2012年4月アーカイブ

「札幌文学」第77号(札幌)

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2012年4月25日 (水)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「あの呼ぶ声は」須崎隆志】
 出だし高台からみる光景の描写から始まる。しかも動的で、何かの物語の展開を予感させる手法に好感をもって、読み出した。すると、札幌の雑誌なのに、九州の半島が舞台になっている。クマゼミが鳴いている土地柄は確かに南のものである。ん?とますます興味を感じて読み進むと、大変良い作品であった。
 もともと文芸作品として技術を凝らした意欲的な小説なのであった。炭鉱に働いていた父親が、職業病である肺病になって病気と闘っている。子どもの頃に主人公は、近所の同病の炭鉱夫が、それで亡くなったのを知る。主人公は驚きで、無邪気に「大崎さんのおじさんが死んだ!」と父親に告げる。
 あとで、主人公は父親が家族のために「死んでたまるか」という気持ちで頑張っていたのになんという心無いことをしたのか、という自責の念がトラウマとなって主人公を苛む。本人はこれによって父親との関係の変化や、父親が亡くなって母と弟の関係も変質したと思い込む。切ない気持ちがよく伝わってくる。それが肉親からの愛情への飢餓感となり、こだわりから、独りで命がけの遠泳に挑む。傷つきやすい心が、父の心を無視したとなやまさせる。もうひとつ深みが欲しいk気にもさせるが、短編の構造に従っており、それも創造的な制作の意欲が見えているからこそのもの。
発行所=〒001?0034札幌市北区北三十四条西11丁目4?11?209、坂本方。
(紹介者:伊藤昭一「詩人回廊」編集人)

カテゴリー:札幌文学

2012年4月18日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「彗星観測」桑村勝士】
 大学の入学試験を終えて、その合否の結果待ちの高校生たち。ハレー彗星を見ようと友達仲間と望遠鏡で待ち構えるが、天候の都合が悪く、なかなかみることが出来ない。彗星は学生たちの青春時代の未来の指標のように、雲間に隠れて透視することができない。彗星を見るのに熱心だった友人は受験を失敗し、主人公は、大学受験に合格し、内でマドンナ的な彼女との交際の機会を手にする。彼の心の星はまたたいたのか。
 明確な描写力で、青春期のロマンと不安の同居したどこか傾きのある精神状態を描く。
【「女子会をいたしましょう」ひわきゆりこ】
 商店街の籤びきの景品に日帰りバスツアーがあり、それぞれの事情でそれに乗り合わせた3人の孤独感をもつ女性3人。主人公は両親と同居した40代、知り合ったのは、60代と20代の世代の異なる女性。それぞれの世代での女性のかかえる現代的な課題を、ソフトな文体で差し出す。物語の軸になるのは主人公が交際中の男性との関係。話の合間にそれとなく問題提起し、主人公が男性との関係にもちはじめた不毛感を暗示。、彼女が男性との関係を清算するところで終わる。
 これはこれでこの作者ならではの人間の生き方の表現法が発揮されている。商業性の追及なき純文学表現の独自追究の姿勢になりつつあるのかなと、なんとなく「グループ桂」の宇田本次郎氏の創作態度を意識させるものがある。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:胡壷・KOKO

「照葉樹」(二期)創刊号

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2012年4月14日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「時の空間」瀬比亜零】
 時間は一方向に向うので、時系列という発想が出る。この小説はその時間の流れに亀裂ができて、昭一という主人公が20歳、30歳、40歳の存在時間の自分と情報交流ができてしまう。若い時の昭一が、恋人と別れるが、年代を経た自分と交流して、それを参考に考え方を変えて、幸せな人生を送るというもの。設定を工夫すると、平凡な話も面白く読めるということがわかる。ただ時系列の乱というか亀裂の使い方がどこか変なきがするが、まあ深く追求すべきものでもないかも。

【「甘いリングの向こう側」水木怜】
 衣料品の通信販売の会社に勤める姫子は、電話応対している。常連のクレーマのおばさんの電話にてこずる話から、おばさんのキャラクターを浮き彫りにしていく。基本的に人情話なのだが、従来のこの作者の印象からすると、かなり多作をしてきたようで、文脈に無駄がなくなった。書き込んだ結果無駄がなくなり読み易くなったように見える。市井の生活を描くのに、家族と精神的な距離ができた孤独な高齢者と家庭内暴力を組み合わせるなど、かなりドラマチックな仕掛けをつくる。下町人情小説物としては、芝居がかったところがある。舞台劇の脚本やTVドラマ向きの手法。ストーリーテラーの資質が見える。
 菊池寛は、小説と演劇のちがいについて、戯曲は劇薬的な激しい部分だけを取り出して舞台で演じるから演劇とされるという趣旨のことを説いている。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:照葉樹・二期

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