2010年12月アーカイブ

「構想」49号

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構想」2010年12月20日発行・122頁・800円・長野県東御市

陽羅義光「雁木坂追補」は現実と非現実が大胆にクロスオーバーされていて、その大胆さに作家魂を感じた。ひょっとすると「追補」が本編「雁木坂」を乗り越えてしまったのかもしれないと思った。
昔懐かしい飴である「変わり玉」の登場と、少女が歌う「変わり玉」の唄は「変わり玉」を知る世代には数万の言葉を費やさなくても通じる「絶対の共感」がある。

畠山拓「夢三昧」も、私と麻子というかなりありふれて日常的な男と女の光景を描きながら、ところどころにその日常的現実が綻びを見せ、非現実がぐっと顔を出す、そのアンバランスが面白かった。

たまたま、二氏の作品が同じようにリアリズムの作品のような顔をして書き始められながら、現実と非現実、リアルとアンチ・リアルが拮抗してせめぎ合うような作品に仕上がっていて、同じ実作者として拝読していて実に楽しかった。

物書きはこういう困難に果敢に挑戦しなければいけない(と自分に言い聞かせました)。

カテゴリー:構想

2010年12月17日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 玉城入野のA3一枚の文芸紙である。創刊が08年11月で本号が5号目、情報紙風な体裁だが、都内のショップなどの置いてもらっているらしい。掌編小説が読みきりである。家庭的なの味つけに、小窓から外を覗くような人間世界を描く視点がベースになっていて、どれも短い中に奥行きがある。
《参照:「Irino Sketch」のたねあかしhttp://irinosketch.blog72.fc2.com/blog-category-2.html》
 一方の面には、「東京ポリポリ」という連載小説。女性相手のセックスの売りをしている男三人の物語で、フォバークラフトの運航のような筋の運びがスマートで面白い。素材の選びと料理裁きになかなかの旨味がある。どうなるのか。
 連載エッセイ「散文民報」は、理屈っぽいが、散文を散文として意識させる啓蒙として良いのかも。映画評論「視えない光に向って」は、紹介された映画が見たくなる。なんだかジェイムス・ギャグニーとワイルダーの取り合わせの映画まで観ているなんて驚き。だいたい人に話すことも思いつかない。
 三原由起子「YUKIKO SKETCH」短歌とエッセイ。時は往きて還らずの切なさ。

カテゴリー:Irino Sketch(イリノ スケッチ)

「木曜日」27号

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 昨日、よこいさんから送っていただいた「木曜日」27号(11月30日発行)、昨夜のうちに長めの二作を除く小説4作を読んだ。
 よこいさんの「墨中遊行」、最後の男との会話の部分、13行が惜しかったような気がする。この13行が別のものであったら、作品の様相が一変していたかもしれない。
 菅原英理子さんの「羽あるもののメッセージ」は、前号の作品「掌の上の恩恵」に感心してデジタル文学館に推薦させていただいたのだったが、この作品も文体に無理が無くて、他者の言葉を読むという一種の呼吸作用が自然に出来、実に心地よい文章で書かれている。題名にあるように、こどもの頃にまで遡って、黄金虫など虫のことなど些細なことが書かれているのだが、場面ごとに印象が深い。楽しみな作者である。
 「或る夏の朝」はタイトル、作者名に大きく場所を取ってもなお見開き二頁だけの掌編だが、ふと内田百?の「旅順入城式」という短編の幻想を思い出させられた。あり得ないはずのものを現前させることができる。これは文学の大事な力のひとつだと思いました。

12/09 追記

 今日の未明に十河順一郎『カプセルタウンからの脱出』を読み始め、そのまま結末まで読んでしまった。
 ショーワ・ヘイセイ時代が1700年あまり前のことと書かれているから、近未来小説というより未来小説、あるいは遠未来小説とでもいうべき世界だ。
 ただし書かれているのはルチファーというひとりの女性をめぐる契約婚の夫、それとは別にルチファーをもてあそぶユーニと、その兄であるジュ?イによって展開される。ことにジューイは粗野な乱暴者で、弟ユー二からルチオファーを奪って自分のものにしてしまい、さらにルチファーの契約婚の相手であるアルヒーをあっさり殺してしまい、ルチファーも薬で眠らせたままで解放しない。犯罪者であり、変質者であり、存在として最悪である。彼の粗暴な言動に接していて、ふとW・フォークナーの粗暴な人物であるポパイのことを思い出してしまった。
 ジューイはガンであることが判明した母を救うため、眠らせたルチファーとロボットR7とともに飛行車に乗ってこの国を脱出、太平洋の地底と水中に都市を建設している島国をめざそうとしている。
 ボリス・ヴィアンやアルフレッド・ジャリに慣れ親しんだせいか、こういう荒唐無稽も嫌いではない。ただし、時代がなぜ昭和・平成から1700年(17世紀後!!)に設定されたのかがいまひとつ解らない。むしろ現代の設定でこの人物たち、このストリーで書いたとしたらどうなったか?そんなことを考えた。
 それから、もう一点、読み始めは弟ユーニが主人公であったはずなのに、いつの間にか転轍機が切り替えられたみたいに兄ジューイが主人公の小説になっていた。このことにちょっと違和感を感じた。
 
                        (「出現」小島)

カテゴリー:木曜日

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