思っている。そのお人柄が短歌に表れていると作者は書いている。私は納得しながら読んだ。

【「岩村 蓬さんと私」安西昌原】
 岩村 蓬さんを私は知らないので、作者のこの文章でしか理解できない。素晴らしい方ということはよく分かった。上原和著「斑鳩の白い道のうえに―聖徳太子論 」(講談社学術文庫) と重ね合せながら岩村さん偲んでいるのがいい。なお、私は同一人かどうか知らないが、「鮎と蜉蝣の時 」「遊歩―岩村蓬句集 」が岩村蓬の名前で出版されており、「鮎と蜉蝣の時 」はとても評判がいい小説だということを付け加えておく。

【「『彼岸囃』を読む」大野俊郎】
 私も再度遠近20号を開き、「彼岸囃子」(藤野秀樹)を読んでみた。作者(大野俊郎)がいうように「明治時代を扱いながらも背景描写に力みがなく、・・・」ということはよく分かる。この小説が合評会でどのような読後感が出たか覚えていないが、私は、文章はいいと褒めたようにに思う。今読んでも文章は素晴らしい。しかし、何故か作中の人物がどんな人間か見えないのだ。小説には、私(弦蔵)、チヨ、キクが書かれている。チヨは3歳で失明し、7歳で端唄の親方に弟子入りをし、その後一緒に旅回りをし30歳まで旅の暮らしをしている。私は親方に会った翌日から親方とチヨの2人連れに加わり、親方を殺してチヨを奪う。小説は淡々と書いている。私(弦蔵)の親方を殺した罪悪感は全く書かれていない。チヨに対する追憶に浸っているだけではないか。また、二十数年夫婦のように一緒に生活してきた親方を殺した男と平気で旅をするといったチヨの異常さはちょっと信じられない。最後の行の「・・・果てしない旅が、今も続いている」がこういった疑問点を全て飲み込んでいるとは思えない。時代は明治だ。広島地方でも簡単に殺人がうやむやになった時代ではない。「高瀬舟」(森鴎外)の読後感と比較するのはよくないかもしれないが、高瀬舟の喜助と比べ物にならない。

【「[私の幻想小説集より]銀河図譜」安西昌原】
 小説でしか書けない世界、宇宙、古楽器(リュート、ラウシュブファイフェなど)をしっかり調査して書いており、凄い小説である。人によってはこの素晴らしさを見過ごしてしまうかもしれない。まず、プロローグで宇宙の距離を表す光年が出て、その大きさが想像を超えてしまう。次にラムジェットによる核融合が出てきて、SFの世界に引っ張り込まれる。準光速、加速度1Gの世界など難しい用語にも圧倒される。しかし、これらの用語が理解できなくても、この作品は十分楽しめる。核融合による原子力利用は人類の夢であり、その核融合をサラッと書いているのもいい。
 プロローグが終わると麻耶と霧人が古楽器を小道具としてコンソート世界、男女の絡みなど地球上の現実的な話になる。時期を合わせて国は何故か莫大な予算を使って全国一斉に大きな公園を作り、巨大な宇宙船を作る。ある初秋の日曜日、古楽器グループの大コンクールが開催され、そこに集まった人は有無を言わさず宇宙船に押し込められ宇宙に出発する。そのあとで地球は爆発してしまうらしい。霧人の2番目の妻陽子は地球に残されてしまう。宇宙船の中で最後は麻耶と霧人2人だけとなり、その宇宙船も宇宙塵と衝突して終わる。
エピローグは地球に残った陽子らしき女性が静かに音楽を聴いている。書きたかったことは「生ある者は必ず死を迎える」ということのようだが、私は単純にSFの世界、SFと全く交点のない古楽器の世界及び現実の世界という3つの世界をうまく作品として纏めたことを評価したい。

