2013年7月アーカイブ

「法政文芸」第9号(東京)

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2013年7月31日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌を同人誌とは感じていなかったので、後記に中沢けい編集長が第8号掲載の長野桃子「僕の足元にはうさぎがいる」が、雑誌「文学界」の2013年上半期同人雑誌優秀作として5月号に転載されたとあるので、同人誌なんだと認識した。そのほか卒業生の門脇大祐が「黙って食え」で第44回新潮新人賞を受賞したという。
 発刊当時は、自分探しのようなテーマの習作的なものが多くて、大丈夫かなあ? まだ、大学生なんだから、大丈夫なんだろうなあーーという感じがしたものだ。同時に教室の指導の影響受けたような気配があり、安定感を漂せていた。
 それが、徐々に雑誌らしい企画力が発揮され、同人誌の雰囲気からは抜け出来ていた。成長ぶりが早い。編集長の中沢けい先生は多忙のようだから、そらくスタッフの体制が整ったのか。春の「超文学フリマ」(幕張メッセ)では、特定のブースがあまり盛り上がらない中で、カタログ配布所で、「中沢けい先生がツイッタ―で、こっちきているというんですが、どこに行けば会えますか?」と問い合わせて来る人が多かった。カタログを調べても「豆畑の友」は参加していない。豆畑はかなり動員力があるらしかった。
 本誌の読みどころは、インタビュー本谷有希子「楽しんで、考えて、生き抜いてきた」。大江健三郎賞の対談を聴いたので。なかにもタイトル話があるが、このタイトルも「生き抜いてきた」というのがすごい。30代でね。一区切りはあるだろうけど、抜いてはいないでしょう。我々高齢者の世界は抜けきって「あの世」なのかもしれない。
 「鉄割アルバトロスケット」の戌井昭人も小説の映画化について書いている。
【「亡国」中村瞳子】
 現代人が、小学校時代から、いじめという現象の苗床になっているのは、このような状況であるからか、ということが文学的に理解できる。きっちりと、卒論みたいに着実に書き進んでいく。「野ブタ。をプロデュース」(白岩玄)のオマージュみたいなところもある。
まず、冒頭で自分が自分で好きになれないことが書かれている。自己像の自己否定、自己嫌悪、自己批判的な部分を母親は、すべて見て知っている。主人公は、自己像にもっと御世辞を入れて語って欲しい。あるがままでは嫌で、お姫様的な扱いを夢見る。努力しないで、自己実現したい、天才でありたい。だから自分が肯定できない、という発想が語られる。なるほど、そうなると、いま「自分を好きになる方法」のような本が売れるのもわかる。
 そういう自己の容認をしない気分から、お姫様グループのなかに入る。グループには嫉妬と自己所属の位置を確認をしあう。小説として書きやすいので、そうしたのであろうが、はからずも、ある主流グループに所属することで、自己満足を得るという仕組みの上で、話が進む。こういう書き方も可能なほどの社会的な閉塞感をもって亡国としたらしい。登場人物が、仲間外れになって、自由な幸福感をもつということがあってもいいと思わせるので、アニメの世界に向けても、主人公の姿勢と対立軸なくてが絵になりずらい。だから文芸なのか。小さい世界の物語で亡国という大きな物語と対比させたのか。書く姿勢の根気のよさと、窮屈な世界をきちんと書いているのが印象的。こういう限定的な空間を舞台にしたものはライトノベルかアニメの世界に近いのでは。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:法政文芸

「弦」第93号(名古屋市)

