2011年7月アーカイブ

「出現」2号

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「海峡派」ブログより転載

環(かん)・・・・・・・・・・・・渡辺たづ子

亡くなった祖父の部屋の整理をしていた私(環・・・たまき)が、和紙に描かれた曼荼羅のような、祖父が「環(かん)」と呼んでいたものを発見する。それこそ私(環)の名前の由来であることを思い出し、「輪をもって繋ぐ者」という意味を知る。それからは、友人のあかりが難聴だったことや家庭の境遇を打ち明けられたりすることも、弟が生まれたときの思い出なども「環」にまつわるものとして意識するようになる。何かをしなければ、という思いに駆られる。続きが楽しみな第一話。

ゴンタとバアチャン ・・・・・寺山あきの

ボク(犬)がゴンタといきなり命名され、バアチャンにもらわれてからのバアチャンとその周りの人間観察日記というところだろうか。いろいろなエピソードが楽しい。犬好きにはたまらない。中でも霊園までのバスでの出来事や、公園でリードを解かれてからバアチャンとはぐれ、おじさんにポチと呼ばれながらの数日間、そしてやっとまたバアチャンと巡り会うまでのくだりはドキドキさせられた。

遠い汽笛 ・・・・・・・・・・・・・内村 和

突然の父の事故死で、私は小学生のときに家を出て行ったままの母親のことを思い出し、探し当てる。母である占い師は、ハルキという若い見知らぬ男性と暮らしていた。母から父は私と血のつながりがないことを聞かされる。また、母の複雑な出生も。血のつながりとは何か、家族とは何かを考えさせられる重いテーマの作品。

中国東北三省旅日乗・二〇一〇年八月 
                ・・・・・ 山本直哉

作者にとっては幻ではない、確かにあった現在の満州の旅。思い出話も挟み、これはこれで非常に面白い。が、以前連載された作品(最後の2話しか読んでいないが)『ホテル・樹海』や、本になっている『満州棄民の十ヶ月』が、満州を体験した作者が語り継がなければいけないことかと思うし、読んでみたいと興味がそそられる。

カテゴリー:文芸誌「出現」

「石榴」第12号(広島市)

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2011年7月13日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「海まで泳げ」木戸博子】
 かつて泳げなかった、というより水に身体を浸すことに抵抗感をもつ私が水泳競技に参加する。その不安とぎこちなさ。私には、精神の不調に陥った娘がいる。
 そうした境遇を知ることで、私が水との融和に挑戦する意味が浮き彫りにされる。巧みな構成で、水になじむことに挑戦することと娘との交流を重ねた光景。すっきりとした水彩画のような仕上げが、作者の人生を視る表現に美意識を感じさせる。
 この作者には、「クールベからの波」(石榴社)という著書があって、小説や映画に関する大変良い味わいの鑑賞記なので、雑文書きに疲れた時に自分はいまも読む。この中に、チャップリンの「伯爵夫人」についての感動的な鑑賞評がある。
 この映画の裏話をマーロン・ブランド自伝「母が教えてくれた歌」角川書店(ロバート・リンゼイ共著、内藤誠/雨海弘美・訳)で書いている。「チャップリンはたしかに喜劇の天才だった。しかし、ロンドンで晩年の仕事をした私の眼には、恐ろしく残酷な人間に見えた。『伯爵夫人』の外交官オグデン・ミアーズ役を私にオファーしたとき、チャップリンはもう77歳になろうとしていた」としている。なんでも、チャップリンの息子のシドニーが出演したが、彼の出来が気に入らず罵声を浴びせ、意地悪く何度も取り直しをした。他人には失敗を罵り、自分本位の暴君で、「伯爵夫人」は大失敗作であった、としている。もっとも、この自伝には、ほら話と思われる話題も多く、リンゼイの文章がそれを見事にまとめ上げたという印象の本である。木戸さんの作風には、こういうのもありますよ、話かけたくなるような本の世界のユートピア性をもつ。
【「サブミナル湾流」高雄祥平】
 漁港に女性の死体が上がり、その事件について語るのであるが、追求するのは人間精神の欲望、情念、哲学観念が犯人であるようになっている。これはまた、独創的な仕掛け考えた小説というか、叙事詩というか、そういう作品。非凡なものがあり、余計なことは言えないが、自分にはこれはアートではあるが、小説ではないと感想をもった。文化部の女性記者が「大理石から彫り出されたようだ」というのは、すばらしいが、そういう具象性の部分が不足しているのではないか。おそらく野暮を避けたのであろうが、あの観念的な三島由紀夫も必要とあれば野暮をやっている。ただ、私の小説野暮主義は、批判されることも多いので、感想にすぎないが。
発行所=〒739?1742広島市安佐北区亀崎2?16?7、「石榴編集室」

