2009年9月アーカイブ

「視点」第71号(多摩市)

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9月24日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「コマチ」(第六回)浜田雄治】
 原始共同体の世界に、看護師だった「ワタシ」がタイムスリップ的に入り込む物語で、今回は野草などを薬草にする日本の古代文化との遭遇を描く。
 同様の物語で、豊田一郎氏が、個人誌「孤愁」第6号で発表した「小羊に贈る夜想曲」では、原始共同体の世界をそのまま舞台にしており、読者がその時代性を現代と比較するような構造になっている。
 それに対し「コマチ」では、「ワタシ」がタイムスリップした現代人として、この世界を見るため、現代人の生活との比較を読者の想像に任すだけでなく、具体的にその違いの意味を示す手法になっている。
 いずれにして過去の世界を現代生活に登場させて表現、そこに生まれるイメージによって、現代の人間の批判する意図が感じられる。それは社会学の小説版といったところか。

【「海峡・魂との対峙」
 青函連絡船があったころに、「大雪丸号」で北海道を渡る時に感じた孤独というものを表現した詩的散文。流れる去る時間のなかで、孤独感が現在まで静止して持続していることがわかる。

「「事件」(2)吉岡和男」
 大菩薩峠の塩山に抜ける道筋に、戦国・武田信玄の支配下で稼動していた黒川金山の金山衆の生活跡を見る。その様子が面白い。
発行所=多摩市永山5?4?9、大類方。
(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:視点

「楔」(くさび)第26号2009年

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9月23日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

(1)
 特集が「忘れられないこと」で、会員のエッセイが集められている。
 エッセイばかりと思ったら【「奇妙な体験」赤羽文雄】【「待合室」衣川遊】などの創作らしきものもあった。
【「銀次郎の日記―年金生活十カ月の70歳の春」
 千葉に住んで、釣りと読書の悠々生活で、間もなく読書目標の2000冊を達成しそうだそうだ。
短歌・川柳を詠み、歌謡詞「野菊の里、千葉の城跡」を創作している。面白いので、掲げる。

「野菊の里、千葉の城跡」

 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 古代の人が
 姫塚古墳 その下で
 みるみる夢は どんな夢
 大きな愛を 野菊の里で

 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 夢ものがたり
 亥鼻城の 石の下
 つわ者どもの 物語
 しっているいる 石垣だけは

 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 夢ものがたり
 臼井の城の 石の下
 今も語るか ものがたり
 夢をめぐらす ロマンの里に


 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 古代の人が
 姫塚古墳 その下で
 みるみる夢は どんな夢
 大きな愛を 野ものがたり

(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:

9月22日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

(1)
【随想「銀次郎の日記?年金生活十カ月経過―」青江由紀夫】
 釣りと読書と思索の日々。その生活の記録なので、わが身と比べてみたりして参考になる。6年と5ヶ月で、1856冊を読んだとある。なにや難しい名著や古典が主らしい。健闘を祈ります。

 自分は文芸同人誌を9年以上読んできた。1年に40冊とすると9年360冊である。周囲には、自分ほど文芸同人誌の現状について知る人はいないであろう。ところが、文芸同人誌に書いている人ほど、他の同人誌の作品傾向に興味を持たない。内容は自分の所属しているサークルと同じようなものだと思っている。そして、自分の作品の感想以外には興味を持たない。
 その点、自分は何故その作品が書かれたか? に興味を持つ。このところアリス・W・フラハティ「書きたがる脳―言語と創造性の科学」(吉田利子訳・ランダムハウス講談社)という本を読んでいる。ここには、ライターズブロックといって、書けなくなって悩む作家と悩まずに書き続ける作家の比較や、やたら書きたがるハイパーグラフィアという病気症状などが分析されている。
 ただ、このコーナーでは、作品紹介であるから、こうした観点の思想に対応する自分の考えは書かない。ただ、どうやら多くの文芸同人誌は、書くことを生きがいとし、社交の手段となっているようだ。
 雑誌「文学界」が、同人誌評欄をなくしたときに、反響が大きかったのも、作者の文章技量・手腕の格付け機関のようなもので、書き手の生きがいを支えていたからのようだ。
自分が送られてきた同人誌を読んで紹介するのは、サークルが社会性を維持しようとする意思だと受け取っているからだ。
(紹介者=「詩人回廊」編集人。伊藤昭一)

カテゴリー:海峡派

9月21日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「ある失踪」小川禾人(おがわかじん)】
 大学の定年後の講師を務めていた森本は、30代のころ交際のあった町田という当時、同僚で友人であった男のことが気にかりはじめる。町田はその後、大学院に通うなど学問の道に関心をもっていたが、ある時期に音信がなくなり失踪したことになる。いちばん最終の手がかりは高野山で修業することらしい、ということだ。
 町田が75歳を過ぎて、生死の不明な状態のまま、その後のことが知りたくて、高野山に行って見る。その道中の過程で、これまでの森本の人生、生きてきた時代、町田の人柄や行動を語る。
 小説の要素の定番は、まず過去の時間をたどること、人物が出てきたら、それはこの人を見よという意味がこめられている。ここでは、森本、町田の二人の人物像と、時代をゆったりとした調子で物語の要件をうまく満たしている。老境に入って過去に関心が出る心理を描き、それほど深みはないが時間のたどり方に、苦心をしており、書きなれた筆致でまとまっている。