【「柊の花を知らず」関口彰】
 この作品を一読して最初に思いうかべたのは、大阪市立若宮高校のバスケット部キャプテンが顧問から体罰を受けて自殺した事件である。このキャプテンは自殺する前日に顧問からビンタを30発から40発張られ、口元は腫れあがり、唇は切れていたと報道されてる。ビンタは常習化していたらしい。
 この作品の主人公井高は、私立の中高一貫校の教師である。出勤し校門まで来ると200m以上先のグランドの奥にある体育教官室で体育教師の二川が学生服姿の生徒を大きな声で怒鳴っているのが聞こえる。怒鳴られている生徒は特進クラスの江沢良平だ。二川は登校する生徒が立ち止まって見ていても怒鳴るのを止めず、ますますヒートアップしていく。その江沢良平が翌朝ビルの屋上から飛び降りて自殺する。その朝井高は当番なので早朝出勤をしたのだが、直ぐに校長室に来るようにという電話が入る。クラス担任の住谷も呼び出される。
 会議の結果クラス担任の住谷と生活指導部長である井高が江沢の家に行くことになる。江沢の家に行く途中、偶然学生時代の友人の大滝に会う。大滝から、江沢家はこの辺の大地主で祖父は都会議員を何期もし、父親は不動産関係に仕事をしていると教えられた。
 ストーリーは、江沢良平の優秀な面を生徒総会の場面を使い表現したり、私立校の教官室の雰囲気、良平のガールフレンドのミキの話などを絡めて上手く纏めている。
 ところで読んでいて気になることがいくつか出てきた。教師が、下柳(校長)、二川(体育教師)、住谷(クラス担任)原田、三輪、岩田(高校教頭)、関川(中学教頭)と大勢出てくるが、性格などの違いがよく分からない。作者はそれぞれ書いたつもりだろうが、一読したあと記憶に残るのは、住谷と二川ぐらいである。二川は直接の原因者で大げさに泣いた男として、住谷は責任の重圧におののいているだけのクラス担任としてかすかに残るぐらいである。
 各場面はどれもリアルの描かれており、素晴らしいと思う。この作品を読んで、体育教師に対する教師や学校の対応に問題があるのではないか、そしてそれは多くの学校が同じ問題を抱えているのではないかと思った。二川は身長は180センチ以上で肉付きがいい体型らしい。この威圧感のある体型に圧倒されて、他の教師や校長は何も注意できないのではないか。体育教師は自分で聖域を作りそこに安住しているのが、多くの学校(公立を含め)の実情ではないか。そうであれば、もう少し掘り下げて欲しかった。クラス担任はクラスに問題が起きたら責任を追及され、職を辞さなければならないこともあるので、いつもオドオドしているという実態もあるのではないか。体育教師は大げさに泣くことによって事態が鎮静化されることを願っている。これも多くの学校で起きているのではないか。校長やPTAに対する面従腹背的な態度で事態を鎮静化させてしまう。多くの学校で体罰があったことが報告され、その体罰に対しては校長が注意したことも同時に報告されている。しかし、一過性なのだ。体育教師が大げさに謝ったり、校長に土下座するなどして、一過性の事件にしているのではないか。
 この作品では体罰はなかったことになっている。そうであれば、言葉の暴力は、体罰と同じぐらい生徒には辛いものだということももう少し書いてよかったのではないか。今学校の現場でどんなことが起こっているのかを知らない読者も多いと思う。この作品は教育、教師の資質、私立校の今後といったいろいろな問題点を出しており、いい作品と思う。もっと深く掘り下げたらもっと良かったと思った。理事者、教育現場、人事権などの関係をある程度見えるように書いて欲しかった。
 字句の問題でちょっと気になった部分があるので書いてみたい。229頁上段「・・・6尺からの体躯・・」の6尺は今の人たちにはわからないのではないか。242頁の上段「・・・何度も会釈をしている」の会釈は「頭を下げている」でいいのではないか。広辞苑にはこのような場面での使い方は載っていない。次は単なる校正ミスだろうが、重要な部分なので指摘したい。249頁上段の7行目には閉じ『」』を忘れないでほしい。
 最後だが、終わりのところに「静まりて・・・十六の君よ」の歌を念じる意味がよく理解できなかった。
 素材はすべて出ている。理事長、校長、クラス担任、体育教師、暴力(含、言葉の暴力)、生徒等をそれぞれうまく描き、更に学校経営が現在抱えている問題を浮き彫りしたら、素晴らしい作品になったのではないかと思う。外部であるPTA、マスコミなどはありふれた書き方でも構わない。再度挑戦して欲しい。

カテゴリー:季刊・遠近

2014年1月

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