2010年3月アーカイブ

「R&W」第8号(愛知県)

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2010年3月29日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は朝日カルチャーセンターの「短編小説を読む・書く」(藤田充伯講師)の受講者の作品集である。新しい人が加わって執筆者が16人にまで増えたという。どれも「読ませてやる」という創作意欲に満ちていて、大変面白く読める。幾つかを紹介する。

【「グリーンハウス」渡辺勝彦】
 日本の未来社会を舞台にスリルとサスペンスに満ちたSF娯楽小説。読みやすく面白い。日本は道州制になり、性犯罪者は刑務所を釈放されても、身体に探知機を埋められ、監視の保護司がつくという時代になっていて、その犯罪者の更生と再犯の狭間の物語。
 中篇作品だが、各章を手を入れて充実させれば、長編になる。犯罪者が被害者を追跡して見つけ出す手順が平凡で面白くないところを修正強化すればもっと良くなるように思った。
 未来SF小説では、たまたま東浩紀「クォンタム・ファミリー」を読んでみたが、未来日本と、ドライセックス描写、残酷性のスプラッタ調など題材の扱いが偶然に似通っている。時代の雰囲気なのかも知れない。

【「生魑魅(いきすだま)」松蓉】
 時計草が怨霊をもって迫ってくる物語。植物に怨霊という組み合わせで、巧く完成させている。

【「連想」改田龍男】
 一種の官能小説だが、小説にするための描写の選びどころが巧く達者。読んで楽しませる。
 みなさん研鑽の成果があがっていてハイレベル。粒よりの感じがした。
発行所=愛知県愛知郡長久手町湫上井堀82?1、渡辺方。
 紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:R&W

2010年3月19日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 先日、仮称「関東文芸同人誌交流会」の集まりがあったときに、本誌の主宰者の小川和彦氏がいらして、なんとなく催促されたような気がして、「そういえばあったな」と積み重ねられた同人誌置き場をみたら、やはり出てきた。
 小川さんの送り状によると、同人誌「文芸東北」が大林しげるさんの病気で終刊となったこと、「金澤文学」が終刊のことが記してある。「なんじゃもんじゃ」は、自家制作本で、20号まで出したいとのこと。その時は、小川さんは80歳になっているそうである。

【ノンフィクション「火事」杵淵賢二】
 自治会長をしている作者の地域内の火事の現場とその後の情勢が、生ナマしく活写されている。火事はこわい、という実感がわいてくる。観察力と表現力がマッチしていて的確で、文章家としても頼もしい。

【連作S町コーヒー店「かたえくぼ」坂本順子】
 ティールムで、市井のちょっとした出来事を見聞したスタイルで連作をしている。今回は、乳がんを手術した女性に対する思いやりというものが、どういうものかを描く。なるほどそうなのか、と感心させられる。いつも鋭い観察力と表現力で、短くしっかり締める手腕に感心させられる。
発行所=286?0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

「R&W」第8号(愛知県)

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2010年3月16日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は朝日カルチャーセンターの「短編小説を読む・書く」(藤田充伯講師)の受講者の作品集である。新しい人が加わって執筆者が16人にまで増えたという。どれも「読ませてやる」という創作意欲に満ちていて、大変面白く読める。幾つかを紹介する。

【「グリーンハウス」渡辺勝彦】
 日本の未来社会を舞台にスリルとサスペンスに満ちたSF娯楽小説。読みやすく面白い。日本は道州制になり、性犯罪者は刑務所を釈放されても、身体に探知機を埋められ、監視の保護司がつくという時代になっていて、その犯罪者の更生と再犯の狭間の物語。
 中篇作品だが、各章を手を入れて充実させれば、長編になる。犯罪者が被害者を追跡して見つけ出す手順が平凡で面白くないところを修正強化すればもっと良くなるように思った。
 未来SF小説では、たまたま東浩紀「クォンタム・ファミリー」を読んでみたが、未来日本と、ドライセックス描写、残酷性のスプラッタ調など題材の扱いが偶然に似通っている。時代の雰囲気なのかも知れない。

【「生魑魅(いきすだま)」松容】
 時計草が怨霊をもって迫ってくる物語。植物に怨霊という組み合わせで、巧く完成させている。

【「連想」改田龍男】
 一種の官能小説だが、小説にするための描写の選びどころが巧く達者。読んで楽しませる。
 みなさん研鑽の成果があがっていてハイレベル。粒よりの感じがした。
発行所=愛知県愛知郡長久手町湫上井堀82?1、渡辺方。
 紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

