2013年6月アーカイブ

「雑木林」第15号(枚方市)

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2013年6月27日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「あきらめない続・三」井上正雄】
 前号よりも重篤な症状になっていく記録である。見守る夫の喜怒哀楽の感情の波が表現されている。難しいことを言わず、長年連れあってきた妻という存在への強い愛は、何であるのか。長く生活を共にすることで、形を変えてくる情愛の形について、強く問いかけている。【「頚椎の異常」同】自分は、当初は腰が痛くなったが、親類の葬祭ごとがあって、痛み止めを飲んでん我慢していた。その内に左足で踏み込めないほど痛くなった。一段落して病院でレントゲンを撮った。医師がいうのには、加齢による腰椎変形で、基本的にほとんど直らないそうである。あてもなく、リハビリをして痛みを軽減している。こうした短い書きものでも、おお、やはりそうなのか、と身につまされる。多少の巧い小説よりこうした生活日誌の方が印象に残る。
【「遠い日」水野みち】
 病み上がりの身で転居したが、快復したらしい。自由な生活になって靖国神社に行った話。多くの人が行っているであろう神社。時代、季節の思い出が人によって異なる。こういうのも、テレビ番組の街歩きの活字版で面白く読める。
【「一口の水」村上節子】
 水分補給に必ず飲むから身近なものである。今は日田天然水を愛用して、飲み方に工夫をしている話。幾度もそれを楽しみして感謝して飲むという。なるほど、よい趣味を見つけたと思う。
【「花嫁」菅沼仁美】
 中国の古事から、大河小説の一部のような題材を、語り口を工夫してよい。短いにもかかわらず、味のある雰囲気に仕上げてある。話が楽しめた。
【「ふたたび北川荘平先生のこと」安芸宏子】
 「雑木林」の名称は、まるで雑誌の方向性を指し示したかのように、作品群が武蔵野の雑木林のような道に沿っている。前世紀の近代文学の時代には、同人雑誌は作家になるための修業の場であった。しかし、戦後とくに高度成長時代以後は、生活記録で自らの生き方を確認する手段としての機能を重視する方向になってきた。本誌はその典型的なものであろう。
 「雑木林文学の会」は、大阪ガスに勤務しながら作家をしていた故・北川荘平氏を講師とする文芸教室の生徒の会であるらしい。編集後記には、「我が会では小説を書く人があまりいない。みな小説を書く気がない。理由を問うと嘘っぽいからだという」とある。確かに」本当らしく書いた虚構なら、プロの作家が腕をふるっている。ここに記されている北川氏のその入会条件の様子では、プロの作家のようになれ、というような指導はしていなかったようである。良い文章を書きなさい、くらいのものであろう。
 心の糧として、自分と向き合った生活日誌を記すことは、職業作家のように、何万人もの読者を必要としない。せいぜい同人誌仲間を入れて、何十人ほどの読者に理解されればよいのでは。本誌のどれも、読んでつまらない作品はない。『理恵子の事情』も小説風、身辺雑記的で、生活記録の範囲をでていないが、こうにした方が書きやすい面もあるのだろう。リアルではあるが、小説的な大ウソの創りがない。その意味で、本当は、小説の概念から遠いのではないか。
発行所=〒573―0013枚方市星丘3‐10‐8、安芸方。

カテゴリー:雑木林

「札幌文学」79号(札幌市)

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2013年6月20日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

「北海道同人雑誌懇話会」の動向=「札幌文学」坂本順子氏
 ?「札幌文学」79号・坂本順子氏の編集後記より(抄録)?「北海道同人雑誌懇話会」は今年で4年目。道内の同人雑誌の推薦作品を掲載した「北海道同人雑誌作品選集」は3号まで発刊され書店で売られている。巻末にはこの1年間に発行された同人雑誌が紹介され、最新号の主要目次や懇談会参加同人誌の動向が掲載されている。毎年10月には、「同人雑誌作品選集」の新刊発行記念を兼ねて懇親交流会が開催されている。今年も懇話会として第四集「北海道同人雑誌作品選集」を発刊する見通しとなった。
 (中略)インターネットでの同人雑誌をめぐる活動も活発で、激しい議論も飛び交っている。そのなかには道懇親会への辛口評があり、呼びかけ人の意図とは違う論に異議を感じつつも全国の同人雑誌界活況には後方で拍手している1人である。ともあれ北海道の同人雑誌の活性化をめざすゆるやかな懇話会活動の目的はみのりつつあると言えるのではないか。
発行所=〒001-0034札幌市北区北三十四条西十一丁目、札幌文学会

カテゴリー:札幌文学

「札幌文学」79号(札幌市)

