2013年3月アーカイブ

「出現」5号

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『海峡派』季刊文芸同人誌より転載

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創作
白夜のナイチンゲール ・・・・・ 布施院 了
ロシアの古都ノヴゴロドの、タマーラという18歳の少女が「歩く」ことにこだわり続けている。タマーラは、歩く日々の中で、白樺文書記念館に努める父と父を「お父さん」と呼ぶかつて養女だった女性と会っているのを目撃したり、ルカという絵を描く少年に告白されたり、ルカが死んだりと、わだかまりを抱えている。タマーラは不眠や食事をとれなくなってしまった。ベランダから聞こえてくる合唱隊の歌声に幻の少年の声を聞く。絵を描く少年の銅像の写真から喚起させるストーリーも、白樺文書などの創作も高レベルの質感を感じさせる。とてもおもしろかった。

シャネル七番 ・・・・・・・・・・ 武居 明
リュウとマヤは、列車でのヨーロッパ横断をしている。列車という閉鎖的な空間で繰り広げられる小さなロマンスの数々。ちょっとあやしげなヨーロピアンな雰囲気が旅心をそそる。

寄る辺 ・・・・・・・・・・・・・ 内村 和
八十過ぎのサトは過疎の村に一人暮らし。東京に住む長男和也が訪ねて来て、そろそろ施設に入らないかと勧める。サトは昔のこと、母が肺病で死に、治美が新しい継母になったこと、姉のミヨの腕に赤い爪痕が残っていたこと、結婚して出て行ったミヨは女児を残して死んだこと・・・などを思い出す。二男哲も職を変え、苦労しているが、村には戻らない。それぞれの人生を生きるしかないという諦観のようなものが伝わってくる。

カテゴリー:文芸誌「出現」

2013年3月20日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「ネコババア」奥端秀彰】
 少ない年金生活でアパート住まいの高齢者、美津子は猫に餌をやっている。同じアパートに3年前から住んでいる30代の男が近所迷惑と文句をいう。美津子は男が気にいらず復讐心や殺意まで抱く。美津子の社会的な存在である男への悪意がやがて自分に向かい、それが刃物三昧にまで発展する。
 老婆も男もなんとなく、世間での存在意義を失った人間のように描く。それは現代という時代の気配でもある。宙ぶらりんで、誰もが自己存在の定位置が見えない時代の空気を切り取った短編のようだ。
【「道行く」淘山竜子】
 高之という喫茶店経営者のやりくりを通して世相の一面を描くーーというように読める。商売の大変さというか、商売に向き不向きの人柄の様子が、仕事ぶりが細かく描かれているので、それなりに現代商店の事情が読み取れる。小説としては、風俗小説的な側面が強いが、心理的な説明とストーリーを結びつける構造づくりが複雑なのか手薄なのか、小説の登場人物のイメージよりも、作者自身の倦怠感や閉そく感が随所ににじみ出ている感じだと、思った。

カテゴリー:孤帆

<2013年 3月17日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:和田伸一郎>

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「銭」   もろひろし
 はじめに夢が登場する。この夢に出てくる男を主人公文雄は、斜め上方の視点から追う。文雄の分身であるはずの男なのだが、そこにはある距離間があり、男に対しての感想が挟まれる。しかし、この主人公「文雄」と作者の間にはほとんど距離間が感じられない。
 したがって読者は、文雄が夢の男を見ているような位置から文雄を見ることになる。文雄は電子部品の町工場の経営者で、社員ひとりひとりの家庭の事情をよく知る立場にあり、会社とは運命共同体の大家族みたいなものだと考えている。
 文雄は仕事が激減した新しい現実にうまく対応することができず、その現実を認めるよりそれをもたらした親会社を恨み、裏切られたと感じる。これは、下請け制度というある程度自律的な内閉的空間を作り出してきた日本の企業社会が、アメリカからやってきたグローバル化という大波に移行しようとしていたことによる。
 この変化は文雄にとって、許容できないことだった。下請け制度自体が親子関係を象徴するような構造と秩序を要請され、「親」に逆らうことは御法度だった。文雄にとっては、いきなり親に荒野に連れ出され、あとは一人でやっていきなさいという、アメリカ型親子関係を押し付けられたようなものだ。文雄は、荒野に出て孤独とたたかいながら決断していくビジネス界の経営者のようにはわりきれず、きわめて日本的情緒に流されてしまう家長的存在として描かれている。
 妻のたか子は、社内においてもパートナーだが、文雄にとっては「母」に哀訴する子どもとそれを拒む「母」というかくされた関係が存在することが読みとれる。文雄には、「母」の胸に顔を埋めて乳房をもてあそんでいたい衝動が見え隠れしている。その「母」は、実は親企業でもあるのだ。下請け制度という擬似親子関係を機軸とした日本的な企業社会崩壊のドラマは、親が生き延びるために子どもを騙して家から追出してしまうという、グリム童話の寒々とした世界を連想させる。

カテゴリー:クレーン

<2013年 3月17日(日)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:和田伸一郎>

「穴を掘る」 河内きみ子
 かつては漁師だったが、製鉄所の進出で海が埋め立てられ、補償金を元手に農を営む老夫婦の回想物語である。農や漁の回想には、常に自然が挿入されている。それは景観としてではなく、身体の延長としてごく身近なものとして語られる。この作品はそうした自然を人物のように重きを置いて登場させているのが特徴だ。
 作物が失敗作でも、自然を相手に暮らす無意識の教養が老夫婦の生活処方ともなっている。書物から得られる教養にはないのびやかな視点が、忙しくあくせく暮らす現代人が忘れていたものを思い出させてくれる。
 地方語の会話とともに、過去と確実につながっている時間の流れは、遠く太古までもほうふつさせるものがある。私にとって、興味深い作品となった。

「蟻」     中山茅集子
 台所で料理を作りながら蟻をひねりつぶしたことを「ほんの少し後悔した。」ことから物語は始まる。主人公直子の自意識が、マンションの周囲の情況となじむことができない。その自意識が景観を切り取り、解釈を加えながら物語は進む。同じマンションに住む一人暮らしの男との出会いも、自意識を根底から揺るがす事態には運ばない。
 散歩の途中、バラの前でたたずんでいる男のひと言「おまえ、えばりくさっても、ハマナスの棘には勝てねえべえさ」が気になった。その男に話しかけ、男の育った北海道の荒海に思いをはせる。その荒海がはぐくんだ無意識が、直子の自意識を溶解していく。そうした過程が作品に見事に反映され、自意識をもてあましている現代人の心の隙間に分け入っていくのを感じることができる。

カテゴリー:ふくやま文学

2013年3月16日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「うさぎの椅子」西澤しのぶ】
 安アパートで独り暮らしをする井上隆に突然、東日本大震災の被災地から電話があり、姉一家が被災し、おぼろという姪だけが助かり、おぼろが親戚である井上のところに世話になりたいというので、引き受けて欲しいという。この辺から、この話の現実性なさが出ていて幻想小説という印象を与え始める。実際、かなり長い話が続き、書き手にとっても読み手にとっても、いわゆる癒しを主体とした小説形式。
 突然やってきた姪おぼろのために、いままでの自分の部屋を提供し、同じアパートの安い部屋に住む。隆の生活はおぼろの自律のために尽くすことに変る。二部屋分の家賃やおぼろへの生活支援のため、会社で禁じられている夜のアルバイトなどもする。猫や小鳥のペットを与えることで、なんとか幸せになって欲しいと、努力するがおぼろは彼の望まない道に進んでしまう。偶然やエピソードには、唐突さや通俗的な手法もあるが、重苦しく夢のない現実から逃れる時間を過ごす読み物になっている。
【狂言「御深井焼き」三田村博史】
 お宝なんでも鑑定団の影響で骨董ブームが続くが、これをそれを揶揄し、うんちくを楽しむ内容。名古屋弁がこんなに狂言に相性がいいとは、まった気がつかなかった。これを証明する発見的創作。
発行所=477-0032東海市加木屋町泡池11?318、三田村方。
紹介者「詩人回廊」伊藤昭一。

カテゴリー:文芸中部

2013年3月13日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 低コストで制作できている同人誌だと聞いているが、潤沢な資金で泥くさい同人誌があるなかで、いつも垢ぬけした粋な感じを与える。
【別荘団地自治会長・実記「意地」杵淵賢二】
千号の15号では、番外編で新興宗教の信者が住民として紛れ込んで、大騒ぎになった顛末で大変面白かった。その後、指名手配中の信者が、自首したラり逮捕されたり、東京城南地区を騒がした。とくに川崎から多摩川を渡って大田区に来て捕まった男などは、かなり堂々と行動していて、見た見たという情報を警察に入れていた人が多かった。懸賞金がかると違うものだ。捕まったのは、それからしばらくしてからである。それをそのまま、小説にしたら、おそらくそんな行動をする犯人なんかいるものか、とリアリティがないとされるであろう。
 今回は会長の立場で総会を開催するが、対立勢力の動きに腹を立て、総会を済ましたあと辞任するというところで最終回。ちょっと説明不足のところがあるが、ドキュメンタリータッチの表現力に才気が感じられる。
【連作・S町コーヒー店(14)「桜の季節は...」坂本順子】
 コーヒーショップのお客の会話を横できくという定番スタイルで、人情話風のコントに仕上げる、。ほとんどプロの手腕である。文芸の芸が光る。桜の季節の詩情を俗世間の噂話を綺麗に並べ、身近なところを素材に見事な散文詩にしている。
【「私のヘルパー日記「君子さん」飯塚温子」】
 こういうのも、ひとそれぞれの晩年があり、人生があるのを実感させられる。
【エッセイ「お客さーん」島 麻吏】
 介護に疲れれて、食事をしたあと支払いをしないで店を出た時の恥ずかしい思い出を語る。お疲れさんです、という気持ちにさせる。
【「長明曼荼羅」小川禾人】
 鴨長明の心境を描く。俗に生き、世捨て人に生きる二面性を表現。小川式長明解釈。
発行所=〒286?0201富里市日吉台5?34?2、小川方。

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

2013年3月12日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「桜桃」石川友也】
 父親の兄夫婦が亡くなって、その娘の菊江が引き取られてきた。和也より4歳上の小学6年生の従姉である。思春期に入る前の姉弟の楽しい交流が描かれる。そして、菊枝は自分の境遇に押しつぶされそうになり、体調を崩すが、少しばかり臥せっただけで、健気にも、その寂しさから立ち直るまでを和也の視点で描く。素直な筆致で詩情を漂わせて味わいが良い。
【「記憶」大川龍次】
 産みの母親を離縁し、後妻を娶った父親。やがて、私は他人の会社経営者のところに養子の出される。その後の生活の苦労を語る生活記録だが、私小説なのかフィクションなのか人生の一面を大雑把に描く。
発行所=123?0864東京都足立区鹿浜3‐4‐22、(株)のべる企画

カテゴリー:小説と詩と評論

2013年1月 6日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「地の塩の聖人」宮本肇】
 「地の塩の箱」運動の創始者で、詩人・作家の江口榛一が1979年に千葉の団地で自死したという新聞記事から始まる。65歳だという。「地の塩の箱」運動とは、余裕のある人は箱にお金を入れ、お金がなくて困った人はその箱の金を使って良いというシステム。一時は流行って世界の各地で実行されたらしい。奉仕の末に破滅する人生の運命人を追い、作者自らその娘さんに会って取材したドキュメンタリーになっている。また、作者が中学生時代に体験した特殊な悟りのような境地も興味深い。作者は冷静に江口を評価しているが、わたしはなんとなくドストエフスキーの「白痴」の主人公の矛盾した存在を思い浮かべ感銘を受けた。
【「含笑些話異聞(八)花占い」中村浩己】
 お笑いコントネタを連載していて、ピリ辛の笑いがある。笑いをつくるのは難しい。同人誌だけですませるのはもったいない気がする。かつての私の友人は、自分の好きな噺家や漫才師に台本を直接渡しにいって、ネタに検討されたが、ネタの外部提供は現在はどういう仕組みになっているのだろうか。
 発行所=相模原市南区古渕4?13?1、岡田方「相模文芸クラブ」。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:相模文芸

「午前」第92号(福岡市)

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<2013年 1月 8日(火)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:ひわき>

【「双葉山に勝った男」明石善之助】
九鬼猛夫は多発性脳梗塞による認知症になり、老人ホームで暮らしている。今では妻も判別できず、生活全般において介護を必要とする。そんな九鬼が「俺は双葉山に勝ったことがあるんだぞ」と言っても、誰も相手にしない。昭和10年代に活躍した双葉山は国民の英雄だった。九鬼には小学生の頃、地方巡業に来た双葉山を負かした思い出がある。妻のことも判らなくなった今でも、ふっと双葉山に勝った時の記憶の断片が浮かぶ。そんな時、九鬼の感情は豊に動いているのだろう。外から見れば九鬼は不幸な状態なのだが、いろんな能力を失ってもまだ感情を揺さぶるものがあるのは羨ましい気がする。九鬼のそれまでの人生や老人ホームの描写が、九鬼の内面を補強している。

カテゴリー:午前

<2013年 1月 8日(火)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:ひわき>

【「絆」島有子】
小説となっているが、作者の実体験が語られているように感じた。細部が生き生きと描写され、祖母への思いが伝わってくる。明治末期のことだろう。15歳の祖母は機織りを覚えるため、徒歩で新潟から群馬県の桐生へ行く。そこで桶屋の後妻になり、死別後は年の離れた寿司屋の後妻に入る。幼い頃いつも祖母に遊んでもらっていた作者自身も年を重ね、祖母をより身近に感じている。現在とは異なる人びとの生活状況や、人と人とのつながり、優しさや思い遣りを味わった。

【「枯れ菊」北大井卓午】
高齢者の様ざまな状況が正雄によって語られる。どのエピソードも納得ゆくものばかりである。マスコミは介護の現場や内容など多方面からの情報を流し、有料老人ホームの折り込みチラシが新聞に挟まれている。私自身もこの先どうなるのだろう、と考える。認知症になるのは悲しいことだが、躰の自由を失って頭脳ははっきりしているのも辛い。誰もが老い先に暗いイメージを抱いている。しかし、誰もが確実に老いてゆく。いったい、そこに何が残るのだろう。語られる正雄の思いはよくわかる。結局は、その時まで築いてきたその人自身の暮らしが残るのだろう。小さな対象にも心を動かし、積み重ねてきた記憶のどこかに結び付く。そういうことが年を取ることの豊かさかもしれない。

カテゴリー:季刊・遠近

「澪」MIO創刊号(横浜市)

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2013年3月 5日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【評論「ポーの美について(ノート)」柏山隆基】
 (詩の原理、コールリッジの影響、創作技法、詩作から小説へ、等)という副題がある。その通りで、ポーについての生活と作品の関係がよくわかる。小説の巧さと詩的な神秘主義者としか思っていなかったので大変参考になった。「詩の原理」は萩原朔太郎は読んでいたが、ポーに同名の書があるとは知らなかった。こういう理論は、朔太郎の場合、実作作品より良いとは思えなかったが、ポーの場合もそれほど良くないのかも知れないと思った。理論で創作のインスピレーションは明らかに出来ないのではないか、と思っている。
【「暗渠」大城定】
 教員が60歳になって故郷に帰り、知り合いの葬儀に出る。そこで、認知症のような、ホームレスのような老人に世話をすることになる。そこで、年老いた父親の最終的な時間を過ごした記憶がよみがえる。語りの手順に工夫があり、特に新しい手法とは思えないが、何といっても家族の現代の事情と、時代を超えて不変な親族愛が、同時に描かれて感銘を受けた。
【評論・映画監督のペルソナ「川島雄三論」石渡均】
 出版本になるはずだったものが、不運にもできなかった評論だとある。映画にはくわしくないが、著名な監督であったことはわかる。映画監督は、そいうものかと興味深く読んだ。
発行所=〒241?8021横浜市旭区中希望が丘154?3、多田方。
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

カテゴリー:

2013年3月 3日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 「日曜作家」という同人誌は以前からあるように思ったが、それは個人誌でその方が亡くなったことで、友人たちが同名の同人誌を発行したものとある。
【「優雅なるトマトケチャップ」?甲山羊二】
 1980年代の下宿暮らし大学生のキャンパスでの恋。恋した彼女には先生の彼氏がいた。それでも複雑なのが女子大生の女心。結果的に男心を翻弄する。そのいきさつが超ロマンティックな筆法できれいに描く。スイートメモリーそのもの。これで十分完成度が高いと思われるが、連作だという。
【「小説・編集後記」妻永二】
 なんのことかと思って読んだら、自らが参加している同人誌「北回帰線」についての散文であった。小説はどう書いてもいいというような考えがあるようだから、これも散文小説として面白い。作者は道路・橋梁設計事務所いて建設の専門家であるという。工学理論に詳しいが同人誌に掲載できないのが残念そう。こういうのが面白い。じつは私は、何年前かにタンカーや橋梁の設計に必要な荷重負荷バランスを計測する会社の動向記事を頼まれた。ある社長に取材したら、「あなたもご存じのように、地球上のエネルギーは6分力の方向にあるので、それが建造物にどう働くかがわからないと設計ができません」という。「ええっ、そうなんですか。知りませんよ」と聞いてびっくりしたことがある。
 文中に同人誌に「仕返し合評」があるどうだが、仕返しでもなんでも読んでいるのだから、いいのではないか。
【「雲流れる・連載一回」大原正義】
 山上憶良の遣唐使派遣員の話。貧乏と酒の歌は知っていても、歴史的な存在意義は知らなかったので、解説的歴史小説として楽しめた。
なお、「日曜作家」では、当誌掲載と副賞5万円の「日曜作家賞」を公募している。
発行所=〒567―0064大阪府茨木市上野町21?9、大原方。日曜作家編集部
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

カテゴリー:日曜作家

2013年2月 4日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「後三年合戦最後の日」宇津志勇三】
 ていねいに書かれた歴史小説である。1087年ころになると源氏勢力が東北へ勢力をのばしはじめた。その手はじめが清原勢力との連携であったろう。そのなかで清原勢に溝ができる。これは源氏勢には有利な材料となる。この源氏勢への北への進出を強めたのが「後三年合戦」である。これが単なる「合戦」か、もっと大きな「役」になるのか微妙なところだが、この作品によると、先代の合戦で郎党が逃げて、他所に逃げていたのが、戻ってきたとあるので、これは武士による合戦であったらしい。地味ではあるが粘り強い筆遣いで読ませる。
【「阿武隈の風(後篇)」高橋道子】
 東日本大震災の津波と福島第一原発事故の現場を舞台に、その現実を小説化したもの。単なる詠嘆に終わらず小説化することが市民の間に広がることを歓迎したい。
【「泣き笑い年末始」安久澤連】
 正月過ぎての突然の便秘やなにやら、体調の異変に対応するさまをユーモラスに語る。読んでいて人ごとではない感じだ。身体の調子が加齢によって思わぬ変調をきたすひとには、必読の書。わたしもある日突然、思わぬ便秘と腹痛、圧迫感に苦しみ、医師に相談したところ「よくあることですよ」と笑って薬をくれたが、よくあるからと言って、自分が楽になるわけではない。腹をたてたが、この作者はわたしより先輩で、腹が据わっている。次々と医師がさし出す課題を乗り越えてしまう。尊敬するしかない。こちらは検診など受けようものなら、つぎつぎと病気状態を発見され、検査の予約で人生のスケジュールが埋まってしまうと敬遠して逃げている。それがここでは、笑いを入れて楽しくない話を楽しく読ませる。
【「芥川龍之介詩1編の謎『沙羅の花』凋落」牛島富美二】
 芥川龍之介が室生犀星宛ての手紙に詩を書いているという。これは興味深いので作品からまた引用させてもらう。
    嘆きはよしやつきずとも
    君につたへむすべもがな
    越しのやまかぜふき晴るる
    あまつそらには雲もなし
 作者はこれは森鴎外の詩「沙羅の木」の影響があるのではないかと推察している。
    褐色の根府川石に
    白き花はたと落ちたり
     ありとしも青葉がくれに
    みえざりしさらの木のはな
 牛島氏は芥川が沙羅の木に「凋落」のイメージを込めていると解説。その後、芥川が美貌の歌人で人妻の秀しげ子と不倫の恋との関連を述べている。そして女心に悩まされる現実も示す。沙羅に関する詩では、鴎外の方が冷静で出来が良い。芥川のは犀星もそれほど褒めなかったのではないか。ただ、犀星が芥川の恋の悩みを理解してれば別であるが。
【「詩本論」酒谷博之】 
 詩論というのは、誰が説いても面白いものだが、情熱のある論調で続きが楽しみ。「資本論」のように長くなるのか。もっとも資本論は経済学批判であるので、詩学批判になればさらに興味深いのでは。
発行所=〒982―7891仙台市泉区向陽台4?3?20、牛島方「仙台文学会」。
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

カテゴリー:仙台文学

「砂」121号(東京)

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2013年1月26日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「芝居の値段」中村治幸】
 この作者は不思議な持ち味を変らずに持ち続けている。私は「物語」カテゴリーで、この人の麻葉加那史の筆名での作品を出してある(二日酔いの朝は憂鬱で哀しいという意味であろう)。
 日本の近代文学の伝統的な私小説の作風をかたくなに守っている。40年以上前から変わらない。そのころからわたしは、古臭い文学手法しか知らない文学青年だと思っていた。文学ではあるが、いかにも時代遅れだと思っていた。しかし、世間の変化に平気で取り残されて行ってるのにこうまで、スタイルを変えないとかえって新鮮である。立派な文学老年である。
 今回の作品は、随筆になっているが、日本の伝統的な形式として存在する私小説であろう。昇は65歳でフレンチレストランの洗い場で働いている。久しぶりに池袋の映画館「新文芸座」に行く。映画は三谷幸喜監督脚本「素敵な金縛り」とさだまさし原作、瀬々敬久監督脚本の「アントキノイノチ」であった。昇にとって映画は、昔から好きであった。友の会にも入っている。何回か入るとポイントがたまり、タダで見られる時があるのだ。いまは映画観賞が労働の疲労を回復する手立てなっていることがわかる。そして、その映画館の客が減っていることに気がかりを持つ。トイレの正面に映画館の友の会の勧誘張り紙がしてある。昇は映画館の入場料が高くなるのを心配している。その視線が、昇のつつましいなかで娯楽を見出して満足してきた庶民的境遇とそれを自然体で受け止める姿勢を物語っている。
 ここには昇が読書会で知り合った鈴木さんという男の話が出ている。彼は歯科医の息子だったが、父親と同じ職業を選ばず、若い頃アメリカに留学して、帰国してからもいろいろな職業につき、65歳で退職し現在は年金で母親と暮らしている。彼は舞台演芸が映画より料金が高いのはおかしいと文句をいう。鈴木さんという人は怒りっぽくて、いつもなにかに怒っていてそうせずに居られないものが心の中にあるようだという。
 おそらく、昇と親しくしているのは、やはりつつましい生活を送っているのであろう。それは劇場の料金が高いという考えからも推察できる。そして、昇とは異なり、つつましやかな庶民生活に安住できないでいるらしい。誰かに下積みの生活を強いられているように感じて、裕福な生活をする人が存在する社会に対しての怒りがあるのかも知れない。昇が喜劇の話をするのだから、怒らないだろうと思ったら、それでも怒りだしたという、ところに何とも言えぬユーモアがある。
 また、昇という語り手が、金銭的な価値観から独立した芸能を愛し、つつましく生活を楽しんでいるという設定が、文芸作品としての核になっている。喜劇すらもお笑いという味気ないものに変ってしまい、真の芸能の理解者が居なくなるという、さびしい現実の感傷的要素が、文学的な味わいとなっている。
 もし、これを映画館の入場料や現在のテレビ中心のお笑いへの批判だけに終わっていたら、それは新聞の投書蘭の意見、オピニオンに過ぎず、作文であって文芸ではない。老年、映画館のトイレ、貧しさ生活に安住する精神、これらの細部の意識的な組み合せがあって、スタイルが古くはあるが文学の領域に存在しうるものになっていると思わせる。
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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