カテゴリー:石榴

2011年7月12日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「電話の時空」三田村博史】
 過去の人間関係を電話でつなぐオムニバス3話。過去の思い出になりがちなところを、電話で巧くタイムトンネルを通過させて味のあるものにしている。なかに、「君」を主人公にした2人称小説もある。作者は中部ペンクラブを運営者でもあり、抽象的な詩作品しか読んだことがなかったが、詩に較べると、小説は大変わかりやすく親切である。
【「望み」安田隆吉】
 奇妙な面白さの小説は、同人雑誌に多い。こういうのを読むと、商業誌だからレベル高いとか同人誌だからどうだという性質のものでないことがわかる。発表する舞台と読者層が異なるだけで、面白さに優劣はない。
 「長期間待った揚句、やっと入った老人用施設。そこにも江戸時代の牢名主的存在の男がいる」
 という出だしで、施設の他人の気に入らない理由を説明して、同時に主人公の「私」の一癖ある性格を暗示するところは、心憎い味である。嫌いな男とやりとりも面白いが、「私」がリハビリを頑張りすぎて骨折してしまう皮肉を、「私」の言い分で真面目に描いて笑わせられる。このようにキャラクターさえしっかり描いてあれば結末はどうでも良いようなものだが、意表をつくものがあってこれも面白い。
【「ふたりのえにし」堀井清】
 若い男女の出会いから、その対話でふたりの境遇と家族関係がわかり、お互いの孤独な心情が伺えるという仕組み。話す内容は、文章の力を活かして、単調なようでメロディアスな強弱をつけ面白く読ませられる。小説の舞台が日本でなくてパリでもいいような雰囲気の流れで、洒落た味がある。内容と出来上がりのわりにタイトルが旧い。この作者は、音楽についてのエッセイもあり面白い。自分はオーディオコンポーネントのコピーを引き受けていたので、どんな装置かなと思ってしまう。遠い昔、何故か相撲取りの看板をだしていた「ナゴヤ無線」とかのオーディオルームを雑誌に紹介したことがある。アゴアシ付きであっても、新幹線のトンボ帰りはきつかったので記憶にある。
【遺稿「再婚」井上武彦】
 かつては直木賞候補になったという作品をもつ作者のもの。これは、裕という主人公の私小説的な作品。故人になられたか、という感慨が先にたつ。素質でいえばプロ作家になれるものを持っている作家であったが、おそらく、自らならなかった方であろうと思う。
 よく、創作者の話に、「プロになれる」とか、「プロになれない」という基準でものを考えて話題にするが、自分は、プロになる必要がある人がプロになり、必要のない人は才能があってもならない、という風に思える。ある時期は、原稿料欲しさにプロになりたい、と思っていても、ほかの仕事で収入があればなる必要がなくなる。売るための注文をつけられないだけ、同人誌のほうがましだ。前衛的純文学のひとが、たまたまエンターティメントの賞をとって異なる作風のプロになり、サラリーマンで高収入の人が賞をとったが、プロになるのを断った人などを知っている。年収が1千万を超えるほどのサラリーマンであったら、賞をとったという名誉だけで、作家業をやらないほうがいいのかも知れない。
 現在、毎年500人を超える文学賞受賞者が輩出しているが、その人がみんな作家業になったら、過当競争どころではないであろう。

カテゴリー:文芸中部

【「百日紅の木の下で」木津奏子】
冒頭は、修道院の中庭に舞い散るさるすべりの花をシスターが掃き清めるシーン。祈りの日々の静かな情景が、美しい文章で綴られております。うっとりしていると、なんだか徐々に怪しいことになってまいりました。高潔と低俗不潔きわまりないものが同居する、めくるめく世界に惹き込まれたのでございます。異界を覗いたわたくしは、頭がぼうっとしてしまいました。

カテゴリー:鳥語

【「胸の怪物」芦原瑞祥】
人は自分の不足ばかりを数えて苦しむ。実際にはよい働き掛けもしたはずなのに、しなかったことや出来なかったことばかりが気に掛かる。自宅介護など、介護する側の自分を責めてしまう傾向があるように思う。この作品の主人公も、障害のある弟に対して痛々しいほどの自責の念にかられる。そこのところのやり切れなさが描かれているが、読後感は爽やかだ。主人公の、船で出会った母子への働き掛けで何かを乗り越えたことを感じさせる。同僚のヨッシーや家族の存在も、大きな力になる。素直にそう思いながら読み終えた。