カテゴリー:R&W

2010年3月14日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「銀次郎の日記?年金生活一年四ヵ月の心理」青江由紀夫】
 作者は、あちらこちらと同人雑誌を掛け持ちで、「銀次郎の日記」をハシゴ投稿している。最初はなんであろう、と不思議に思ったが、これは案外、人間社会の関係を絶やさない良い方法なのかもしれない。生活に余裕があるからの話ではあるがー―。友人の話によると、文芸同人誌には、退職金をもらって悠々自適のお役人が非常に多いそうである。富裕層の趣味の同人誌か、貧しい民衆の声の同人誌か階層別で個性が異なるかもしれない。
 ここでは、「サラダ記念日」の俵万智が25歳でデビューし、それから22年、395刷となった本が200万冊売れたとして、印税が10%として2億円という計算をしながら、作者も短歌や歌詞を作って発表している。印税が10%というのは、条件は良すぎるし、それほど収入があるとは思えないが、俵さん、今頃そうしているのだろう?と考えさせられる。日記全体の書き方が洗練されてきている。

【「恭一とダックスフント」山岸久】
 大きな湖の警察の駐在らしく、その少年が主人公で、たびたび水死人が出るのでその収容の風景が、なかなか幻想的に描かれている。自分も少年時代は水上署が近くにあって、土佐衛門の収容や自殺か他殺かの検視を見てきた。水死者のどこがリアルでどこが空想かが判別できるような気がした。犬を連れた自殺志望者が、犬を道ずれにできずに、少年に犬を預けた後に、安心して投身自殺する様子を語って面白い。もう少し、犬連れの自殺志望者についての人間的な手がかりも読みたかった。

【「同人雑誌評」】
 読んでいる同人誌の数が大変多いのに驚かされた。精力的な活動である。なんでも、一度この欄を廃止したら、復活の要望が多くて再会したそうである。同人誌の交流のあり方について、各同人誌はそれぞれの小結集団であって、そこに所属している書き手を結集して何ができるか、という交流の場以上のビジネス化は見込み薄ではないか、という考えが示されている。
 たしかに、交流はそこから何かが生まれるのか、従来の路線を行くのかを確かめるだけで意義があるので、定例化したものがあって不思議ではない。何も変わっていないということを定時的に確認することも意義がある。
 その一方、ビジネス化の活動というのは、具体的には五十嵐勉氏の雑誌「文芸思潮」の運営について、触れているのだが、自分はジネス化の可能性をさぐって、実現すれば、社会的に文芸の地位向上になるのではないか、と思うので成功して欲しいと思う。しかし、現在の商業文芸誌と同様のスタイルでは、現実に赤字なのでまずいし、社会的な地位もイメージは必ずしも確立していない。それでも、
 好きなことをビジネス化しようという意欲そのものが創作と同じかそれ以上の価値があるのだと思われる。
発行所=〒北海道虻田郡豊浦町大和、宇川方、「山音文学会」
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭

カテゴリー:山音文学

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「ignea イグネア」2010年3月1日(東大阪市)

「Individual Rocket」真銅孝
 人物の名前がアナグマ、ホワイトチップ、地球儀、ダミー、そして名前を付与されていない少年。
 そしてこの作品を貫いているのは、もちろん、アナグマが製造しているらしいロケット。東大阪のロケット「まいど1号」を想起しないでもないが、それはまあどうでもいい。ここに描かれているのはそういうリアルな現実ではない。これは明らかに、「虚構」と呼ばれるもうひとつの現実のなかの出来事なのだ。
 むしろ私はボリス・ヴィアンの「赤い草」を想起した。主人公のウルフはロケットならぬ「記憶消滅機械」を製作しようとしている。ウルフを取り巻く人物は、彼の妻リールと、技師サファイア青金(ラズーリ)、そして四月ばか。
 どちらもミョウチクリンな名前の人物たちであるが、どこか日本の方が憎めないキャラクターであり、記憶に残ります。
 アナグマが製作しているロケットも、ウルフが製作している記憶消滅機械も実にノンセンスというか、はるかにリアリズムを逸脱している。語り手である私=ダミーはともかく、ホワイトチップも地球儀も、少年もリアリズム世界からは思いっきり逸脱している。存在として関節がはずれている。世界も関節がはずれている。ロケット発射を期待して何だか解らないが人間が集まっている会場も関節がはずれている。
 結末もみごとにノンセンスで関節がはずれたまま終わっている。この作品に何か意味を求めようとしても無駄である。日本には珍しいノンセンス小説だと思います。