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2013年7月26日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「来たり人」木戸順子】
 主人公の女性は56歳、都会暮らしから鹿森村に草木染めをしたくて転居してくる。旦那の退職金で購入した住まいだが、夫はすでに他界し、一人暮らしである。村では、他所者扱いだが、それなりに近所の趣味の合う住民と交流をする。ちょっとしたことが、気になり、場合によれば何事が起きるかも知れないという緊張感と村暮らしの日々が、静かな文章運びで綴られていく。別の作品では「文学街」の読者賞というものを受賞している。
 ここでは、小説として自分のスタイルを構築しつつあるという印象の書き方で、安定した筆運びである。ただ、主人公と交際する男性や、女性友達のそれぞれのキャラクターの線が薄い。それが意図的なのか、作品全体のトーンを統一させるためのものか、曖昧な段階のように思える。雰囲気小説としては、面白い物語性を排除して成功している。ベダンチックな芸術性へ向かう一里塚か。
(なお、根保さんのコメントいただき、ありがとうございます。修正しました。どうもご指摘のとおり、「石榴」の木戸順子さんと同姓異名でした。別人ですね。私は勘違いし、てっきり作風を変えたものだと思い、器用な方だと思っていました。木戸博子さんの「石榴」第14号は、別途紹介します。)
【エッセイ「大学にて(2)セクハラ」喜村俶彦】
 各地から同人誌の贈呈を受けるが、最近一番印象に残ったのがこのエッセイである。エッセイではあるが、末尾に(本稿は、いずれも事実を大胆にカムフラージュしてあり、限りなくフィクションに近いものであることをお断りしておきます)とある。つまり、エッセイ風フィクションだということだ。大学の学部長をしている筆者が、セクハラ行為をした講師がいるという噂のあることを知る。そのうちに、地元新聞が大きくそれを取り上げ、全国紙の地方版にも取り上げられて、取材攻勢を受けることになる。結局、筆者は学部長を退任したあとに形式的な懲戒をうける。
 象牙の塔のパワハラ、セクハラ問題は珍しいことではない。このエッセイが、文芸作品としての品質を問題にするなら、書き方が具体的なようで曖昧模糊としているので、取り上げられることはないであろう。ところが、ここは作品を紹介するところである。品質の問題はそれほど大きな比重を持たない。それにしても、おそらく書いた人は、紹介されることをそれほど望まないであろうな、と私は考えた。それではなぜ書くのか、というところに同人誌サークル活動特有の特質があるように思う。ひとつは少人数の仲間にだけ、という気持ち。さらに自からが書くことで、この問題への気持ち整理してみたくなったのかも知れない。皮肉なことに、この文章には職場環境に対する自意識の緊張感が強くにじみ出ている。この作者の自意識緊張感こそ文芸の品質向上の素因があるように思うのだが......。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3?4?27、中村方。「弦の会」
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年7月15日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は相模原市を拠点とする地域の文芸愛好家による同人誌である。これこそ「民芸文学」であろう。地域の文化的な施設やショップに置いてあるようだ。たしかに、相模湖の行楽スポットの土産物店に、この雑誌が置いてあっても、ごく自然に感じるであろう体裁である。おそらく、合評会を行っても、作品の芸術性よりもサークル活動の充実性を重んじるはずである。風土にあった民芸作品が多く掲載されている雑誌に思える。
 ところが実際は、あまりそういう地域性こだわった作品はほとんどない。自由に純粋な文芸活動の成果が盛り込まれている。全体的には、相模の文人たちという感じである。
【「原稿用紙にかけた夢」登芳久】
 作家の原稿用紙にまつわる話を、豊臣秀吉の時代から現代までを股にかけて引用、事例を挙げて解説している。事例と引用があって、それが大変文学的で、その調査力には、驚かされる。現在の原稿用紙に近いものができたのは頼山陽が考案したもので、古いものでは、藤原貞幹が「好古日録」を作成するときに使用したもので、20×20の木版刷り。静嘉堂文庫に現存するという。また、与謝野晶子の「乱れ髪」の誤植にも触れている。さらにここでは、森敦「月山」の下書き302枚の事や、最近では田中慎也エッセイ集「これからもそうだ」(西日本新聞社)で「読書が教養として定着していた時代は高度成長とともに終わったのだから、筆一本で生きてゆくのは非常に厳しい」と記していることが書いてある。
【「水の上」五十嵐ユキ子】
 あの世とこの世の境目を題材した話。口語文体が活き活きとしていて、退屈しない。
【「ピラミッドの謎探求―何でも探偵団第1弾」竹内魚乱】
 何かと思ったら、エジプトの旅行記をガイド本がわりに探索記にしたらしい。一工夫というところか。
【「"粋"なお話」出井勇】
 有名人の裏話で、へえ、へえ、と感心するばかり。芸能記者をしていたのだろうか。事情に詳しい。普段のメディアは、芸能ニュースが欠かせない。それを入れないと、視聴率が取れないからだ。そういう意味で、一般読者にはこの作品が一番魅力があるような気がする。
【「血を売る」外狩雅巳】
 ネット「詩人回廊」で発表したものを、加筆してエッセイにしたもの。「詩人回廊」では、詩的な飛躍があった。今はない売血という歴史的な出来事が象徴的に感じさせるものがある。本誌では、それを判り易く説明を加えエッセイ調を強めたものになっている。時代の移り変わりと叙情的な味をつけた貧困ばなしに移行しているようだ。
【「大泉黒石著『オランダ産』の中の『ジャン・セニウス派の僧』をめぐって(一)」中村浩巳】
 大泉黒石という人が、太平洋戦争について、偽装反戦論を唱えたらしい。どこの国でも国民をかっとさせないと、戦争をしようとしない。しかし、一度その気になった空気のなかで、反戦を主張したら国賊扱いされる。とめるのはむずかしい。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:相模文芸