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2013年6月19日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「春の夕陽」海那智子】
 書き出しの10行ほどを読んで、さらっとした文章だな、と目が止まった。そこで読み進んだのだが、その流麗な文章に惹かれて、最後まで読んでしまった。お互いに、愛を失い、愛をさがしている男女の話。そこはかとない人恋しさをもつ人情を浮き彫りにする。やわらかな肌触りのような文章。筋を語るのは野暮な思いがするので、読んでみてください。古風と言えば古風だが、春男という男の語り口を独立させて、構成の工夫にセンスがある。
「ーー今度はあんたの番よ。
 胸に広がる声なき響きに耳を澄ませ、咲き誇る桜花に沙穂はそっと微笑み返した」
という終章などは、余韻が濃く残って、楽しめた。いいですね。
 本誌の編集後記に「北海道同人雑誌懇話会」について坂本順子氏が、現状を記しているので、まずそれだけを文芸同人誌情報として、そのまま紹介しようとしていたのだが、「春の夕陽」をつい読まされてしまった。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「海」87号(いなべ市)

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2013年6月16日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「浄水場にて」国府正昭】
 教師らしい「ワタシ」という語り手が、うつ病かなにかになり、片田舎の浄水場に一時的に職場替えになった。出だしのあたりは地方公務員労働者小説のようだが、どこか現実批判的な皮肉な語り口である。その仕事場の退廃寸前の雰囲気が作者の視線により具体的に描かれる。そして、物語の最後に彼らは、天罰のような災害に襲われる。何でそうなるの? 何か悪いことでもしたのか? それを読者に問いかける。知的な満足度を得られる作品で、大変興味を惹かれて読んだ。
【「目白」遠藤昭巳】
 思春期の交際相手の彼女との縁で知った庶民の自由人の男の末路に出会い、男の放蕩者としての人生のはかない部分を語る。彼女への隣人愛と同化した純愛をほのめかす語り口で、詩情の漂う叙情小説。まさに詩因のある散文の見本のような作品である。話がそれるが、先日「新田次郎賞」の授賞式のために神戸から作家・詩人の伊藤桂一ご夫妻が上京した。そこで同人誌「グループ桂」の有志が集まり、短い時間だが懇談をした。そのときに千代美夫人から詩誌「花筏」の編集を遠藤氏が行うことになったという話が出た。本誌の後書にあるように遠藤氏は中部ペンクラブ講演があって、多忙で打ち合わせ時間を調整するのに苦労されたようである。本作品も清澄感のある詩的散文で、詩人としての特長が良く出ている。
【「芥川龍之介の死をめぐって」間瀬昇】
 芥川龍之介の自死の原因について、よく調べている。要するに自死するということは、備わった生存欲が喪失するという精神疲労性神経衰弱である。本書ではそこを、芥川には独自の死生観があったという視点で資料を集めている。私はロシアのミステリ作家アクーニンを知っていたが、グリゴーリイ・チハルチシヴィリという名で「自殺の文学史」という本を出しているの知らなかったので参考になった。こういう評論を短く書くのは難しく、それを巧くまとめている。欲を言えば、お上品でジャーナリスティックな面が足りないということか。
 私の母も精神に変調をきたしてたが、なんとか普通の人生を過ごした。医師から病名を告げられ、病院を紹介された。そのとき、19歳ごろだった私はなんと思ったか、「気をつけないと、おれは芥川のような天才作家になってしまうかもしれない」ということである。ある時テレビで芥川・直木賞の受賞作家を報道して騒いでいるのを観た。隣にたまたま義母がいた。私は「あんなふうに人に騒がれると近所の迷惑だし、日常生活が不便で自由がなくなる。そうならないように気をつけなければいけませんよ」と、いったそうである。それを聞いた義母は妻に「あんたの亭主はとんだフーケ者だ」と言ったそうである。フーケ者の意味は知らないが、褒めた形容詞でないらしいことは私にもわかる。そのおかげで、芥川より2倍くらいは長生きをしている。
発行所=〒511―0284いなべ市大安町梅戸23
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:海(いなべ市)

「KORN」2号(福岡市)

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<2013年 6月 9日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:納富>

あんな長い拙い作品を、2回も読んでくださったことに、とても感激しています。一回目のご感想も2回目のご感想も両方とも、私の考えていたこととほぼ合っていると思います。
人間とは、とても複雑な生き物で、他人が簡単に裁くことはできない存在である、とそれが言いたくて書きました。
「他人を苦しめる人でも、その苦しめる心の内側には、他人にはわからない激しい葛藤があり、自分の感情をコントロールできない苦しさがあったのではないか」と、主人公が思い至るまでの、40年にわたる経緯を書きたかったのです。振り返ってみればみんな愛しい人たちだった、と思えるまでの40年を。
読まれる方にうまく伝わるかどうか、自信がありませんでしたが、kitaohi様は分かってくださった、と感じております。
同人誌に出した作品を、最後まで読んでもらえた、というだけで、書くほうはとても嬉しいものです。そのうえ、丁寧な感想までくださいましたこと、心から感謝いたします。有難うございます。

カテゴリー:KORN

「KORN」2号(福岡市)

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<2013年 6月 8日(土)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>

蛇苺の紅ー愛しい人たちーをよんで
遠近のkitaohiです。KORON2を送っていただき、蛇苺の紅―愛しい人たち―(KORON2 2013.4発行、納富泰子)読みました。いつものように、読後感をここに載せさせていただきます。偏見で、的外れな読後感と思いますが、お許しください。