「コンサートに行く」 光野公彦
 B6版一段組み7頁のこの短編、あまり客観的な感想を書けそうもなく困っている。それというのも、実は、ワーグナーやベートーベンが大好きという女性に誘われて行ったコンサートで、私自身が若い頃にあまりにそっくりなコンサート経験をしているのです。
 音楽というのは結局はプラトン的であるよりディオニュソス的であり、理性より情動に訴求してくるものですから仕方ないといえば仕方ないのですが、その情動の胡散臭さは否定できません。
 この作品を読みながら、フリオ・コルタサルの「バッカスの巫女たち」(『遊戯の終り』木村榮一訳・ラテンアメリカ文学叢書・国書刊行会・1977年、所収)を思い出していました。
 無論、題名からして古代ギリシア悲劇詩人・エウリピデスの傑作「バッコスの信女たち」を強く意識した小説であることに間違いはありません。やはり音楽に酔えない人間の視点から音楽に酔える人間が描かれているのです。
 もっと素直に音楽を享受できたら幸せなのでしょうが、この「コンサートに行く」という短編は、素直に音楽を享受できない人間が描き出された小説で、しかも妙な言い方で申し訳ありませんが、後半の88ページから91ページまでの文章が散文でありつつ詩的なのがとてもよかった。
 小説は散文なのだから詩的である必要はないという意見もあるでしょうが、私は小説もまた詩的であるべきだという考えです。

 


「水を買いに行く」 岩代明子

 この作品の冒頭。

 眠れなくなって初めて、夜は夜で、昼と同じだけの時間があるのだと知った。
 兄の部屋に引っ越して、二週間が経っていた。その夜も私は眠れないまま、じっと暗闇を見つめていた。

 一行目が実に印象的な書き出しで読者を引き込んでしまう。その次の「兄の部屋に引っ越して」で「私」の置かれた状況の伏線が張られている。
 ただし、それからすぐには小説は展開しない。眠れない私の時間や空間が次の頁の終わりまで丁寧に描かれている。
 小説というものが微細なディテールをまとった人間学であるとするならば、小説の生成は必然的にリアリズムに則ったものになるだろうし、一から十までをきちんと書くのも当然となる。私のように十のうちの一か二くらいを書いてすまそうという横着者の目には、岩代さんが本当に丁寧に書き込まれているのが判る。徹頭徹尾、「私」と同じ視点まで降りて書かれた小説で、主人公の一挙手一投足、一言半句すべてを描写し尽くさずにはいられない物書きの覚悟のようなものを感じました。
 私と兄との間の、言葉少ないながらも微細なやりとりの描写が自然で、読む者のなかにすーっと入ってきます。結末のキャッチボールの場面では、兄と妹が抱える大きな空虚のようなものが感じられてとてもよかった。
 眉に唾をつけずに安心して読める小説。
 こういう世界をきちんと肯定して生きていかなければらないのだなと思わされ、とても真摯でまっすぐ投げられた直球の小説を読ませていただいたと思いました。岩代さん、この書き方で自信を持ってもっと前へ進んで下さい。

(相変わらず要領を得ない、訳の解らない感想で申し訳ありません。誰に伝わらなくてもいい、作者だけには通じますように)

カテゴリー:ignea イグネア

「銀座線」15号

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 発行は2010年1月1日ですが、先日図々しくお願いして送っていただきました。
 読みながら、読者としてだけでなく、同じく小説を書こうとしているものとして共感した作品について、暫時、感想をアップさせていただきます。

「流される川」河合友大
 書き出しの19頁から20頁三行目までが丁寧すぎてすっきりせず、かえってこの小説世界に入りにくくしている。川の描写をもっと短く完結に書いて、読者をぐいっと作品世界へ引っ張り込んで欲しいと思いました。
 20頁4行目の
「仕事が終わったイミカは......」から先は滞りなく一気に作品世界に入れ、読み進めることが出来た。読み始めは主人公の名前といい、舞台の無国籍な感じに戸惑ったが、川の汚れと料理の味付けと住民の健康、立ちんぼの女の死、そしてイミカ自身の死を暗示する描写と、なかなか読者の想像力をくすぐってくれる良い小説でした。
 ただ、書き出しにイエローカードを出しておいて、さらに二枚目のイエローカードを切っては申し訳ないですが、結末の10行は不要な蛇足と思います。

雨音が更に激しくなった。その雨音の向こうから女の呼ぶ声が聞こえるのだった。

 ここで終わる方が小説として完璧だと思います。
 いい小説を読ませていただきました。また次作を読ませていただきたい。


「誇りを掲げ俯いて歩け」蒔田時春
 斎場の喫煙所で孫と祖父が交わす会話だけでほぼ成り立っている作品で、読後の感想は落語的文学、あるいは文学的落語のどちらか。
 でもそれがなかなかいいのです。
 洒脱な祖父との会話という形を借りながらこの世や社会に斬り込んでいるのは結構な才能かもしれないと思った。この作者の次作も読んでみたい。