2013年7月12日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本号には「バックナンバー一覧」がある。創刊号は1996年、その目次に久保田正文「古い記憶の底から」がある。編集後記によると、本誌は朝日カルチャーセンター「小説の作法と鑑賞」講座の久保田正文講師からはじまったという。久保田氏が故人となってから、当時、法政大学教授で文芸評論家の勝又浩氏が合評会に迎えられているーーという経過がわかる。今回は過去の掲載作品を推敲や改稿したものが多いらしく、いくつか既読感のある作品があった。
【「文化の力」勝又浩】
 勝又氏は、私の母校である元法政大学の文学部の教授である。私はマルクス経済学専攻であったので、文芸の芸術性よりも社会的な意義を重視してきている。それでも、ここに記された、日本画や能の美についての話は納得できた。日本人の伝統的な文化力に俳句や短歌を生活に組み入れてきた流れに文芸同人誌の存在があるとするのだ。たしかに江戸時代「北越雪譜」(鈴木牧之)の生まれた地域の社寺には、何十万という俳句が奉納されているそうである。私のかつての体験でも、黒姫山から一茶記念館に向かう街道の家並の軒には筆の俳句と提灯が下げてあった。その詩心表現の民衆の意欲と根深さに、感銘を受けた記憶がある。私なりにこうした日本人の精神を柳宗悦に倣って「民芸文学」と名付けている。文芸同人誌も範疇に入るのだが、この用語を使ってまだ評論を書いていない。
 ついでに、「文芸同人誌評」と私の「文芸同人誌作品紹介」との違いを一部記しておこう。文芸批評や同人誌評における「評」には評価であり、価値を論じるという意味がある。経済学でいうと価値とは市場価値である。もうひとつ芸術的価値というものがある。おそらく尾崎紅葉が同人雑誌を作った時代背景には、作品に「市場価値」と「芸術価値」が同時に存在するという考えや仕組みがあったのであろう。
 ところが、私が昭和40年代に所属していた同人雑誌の会の主宰者は、書くことそのことによって人生を有意義に過ごそうという思想の持ち主であった。そのため、同人雑誌に書くと「よく書きましたね」という、メモが必ず入っていた。書くという行為を評価したのである。であるから「仕事や生活に追われて、書くことができない」という悩みを打ち明けると、「それなら頭のなかで書いていなさい。心になかで書いていなさい」と説いたものである。市場価値や芸術的な価値の評価以前のものであった。
 私はこの主宰者の指導に傾倒した。今でもその思想に従っている。ここから、私は社会環境を反映した生産物の紹介「作品紹介」という発想を持ったのである。このことは、同人誌を「民芸文学」として位置付けることと矛盾しないと思う。そして、書くという行為によって書き物を生産するのであるから、その品質の良いものを生産したいという発想が生まれる。そうすると、経済社会には「品質工学」というジャンルがあって学会まである。今回、たまたま難波田節子氏の小説が掲載されていたが、彼女の小説が、多少のバラツキがあるものの、高品質なところで安定しているのは何故か?ということも分析できる。――長くなるので、これまでにします。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:季刊・遠近