カテゴリー:カム

【「歯車」よこい隆】
広がりと収束が短い作品の中に巧みに盛り込まれているようで、怖いと感じた。世界で起こるニュースが冒頭にぽんと投げ出され、急にミニマムな疾走の感覚の描写。ネグレクトの加害者の内面で終わっている。今どきの風俗が書き込まれているが、生物としてのどうしようもなさを感じた。
【「失せ鴉」十河順一郎】
読み始めて、人間関係がややこしくて判りにくいし、時の前後が掴みにくいと思った。それでも、止められずに読み進んだ。止められなかったのは、登場人物がみんなそれぞれの境遇で何とか生きようともがいている様がきっちりと伝わってきたからだろう。現在を軸に戦後間もない頃を振り返って書かれている。両方の時の雰囲気がきちんとかき分けられていて、語り手である僕と惣一が経てきた時間の重みが色濃く描かれている。読者である自分も長い時間の旅をしてやっとここまで辿り着いたような読後感を持った。

カテゴリー:木曜日

【「海が時化始めていた」田中星二郎】
「ギンズバーグにもらった自転車で橋を渡った。」の一文で始まる短編。舞台は外国だと思って読み始めたが、日本だった。関西弁と細部にちりばめられた描写が独特の雰囲気を醸していて、やはり日本ではないような空気感がある。人が人を好きになることの不条理が哀しくて、心に残った。

カテゴリー:ignea イグネア

<2011年 7月 4日(月)付、「文芸同人誌案内」掲示板より転載・投稿者:kitaohi>

遠近のkitaohiです。昨日遠近の合評会がありました。「綾鼓――あるサラリーマンの生涯の挿話3」(季刊遠近42号、安西昌原)、「生き残るのは」(季刊遠近42号、逆井三三)のついての私の読後感を載せます。

【「綾鼓?あるサラリーマンの生涯の挿話 3」安西昌原】
 作品の最初の段落で「隻手の音声如何」という言葉が出てきて、いわくありげなストーリーを想像させるが、読み始めると普通のサラリーマンの会社での活躍を軸に書かれたものであることが分かる。

 俺(山科源太)は芝山レコードの定年間近であるが、レディース・アンサンブル結成の担当プロデューサーを任命される。レディース・アンサンブルは契約社員の朝倉桂が提案したもので、若い女性だけのオーケストラを結成し売り出そうという企画である。(注、作者はアルバイトとかバイト社員という言葉を使っているが、最近はこのような言葉は使われず、契約社員が一般的であるので、イメージを正確にするため「契約社員」を使う。)他のメンバーには、呼び屋の岡野を通じて橘廣惠を見つけ、コンサート・ミストレスとして入ってもらう。橘廣惠は総務部ではお局といわれている。オケは全員で4、50人ぐらいなのだが、その中で廣惠と桂の主導権争いが窺えるようになる。

 ストーリーは、桂の提案したレディース・アンサンブルの結成が会社で正式に認められ、何か月かの練習の後会社の一番大きなスタジオで通し稽古をするまでの話である。この会社では、通し稽古が済まないと次のステップに行けない仕組みになっているので、レディース・アンサンブル結成の仕上げみたいのものといっていい。ここに至るまでのいろいろな苦労がエピソード風に入っていて面白い。岡野の話、家の食事の献立の話、会社のタテ社会の話、タンゴのスペシャリストの中島さんの話、桂のネズミ商法的なサプリメントの話など、どれをとってもうまく書かれている。最後に、桂の強烈なしっぺ返しがある。

 廣惠と桂、俺との関係に娘の由比は心配しているのか、定期的に留守番電話にコメントを入れてくる。この作品を読みながら、俺は由比に何も話していないのにどうしてコメントができるのか、不思議だったが、最後にその謎解きがあり、ホッとした。音楽の世界が分からないので、読んでいて分からないところもあったが、ストーリー展開は分かり易いので面白かった。よく計算された素晴らしい小説だと思う。欲をいえばいつごろの話かを作者に聞きたい。


【「生き残るのは」逆井三三】
 冒頭の1行から作者独特の世界に引き込まされる。「狼は生きろ、豚は死ね。」というシニカルな文章から物語がはじまる。

 主人公の建二は、志道ファイナンスという金融業に勤務する取り立て屋である。志道ファイナンスの社長は柳というヤクザだ。部下は荒木といい、建二と組んで取り立てをしている。建二には洋子という愛人がいる。言葉も荒く残酷なことをしても平気な男だが、何故か洋子を「洋子ちゃん」と呼ぶ。洋子は、建二の愛人であるが、娼婦でもあり、また建二にいろいろな情報を提供する仕事のパートナーでもある。建二は、どん詰まりの人生を送っていて死にたがっているような男を見つけ、その男に保険を掛け、危険な仕事をさせることを洋子と計画する。西上がそんな男だった。地元の名門高校に通っていたが中退してから、ネットで株取引をして失敗し、志道ファイナンスの客になる。西上はブログを作って自分の考えを発信している。その中で、人間は食べないと生きていけないが、食べるためには金を稼がなければならない、金を稼ぐことは人を傷つけることで、罪悪である、と書いている。言外に死ぬこと以外に救われないという考えが読み取れる。