「秋の陽は林檎のかおり」石原惠子
 後になって判ることだが、最初の段落は、主人公・瑠璃子が学生時代に共に暮らした哲の部屋を思い出している、あるいは夢を見ている場面で、二十何年も前のことである。
 読み進むうちに、就職活動のついでに瑠璃子の足はかつて哲と暮らしたアパートに向かう。そしてアパートの管理人だったおばさんと遭遇し、話をするし哲の部屋に入りさえする。
 それは、明らかにその当時のアパートであり、管理人のおばさんである。
 Lydwine.さんが書かれている通り、過去と現実がメビウスの輪のようにどこかでねじれながら地続きになっている。
 少し違いますが、ふと山田太一原作の映画「異人たちとの夏」を思い出してしまいました。
 また、実はかくいう私も、地下鉄に乗ってひとりの女性の部屋を訪ねるという奇妙な夢を、相当期間反復して見続けたことがあります。ただし、私の夢の場合は必ずその部屋のドアをノックし、「誰?」と問われる声に答えられなくて、いつもそれで夢が終わるのだった。フロイト流に分析すればずいぶん単純な夢ではありますが。

 脱線しました。
 瑠璃子が二十数年前に哲と暮らした部屋の夢をみたり思い出したりすることは、現在の夫である修に隠されることなくあけすけに語られている。
 そして終わりの段落では修を伴って哲と暮らしたアパートを訪ねてゆく。その修との会話を含めた結末。

「わたし、哲のこと、ちっとも好きじゃなかったんだ」
「そう......」
 修の言葉はそれだけだった。
 あの部屋のドアを開けても、哲はきっといない。
 確信があった。
「哲くん、瑠璃子が戻ってくるの、ずっと待ってるんじゃないのかな」
「そんなことないよ」
「瑠璃子、奇跡の林檎って知ってる?」
「なあに、それ」
 わたしは訊いた。
「ありえない林檎だって」
 修は言って、鍵穴にわたしのキーホルダーから選んだ鍵を差し込んだ。

 うーん、修が鍵を回してドアを開ける、その先は読者の想像力の預けていて、何ともずるい終わり方である。
 もっとも、ドアを開けたら、昔のままの哲が相変わらず長編を読んでいる、あるいは居ない、のいずれかだろうから、ずるいけれど必然の終わり方である。
 個人的には、ドアを開けたら哲が長編を読んでいて、ふっと瑠璃子を見上げるその眼の色の描写などあったらゾクゾクしたでしょうけど。

 ちなみに先に引用した結末、わたしだとこういう風に少し入れ替わります。(石原さん、こんなことまでして、済みません)

「瑠璃子、奇跡の林檎って知ってる?」
「なあに、それ」
 わたしは訊いた。
「ありえない林檎だって」
「わたし、哲のこと、ちっとも好きじゃなかったんだ」
「そう......」
 修の言葉はそれだけだった。
 あの部屋のドアを開けても、哲はきっといない。
 確信があった。
「哲くん、瑠璃子が戻ってくるの、ずっと待ってるんじゃないのかな」
 修は言って、鍵穴にわたしのキーホルダーから選んだ鍵を差し込んだ。

 現在と過去が地続きという構想が完璧に生かされずに終わってしまった感じも少しはしますが、同じように小説を書こうとする者にとって、とても刺激的な作品作りでした。

カテゴリー:銀座線

2010年3月1日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌には第6回森田雄蔵賞(陽羅義光主宰)の受賞作が発表されている。藤田愛子「横須賀線」(同人誌「構想」掲載)、畠山拓「幼心の記」(同)が受賞作。賞金は五万円を折半、掲載誌「構想」に一万円授与される。
 備考として「森田雄蔵氏(1910年?1990年)は、「小説と詩と評論」の元発行・編集人。木々高太郎氏(直木賞作家)が創刊したものを20年以上にわたり主宰して現在に承継した人」とある。
【「蛍橋」雨宮湘介】
 幼な馴染みの夏子という女性をめぐる恋情のさや当てと友情を描く抒情的な短編。筋立ては平凡だが、行間に文学的な情感を横溢させているので、人物が短い表現でありながら清澄感ゆたかで、陳腐さから脱しているものがある。文体を吟味してみても、計算でそうしたというよりも、天賦の才能のようなものを感じさせる。エピソードを交えた話しの運びの呼吸もよく、計ったように納まっている。
【「詩に出会うとき―ポー詩集」石川友也】
 ポーの「大鴉」といえば小説で有名だが、詩として全文が掲載している。アルコール依存症の幻覚をそのまま作品にしたような作風だが、あらためて詩を読むと、死の象徴である大鴉のイメージには芸術的な工夫が凝らされていて、効果的なのがわかる。恐怖だけでなく、幻覚的な対象を静かに観察し見守る覚悟というか、徹底した自己観察があるように思った。興味深く読んだ。

カテゴリー:小説と詩と評論

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