「奏」2013夏

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2013年7月 1日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【書評「勝呂奏著『評伝小川国夫―生きられる"文士"』阿部公彦】
 表題の書(勉誠出版)は、著者であり、本誌の編集者でもある勝呂奏氏が、2013年度静岡県文化奨励賞を受賞している。紀伊国屋のHPからの許諾済み転載である≪参照:書評空間≫ 東京新聞でも、芹沢光治良の研究会のメンバーとして、活動が紹介された。また(産経ニュース20013年5月29日)では、下記のような記事になっている。
 『小川作品を掘り起こす動きは盛んだ。昨年10月にはデビュー前の未発表短編を集めた『俺たちが十九の時』(新潮社)と、桜美林大学教授の勝呂奏(すぐろ・すすむ)さん(57)による『評伝 小川国夫 生きられる"文士"』(勉誠出版)が刊行された。季刊誌「アナホリッシュ国文学」(響文社東京分室)でも、未発表で未完だった小説「無題」が連載されている。戦時中に学徒動員された自身の体験が投影された原稿用紙190枚の中編で、編集長の牧野十寸穂(ますほ)さん(70)は「死が心に張り付いた少年の震えとざわめきを、声高な戦争批判ではなく、透明感のある乾いた調子でつづる。未完とは思えないほど完成度は高い」と話す。9月発売予定の第4号で連載は終了するが、単行本化に向けた話も進む。
 小川さんは同人誌「青銅時代」を創刊し、昭和32年に小説『アポロンの島』を自費出版。作家、島尾敏雄(1917?86年)に新聞紙上で激賞されて本格デビューを果たしたのは37歳のときだった。自宅の資料整理を依頼され、一連の未発表原稿を見つけた勝呂さんは「文壇に認知されるのが遅い分、発表のあてがなく書かれた草稿は多い。未発表作品がさらに出る可能性はある」と話す。』
 本誌でこれまで、もし短編小説が掲載されていなかったら、文体研究書としての紹介であったかも知れない。私は、それほど小川国夫の作品を読んでいるわけではないが、小川作品の文体の特徴を知ることができた。私にとっては高度過ぎる内容だが、文体に興味のある人にはお勧めである。私自身はかつてコピーライターをしていた時期に、いかに判りにくい言葉を避けるか、という視点やその時代の文章リズムを吸収するという作業に関心があり、別の意味で文体には関心が強かったのである。
【掌編二つ「ペッサァ遺文」「She has gone......」小森新】
 この2編は、故・小川国夫の文体を模したという但し書きがある。見事と言うか、ここまで文体がトレースできるということは、作者名はペンネームであろうと、思うしかない。「ペッサァ遺文」は、聖書を題材とした宗教的な古事を語る。文体は「アポロンの島」の系統で、視線が地上と天との中間点というか、一定の時間的な距離感をとって安定している。神を意識した宗教的な色彩もつ。
「She has gone......」の方は、地上人である男の愛の揺らぎを独白体で語る。詳しい知識はないが、小川国夫の後期を意識したのかも知れない。
 その他、今号には芹沢光治良に関するものや小川国夫の資料原稿「ノルウェーの旅」など貴重なものがある。
発行所=〒静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂片、
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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