 建二は西上を洋子の運転手にする。建二は西上に志道ファイナンスの社長の柳を500万円で殺すことを依頼する。西上は簡単に乗ってきた。右翼の街宣車に乗っている柳を殺すため健二は盗難車を手に入れ、西上に運転をさせ街宣車に突っ込ませた。柳は死に、建二が社長になった。西上は柳を殺したが自殺はできず、西上のブログのハンドルネーム通り、死神として生きていく。建二は洋子に西上と付き合うようにいう。西上は洋子にどんどん傾斜していく。そんな西上にアル中の和田を殺させ、志道ファイナンスの客である医師の伊藤に死亡診断書を書かせる。その後西上は建二を殺そうとして反対に殺される。最後は建二が洋子と荒木に殺される。

 物語は長く、登場人物も他に山田(債務者)、悪霊などがおり、それぞれ物語の重要な役割を持っている。面白いのは、建二、洋子、西上など重要な役割を演じている人物はみないわゆる偏差値が高く、自分なりの考えを持っていることである。荒木も多分生い立ちを書けば偏差値の高い高校出身だろう。

 健二は悪人ぶっているが、読んでいるとどうしても悪人には感じられない。悪霊という同級生を苛め抜くのは、建二を悪人に仕上げるための技巧としか感じられないのはどうしてだろうか。ただ、殺しの場面は工夫して書かれており、意外にリアリティがあっていいと思う。また、長い作品だが、リテールもしっかりしており、作者の作品に対する思いも伝わってくる。いい作品だと思う。読み始めると、建二は誰かに殺されであろうことは読者にも分かる。最後に洋子が、誰も知らないところに行き、一人で子供を育てるとあり、建二のの子供か西上の子供かを読者に想像させるのも面白い。

カテゴリー:季刊・遠近

「弦」89号(名古屋市)

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2011年7月 3日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 最近、同人誌に作品を書こうと思っているが、送られてくる雑誌の作品が皆さん巧いので、なにもわざわざ自分が書かなくてもいいじゃない、と思ってしまう。うまいうまいと感心しながら作品の紹介文でも書くのが性に合っているのか。
 本誌では巻末に受贈誌、受贈本のリストがある。雑誌約70誌、本10冊になる。長い活動を思わせる。
【「長い終楽章」長沼宏之】
 主人公は、40年勤めた会社から傍系会社の役員を2期勤めた。半年後に定年退職を控えて、妻が突然「家事をやめます」と宣言し、何もしなくなってしまう。
 妻の外での社交活動は変わらない。習い事や文化活動は相変わらず盛んで、家事だけ夫にさせる。ただ、社交の友人知らせで、人柄的に感情の変化激しくなったとあり、昔の同窓生の医師に相談すると、躁鬱病か何かの病気との境界線で、ストレスを与えないようにしたら、とアドバイス。
 こう、粗筋を書いていると、身にしみて頭が痛くなる。長い間に生まれた夫婦の溝がうまく表現されている。
 妻や子供に対しての無理解だった過去の主人公の行動を、妻がちくちくと刺す。主人公は感慨する。「夫婦であっても、もとをただせば他人同士だ」「なぜこの人を人生のパートナーに選んだのか。自由意志の選択と見えて、実際にはすべて外界からの照り返しに過ぎない幻想の自己を受入れ、与えられた価値感の枠の中で行動した結果に過ぎない。それがリスクの少ない道だと本能的に知っていたからだ」とある。こんなところで、なるほどそうだなあ、と頷いてしまう。
 主人公は「人の気持ちがわからない」「冷たい人」と過去の罪状を裁かれながら、妻との心の接点を探して努力する。感動的なところで終わる。まだ、子供たちから弾劾されていないのも、救いなのか。フィクションに体験を盛り込んだような、具体的なエピソードが生きている。妻の家事に感謝もせずに、同人誌活動に力を注ぐ亭主族に推奨する一編である。
発行所=〒463?0013名古屋市守山区小幡中3丁目4?27、中村方、「弦の会」。

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