 原稿用紙200枚以上の大作である。KORON2を送って頂きすぐに読んだが、感想のメモは書かずにそのままにしていた。その後、メモを書こうと思って再読した。再読して自分の読後感が最初と違っているような気がしてきた。最初に読んだときは面白さもあり一気に読めた。2度目は私自身の友人などで亡くなった人を思いながら読んだこともあり、生きているときの友人に対する気持ちと亡くなって数年してからの気持ちが違っていることに気が付いたからかもしれない。

 依子は夫源吾の養母お松さんが亡くなってから、お松さんが残し『記録帳』を読み、源吾一族の関係が分かってくる。

 お松さんは源吾の実父寅太郎の姉で、源吾が小学校4年の時に独身のお松さんの養子になる。養子になったのは、実母のおミヤさんの生家がおミヤさんの兄の放蕩のため借金のカタに取られそうになり、それを避けるために、お松さんから金を借り、代わりに源吾を養子に差し出すことになったからである。しかし、源吾はお松さんの作る食事が合わず、5日足らずで実家に逃げ帰る。お松さんは小学校の教師で、転校先では担任教師でもあった。実母のおミヤさんはお嬢様育ちで、子供を叱ることはなかった。一方、お松さんは、姉が東京の人と結婚して家を出た後は弟(源吾の実父寅太郎)と老母の生活を支えるなど苦労している。

 依子は、おミヤさんとお松さんとの中間といった立場でおミヤさんからはお松さんの悪口を聞き、お松さんの言動と『記録帳』からお松さんのおミヤさんに対する気持ちを理解する。

 ストーリーは、おミヤさん、おミヤさんの長男一郎夫婦との関係、お松さんの親族の関係などのドロドロした部分を中心に、お松さん、おミヤさん、寅太郎の死後まで続く。お松さんの古い家のおどろおどろした部分もしっかり書き込まれている。

 2回目に読んだときは、読み終えて疲れが出るような作品だった。最初に読んだときはおミヤさん中心の作品で、おミヤさん、お松さんともに表面的な部分は別にして、人間としては愛すべき人物と書こうとしたのかと思った。しかし、よく読んでいくと、生きている人間同士で争っているときは絶対に許せないような事項も、死んで何年か経つと、憎しみ合ったことや許せないと思ったことも愛すべきことに思えてくる、ということを書きたかったのではないかと考えるようになった。この考えは、あるいは作者の意図することとは違うかもしれないが、私自身は、自分の経験も含めて、そのように読んだ。作者の意図からは的外れのような読後感になってしまったことをお許し願いたい。

 長編で素晴らしい作品であることは間違いない。

カテゴリー:KORN

「コブタン」№.36(札幌市)

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2013年6月 8日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【評論「近現代アイヌ文学史稿」須田茂」
 アイヌ文学史とあるが、民族としての存在にかかわる歴史の書の系統であろう。日本人のアイヌに対するイメージはエキゾチックものである。
 おもいつくままに挙げれば歌謡曲では、伊藤久雄「イヨマンテの夜」(菊田一夫作詞)、織井茂子「黒百合の歌」(同)があり、文学では「森と湖の森」武田泰淳。コミックでは「カムイ伝」などがある。「カムイ」は、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のことで、そのイメージだけで、どれもその民族の文化の実態からは大きく乖離している。
 とにかく本評論は、労作で読むのに大変だが、なかに加藤周一の「時代精神の最大の担い手が、常に詩人であり小説家とはかぎらない」という意見の引用がある。たしかにそうで、文字化されない詩情や音楽の音調のなかにも、手がかりがあることを本稿が示している。
 【「鳩摩羅什の足跡を訪ねる旅」須貝光夫】
 インド仏教典の翻訳300余巻を残したとされる鳩摩羅什の遺跡の現状が、写真入りで報告されている。そうなっているのか、と興味深く読んだ。シルクロードの住民は民度が玉そうだが、共産党政府との関係はどうなのふぁろう。作者は曹洞宗の得度をした僧侶であるという。自分は父親の代から浄土真宗の寺の檀家とされている。教えによると、自分たちは阿弥陀さまに救われて浄土にいるのに、目がくらんでそれを自覚していない存在だという。だから何もしないで、そのうちに無明から抜け出る機会がくるだろうと待っているだけである。
 アイヌの資料調査や本稿を読むと国会図書館で保存するためのナンバーをもらえそうな気がする。
 札幌の琴似といえば、若い頃に小売業者探訪記を書いていたころ訪れたことがある。その時に、九州で倒産し夜逃げして、北海道で再起した人が少なくないようだった。また、沖縄出身とされる人が、自分の祖父は沖縄からアラスカに渡り、その中途は不明で、その後カムチャッカ半島からまた沖縄にもどり、さらに神戸を経て北海道にきたという人がいた。その人の顔つきが瞳が青みがかっていて、彫りが深く色白であった。今でも、なんとなく、沖縄とアイヌとは関係があるような気がしている。
発行所=〒001―0911札幌市北区新琴似十一条7?2?8、コブタン文学会

カテゴリー:コブタン

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