2013年11月アーカイブ

「海」88号(いなべ市)

| コメント(0)

2013年11月29日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【エッセイ「鈴木道彦先生と私」久田修】
 自分は外国語が読めないので、海外作家の名作は、翻訳に頼らざるを得ない。そうすると名翻訳者の名前だけを頼りに読書する。中野好夫、福田恒存、佐倉潤吾、田中小実昌、朝吹登水子。ここに出てくるミシェル・ウエルベックの翻訳の野崎歓氏など覚えていて忘れない。いずれも、会ったことはないが親しみを感じる人たちだ。
 鈴木道彦氏というと最近の図書館ではプルーストの棚がこの人が主流であろう。マルセル・プルースト「失われた時を求めて」の完訳者の生徒からの周辺事情となれば、文壇で注目されるのは間違いないだろう。興味のある人にはこんなに面白いエッセイはないはずだ。
【「光の来る道」遠藤昭巳】
 キリスト教の聖書を読む会で学ぶ人々の関係を描く。西欧的な発想の根源を日本でどのように根付いていくかがわかる。文学的にも不思議な味わいを持っていて、上記の作品の後に読んだせいか、なにか淀野隆三訳の「マルテの手記」を思い起こしてしまった。ただの過去の生活事情小説になるところを、宗教的な精神をからめた芸術性のあるものに高めている。どうしてそれが、出来たのか研究してみたい作品である。
【「泣くが嫌さに笑うて候」宇梶紀夫】
 作者は、かつて3・11の被災者を題材にした「赤いトマト」で第55回農民文学賞受賞している。時流をとらえて作品にする手腕は、器用といえば器用。ただ、どちらといえば娯楽小説的な面白さを追求する。本作品も建設会社の経営不振によるリストラ対策で、板挟みにあうドラマ。設定はいいが深みが不足。とくに対立した相手とともに主人公が退職してしまうのでは、つまらない。予定調和的すぎる。商業ベースのエンターテインメント的に徹し、労使間闘争にして、半沢直樹モノのように悪役、善役をはっきりさせる試みをしたらどうか、と思わせる。他人を犠牲にして生き残るしぶとさを描けば、それはそれでリアルな純文学に回帰するかもしれない。
発行所=511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321?1、遠藤方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:海(いなべ市)

「R&W」(長久手市)

| コメント(0)

2013年11月20日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「わたしの概念の水玉」萩田蜂旭】
 水玉を軸にして人間の概念を語る珍しい小説。視覚的効果も考えた手法に意欲が感じられる。
【「海底遊泳」浅倉悠】
 節ごとに間隔をあけた文章で、行替えするほどでもないが、時間をかけて読ませるような独特の表現法。詩でも読む感覚になるが、物語は普通にある。これも手法に意識を傾けた作品。
【戯曲「宣言」渡辺勝彦】
 ドラマは天皇が国を治め、軍部が支配する日本という設定。原発事故が起きてその処理のなかで、米国やIAEAが暗黙のうちに軍部の核武装を認めている状況にある。日本の政治の混迷と原発事故を絡み合わせて、危機意識をもったシナリオになっている。
 「父帰る」などの戯曲を書いた菊池寛は、小説と戯曲にちがいについて次のように記している。
「子供が段々大きくなって行く成長の有様だとか、或る一人の女が結婚というものを挟んでの前後の心持の変遷とか、或る一人の老人が段々衰えて行く心の寂しさとか、小説は人生のあらゆる姿を書くことが出来るがしかし戯曲はそうではない。戯曲というのは人生の特別な形を書くものである。一言にしていえば、人生の劇しい所をを書いたものである。芝居を劇というが、劇という字は一体どういう意味から来ている字か知らないが、劇という字は劇(はげ)しいという字である。これは自己流の解釈であるかも知れないが、戯曲とはつまり人生において劇しい所である。」
【「経文禍」松岡博】
 空海を仏教に導いた道勤(どうごん)の日誌が昨年発見されたという。その高僧の一時期を小説にしたもの。道勤は、中国にわたり修行し、終わって蘇州から長崎に着いた。しかし、玄界灘を旅するところで遭難する。海岸の洞窟で雪の寒さから逃れる。そのために経文を燃やして暖をとり、命拾いをする。経文は彼岸にわたる船であるということをきいたことがある。それにしても中国に渡っても言葉に不自由をした様子がないのは、彼が中国から渡来した人たちであったためでもあったのだろうか。
紹介者「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:R&W

「澪MIO」第2号(横浜市)

| コメント(0)

2013年11月 7日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 11月4日の文学フリマの店番をしていたら本誌の同人、大城さんが挨拶に来られた。私は会の代表をしているので、これまで話題にしてきた同人誌関係者によく挨拶をされるが、ほとんどそれがどなたであるか覚えていない。それで、「せっかく挨拶をしたのに」と、結構むっとされてしまうことがある。とくに、この作品紹介などは、いつどれを紹介したなどは覚えていない。大城さんのおかげで、「澪MIO」2号引っ張り出して、紹介する気になった。読んではいたので、すぐ書ける。
【評論「川島雄三論II」石渡均】
 筆者がプロの映像作家ということで、専門的な記述で映画監督・川島雄三の人柄と作風、評論を連載。私自身は観賞しようと思いながら、見なかった作品の多い監督である。今回は「逃亡―積極的逃避」が印象的で、映画監督は肉体的な年齢に合わせて作品を作るとある。小説も似たところがあるような気がする。逃亡の映像での表現の難しさに触れているのも興味深い。
【「石蕗(つわぶき)」大城定】
 認知症になった父親との関係交流を描く。映像性を意識してか、カットバックのようなイメージを挟んで、清澄性のある文章で、失われた父親の精神を惜しむ心情を描く。本質的に詩人体質のようで、散文詩のようなもの。詩情を大切にしているので、問題提起性はなく、親子の情念のほんの一部という印象であった。
【評論「ポオの美について(ノート)(II)」柏山隆基】

 文章と美意識は深い関係があるが、同時に想像力と現実という関係も重要である。ポオの天才的な想像力が体質なのか、生活スタイルから生じたものかを知る手掛かりがある。神経的な体質がすでにあって、特異なイメージ力をもち、アルコールや薬物は従属的な要素のような感じなのがわかる。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:

2013年12月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリ