2012年5月アーカイブ

胡壷・KOKO 11号

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 感想が遅くなりました。

「渓と釣りを巡る短編? 隠れ沢」桑村勝史
 これまで黙っていたが、この作者の渓流釣り小説をひそかに愛読してきている。
 小説というのは人間を描くものだと思っている者から見ると、この「渓と釣りを巡る短編」では、渓流や岩魚や滝つぼやらの自然を描くことに精力が費やされていて、人間はその背景のように書かれている。最初はそのことに違和感を感じていた。
 しかし、小説が必ずしも人間のみに焦点を合わせる必要はない。人間も岩魚も渓流も滝つぼも民宿のおじさんも、存在としては等価なのである。むしろ人間描写だけに囚われずに存在するものを並べて描こうとする作者の姿勢をよしとし、渓流のせせらぎ、岩魚の魚影を楽しめばよいのだと気づいた。この作者の才能は狭い視野の中に見える人間を描くことより、世界全体として、あるいはその一部としての渓流や釣りをみごとに描くことにあった。と、今回の「?」でようやく思い知った。

「女子会をいたしましょう」 ひわきゆりこ
 日帰りバスツアーで知り合った、珠代、萌絵、私の三人が、その後集まって食事会をする、すなわち「女子会」をする様子が描かれている。その内容自体はいかにも現代風でよくある話になってしまうのだが、この作品の語り手というか視点となっている「私」だけでなく、珠代、萌絵の個性や生の来歴、そして今後をもきちんと提示するように描かれており、それがこの小説をしっかりと支えている。三人はもう多分二度と「女子会」で会うことはないだろうし、それぞれが個々の生を生きてゆく。
 先に評した桑村さんは、渓流や岩魚を描写することで逆に人間とは何か考えさせる。ひわきさんはその反対で人間そのものに視点を置いて直截的に描こうとしている。それも肯定的視点からである。

カテゴリー:胡壷・KOKO

2012年5月14日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「赤い陽」有森信二】
 世界の文明国による第3次世界大戦と、大自然災害という二つの破局要素の中で、日本民族らしき男と異なる国の女性の恋人を描く。3・11の自然災害とそれをめぐる世界各国の対応をイメージの基礎に置いたのかも知れない。創造力をフルに発動させようという意欲が見られて、面白く読ませる。
 世界の情勢と国の社会体制の混乱、それと人間的な家族関係に絞って破局に陥る運命を描く。同人誌作品としては長いほうだが、この類の小説としてはエッセンスを集約した短編的なものにしかならない、破局小説として完成させるには長編にしなければならないことがわかる。
 たまたま、当会員の山川豊太郎氏が、暴動などで破壊された都市を漂流する長編小説(現在のタイトルは「繭(コクーン)version2」)執筆中で、その作品解説を予定していたので、比較文学的に読んだので興味深かった。

カテゴリー:海(第二期)

「群系」第28号(東京)

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2012年5月 5日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本号では特集「震災・戦争と文学」がある。どれも読みでがあって、読み終わらない。もともと「戦争と文学」をテーマにしてきたものが、たまたま大震災があったので時代性を盛り込んだものであろう。昨年春の蒲田の「文学フリマ」で大塚英志氏が、震災が起きたからといって文学精神や役割のような問題が、どうこうということはない、と話っていた。基本的にはそうだが、それぞれの視点からの現代と絡みあわせた評論は、ふうん。そうなんだと、どれも勉強になる。高校生時代の生徒として、切り口と料理法の手腕で読ませた昔の文芸雑誌の風情を残している。
 評論を読んでいると、日本の現代文学がこのような状況を見せている前にはこのようなことがあった、と羽織の裏生地を見せるようなところがある。裏生地のほうが立派で、お洒落に見えるのは、元禄時代に似ているかも。
【『文芸誌とメディアに観る「3・11」と過去の大災害』永野悟】
 災害や核の不安について、文学では表現されていて、読まれていないだけだ、という視点と、表現の価値が小説的なものからエッセイ的なものまで拡げた説を展開させている。自分はそれらを散文として包摂する案をもっているので、なるほどそうですかと、意を強くする。
【『伊藤桂一の「黄土の記憶」』野寄勉】
 最初は、これがあるから送られてきたのかな、と思って読んだ。じつに優れた解説で勉強になった。伊藤桂一氏は今年で95歳になると思う。いくばくかの薫陶をうけてきた自分なりに、文章を書くポイントを学んできたが、そのなかに物事を「詳しく書くと面白いのだよ」ということがある。これは外の物を詳しく書く精密デッサンが芸術になるという意味に取れるが、それだけではない。心のありさまを精密に描くと言葉の芸術になるという意味もあると思う。
 本欄の紹介でも、そこがあると良い作品として紹介する基準のひとつにしている。この評論では、その心の様子を描いたところを戦場における人間観に結び付けていて、ためになった。基本には精神の最高峰を求めて登りつつも、ニヒリズムの谷間に落ちずにいる世界観というか、そういうところにあるようだ。
【「シャーキャ・ノオト(1)?原始仏教残影―」古谷恭介】
 いまどきの新書の仏教案内本の浅薄なところを見るにつけ、こういうのを読むと懐かしくほっとする。「もう生まれか変わりたくない」というニヒリズムと、道を求めるロマンチズムの融合の原点がありそうだ。
 つぎはできるなら小説3篇についても触れたい。
        (紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:群系

<2012年 5月 3日(木)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>

「照葉樹」が生まれ変わって「照葉樹二期」となった。水木怜さんが中心のようだ。随筆や詩も載せるという。創刊号(通巻12号)からいい作品が載っている。私は水木さんの作品を読んだだけだが、追って他の作品も読んでみたい。今回はまた的外れな感想かも知れないが、ここに載せることにした。

【「甘いリングの向こうに側に」水木怜】
 ベルサイユ通販のオペレーターの姫子(杉野姫子)を指名してくるクレーマーの小坂トヨは、クレーマーのブラックリストに載っており、「トヨばあさん」という有名人だ。そのトヨが今日も姫子に通販で購入した衣類の色でクレームをつけてきた。対応に苦労していると、主任の安藤が替わってくれた。安藤は36歳で姫子より8歳年上だ。安藤は簡単にカタを付け、姫子にその旨を連絡してくる。

 姫子が帰宅途中、博多駅近くのミスドの喫煙席でアイスコーヒーを飲んで一服していると、姫子の後ろの席で店員にクレームをつけている客がいる。トヨだった。姫子は、トヨに気付かれるのが嫌で帰ろうとしたとき、トヨがドーナツを気管にに詰まらせたらしく、苦しがる。姫子は急いで「トヨさん大丈夫ですか」と声をかけてしまった。結局、そのままトヨに誘われてトヨの家に行く。トヨの家は博多駅1丁目のビル街の裏の戸建て街にあった。古い建物だがいい家である。トヨは独り暮らしらしい。リビングの自分の居場所の周りにいろいろなものが置いてある。孫もいたらしい。

 安藤は、登山が好きで姫子を登山に連れて行く。大学時代は山岳部に所属していたという。下山途中に姫子は安藤に、ひょんなことからトヨに会い、自宅まで行ったこと、トヨは何か寂しさを感じさせる事情を抱えているらしいことを話した。安藤も何となくそれを感じていたという。

 トヨは相変わらず10日にあげず姫子に電話をかけてきたが、クレームではなく相談が多くなった。そのトヨが12月に入って電話で嬉しそうに孫の話をしたあと、姫子と買い物に行く約束をしたが、こなかった。2週間過ぎても電話もない。姫子は不吉な予感が閃き、心配になってトヨの家を訪ねる。トヨはいたが化粧っ気もない。、電気も点けていない暗いテーブルの隅には、小さなツリーが飾ってある。聞くと、娘の奈緒が冬馬を産んで1年もたたないうちに夫の正樹が亡くなり、夫の友人と深い関係になる。しかし、この男はチョッとしたことで暴力男に変身する。奈緒は、冬馬を連れて逃げてくるが、連れ戻されてしまう。弁護士などを使って別れることにしたが、その男は、今度は冬馬を連れて行ってしまい、結局奈緒も男のところに帰ることになる。

 姫子は、そんな話を聞いた後、帰るときにトヨさんから通販で購入した鍋セットを貰う。鍋料理なので安藤を自分のアパートに誘う。その話を安藤にする。その安藤の母の訃報を2月になってか聞く。
そんな時にトヨから姫子に電話があり、奈緒が男のDVにあい、怪我をしたという。姫子は安藤にトヨと奈緒のところに行って貰う。

 長い作品だが、読み易く、一気に読んだ。トヨを通して親、子、孫といった関係の難しい面、複雑な部分などいろいろ考えさせられた。DVの奥の部分が、この作品のように簡単に解決されるとは思わないが、しかし、このようなパターンもあり得るかもしれない。DV,、男女間の関係、家族などこの作品を読みながらいろいろ考えさせられた。とてもいい作品だと思う。

カテゴリー:照葉樹・二期

  季刊「遠近」kitaohiさん(「文芸同人誌案内」掲示板より転載

 題名を見たとき、霞が関や丸の内のキャリア女性の女子会が頭に浮かんだ。ところが読んでみたら全く違う。

 珠代さん(亀田珠代、67歳)、萌絵ちゃん(南萌絵、20歳)、私(岩倉千沙、43歳)の3人は、商店街の福引の景品で当選した日帰りバスツアーで、偶然一緒になった1人参加の仲間で、昼食の焼き肉を食べたり、バスが案内する貸工場などで試食したりしているうちに打ち解けて親しくなる。帰り際に珠代さんから、よかったらこれからまた会わないか、という提案があった。3人は、お互いの携帯に名前、番号、アドレスを登録する。私は携帯に登録したが、彼女たちから連絡が来ない確率が高いと思っていた。

 私は、旅行社に勤務しており、父、母と住んでいるが、最近は母も結婚を勧めなくなった。そんな時、旅行社の客で、建築デザイン会社を経営している佐野さんと知り合う。彼は、奥さんと高校生、中学生の4人家族だ。私も彼も、お互い「都合のいい相手」として付き合っている感じだ。

 今まで携帯にメールや電話が入るのは佐野貴之だけだったが、珠代さんから初めてメールが入ってきた。萌絵ちゃんも来るので珠代さんの家に来ないかという。珠代さんに案内された家は、正面玄関の両開きガラスドアに擦れた金文字で「亀田醫院」と書かれているお化け屋敷のような家だった。珠代さんの家はお父さんが医者だったが心筋梗塞で亡くなり、母親も10年前に亡くなったという。珠代さんは、食事を用意しながら、こんなのが女子会っていうんでしょうと、とても嬉しそうだ。萌絵ちゃんは酔うと「努力しなくちゃ」と繰り返す。

 萌絵ちゃんは、高校生の時、バイト先の30歳の男性と付き合うようになり、妊娠する。彼の家に住むようになったが、DVで階段から蹴り落とされて流産し、家を追い出される。現在はコンビニの店員で、ワンルームマンションに住んでいる。萌絵ちゃんは、自分が人並でないので男ともうまくいかなかったと思い込んでいる。

 3人が打ち解けて親しくなったころ、萌絵ちゃんから、遠い街に彼と一緒に行くからというメールを最後に携帯が繋がらなくなった。萌絵ちゃんの新しい彼氏は、サラ金で借金をしているので、温泉旅館に住み込んで返すことにしたらしい。

 萌絵ちゃんは努力家だから大丈夫だと信じ、これからは珠代さんと2人で女子会をしながら萌絵ちゃんが帰ってくるのを待つことにする。私は佐野さんの電話を携帯に受信拒否の設定をした。

 この作者の作品を多く読んでいるが、どれも全く違う感じの作品で、作者の発想の豊かさ、才能の奥行の深さを感じさせられる。構成もしっかりしており、読後感がいい。題名の現代性から受ける感じと作品の内容の意外性がうまく溶け合っている。珠代さんは、神社の前で手を合わせる女性だと本人にいわせ、ガンに罹っているとしているが、作者が一番書きたかった女性ではないか。若い萌絵ちゃんが古い考え方の女性として書かれているのも面白い。「私」は傍観者だが、珠代さんの生き方に共鳴している感じだ。この作者の作品は、いつ読んでもいい。私の好きな作者だ。これからもどんどん作品を発表してほしい。

カテゴリー:胡壷・KOKO

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