【「いぬを追う」杵淵賢二】
 自治会の役員をしている私。町内の老人の飼い犬の管理が悪く、住民の子どもが噛まれたという苦情をもらう。そこから、町会で協力して野良犬の捕獲をはじめる。そのなかで、おびえて震える犬を見て、それを処分することに抵抗を感じる話。素材の捉え方がいいし、作品にメリハリがある。良い資質の作品。文芸作品とするには、ラストの「やるせない気持が私を襲った」というのは、エッセイ的。

【「デッキシューズ」坂本順子】
 「連作・S町コーヒー店」の7話。同じ設定で、質を維持しながら連載。楽しませる着眼と構成力、筆力に脱帽。

発行所=「なんじゃもんじゃ会」〒286-0201千葉県富里市日吉台5?34?2、小川方。
(紹介者=「詩人回廊」編集人。伊藤昭一)

カテゴリー:文藝誌「なんじゃもんじゃ」

9月19日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「小羊に贈る夜想曲」豊田一郎】
 時代はいつとも知れぬ、国も定まらない原始共同体の世界。狩猟民族らしき村の少年が、母親の守備隊に陵辱されるのを目撃して、その村を脱出し別の村落で暮らすまでが描かれている。
 これは作者の表現意欲に通底する世界らしく、らくらくとした自然な筆運びである。ほんらい原始共同体の時代の狩猟民族で、これだけの守備隊の組織ができるほどになると、他地域では農耕民族が定着し、狩猟民族では一神教の神が生まれ、農耕民族では自然崇拝のマミニズムやシャーマンが生まれているはずである。作者はそういう世界も書いていた記憶がある。おそらく放浪や彷徨に趣向を感じるのだと思う。
 編集後記には遺書のように書きたい、あるいは書いているという意味のことも記されている。
 「そして、ある年代に達して、もう、これしか書けないのではないかと思うようになって来た。そのはしりが『彷徨』だった」とある。「これでおしまいにしよう。そのように考えた」。「しかし『彷徨』を書き上げてしまうと、次があった。端的にいえば、まだ生きていた。それで、『幻影の裏側』を書いた」と記す。書く人の動機はさまざまであるが、実に理解できる。そうであるから、生きている限り、書き続けることになるのであろうか。(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:孤愁

「私人」第66号(東京都)

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9月16日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「翻訳文化の新時代」(六)尾高修也】
 自分は、翻訳された本の恩恵を受けてきた。そういう意味で、この評論に興味をもった。水村美苗の日本語喪失への危機感と、村上春樹のグローバル化の問題をとりあげている。日本の文学的な伝統の断絶を結びつける活動をすすめることで問題提起している。
 この辺の考えは自分も論より証拠で「詩人回廊」というブログサイトで実行をはじめた。村上春樹のケースは、世界文学というより、作品が「情報コンテンツの発信」として世界中に受信されている現象であり、伝統的な文学精神のあり方とは別に論じる必要があるように思う。「文学のコンテンツ化」の大きな波ではないかと思う。自分なりには、伝統的な文学手法、言葉の運用の回復と、現代的なコンテンツとしての実現を狙っている。

【「繭の中」牧康子】
 女性が、仕事、恋、愛の遍歴を経て、マンションにひとり住まいし、こもるような生活をしているところにマンションの大規模修理の期間に入る。そのため、住民はベランダを自由に使えなくなり、作業員にカーテンの内側を覗かれるような気がする。その大規模修繕の過程が詳しく描かれていて面白。新築マンションを購入したばかりの人には、いずれこれがはじまりますよ、と参考になるかもしれない。話の奥にある骨格はきちんとしていて、文学的精神はあるのだが、題材との関連がいかにもエッセイ的で、事実関係と密着しているので、エッセイと間違えかねないところもある。もうひとひねりも必要か。

【「百薬」木山省二】
 これは時代小説を書こうという、創作的意欲にあふれた作品。江戸時代の山本長五郎という男に関し、周囲の人の噂を拾い集めることで、山本の人柄を浮き彫りにしたもの。熱心で、ていねいな作業だが、オチとヒネリがないので、その丁寧さが充分に生かされていない気がした。

【「シリウス」櫻井あき】
 全共闘時代の若者の恋愛を描いたもの。時代背景に取り入れた作品は多いが、ほとんど全共闘にたいする思想的な立場にふれられることがない。これは時代の流れの様々な要素と絡みあった出来事で、それだけを取り上げても、一時的な空しい時代の流行に過ぎないように見えるかららしい。この作品も青春の同時代性の表現の一部になっている。

【「築二十年の家」加井恵】
 住み替えの話だが、なんとなく面白く読んでしまう。家探しの詳細とセールスマンの様子がよく書かれている。

【「冬木立」江幡あつ子】
 高齢化した両親が自己責任で生活をすることが出来なくなり、介護に娘がそこに移住してきた話。こまごまとした話は、女性ならではの筆致で現状のレポートになっている。最後に、主人公が介護の意義を認識して前向きに生きようとする決意が、介護生活がひとつの戦いであることを示している。

【「蔦もみじ」鈴木真知子】
 同じ町の書店の店主とも交流を描いて、人生の悲哀を描く。これは上手な書き手で、細部に工夫があり、文学作品として、すっきり仕上がっている。

☆本誌は、東京・新宿の住友三角ビルの朝日カルチャーセンターの教室の人たちによるもの。5月発行のものを、ふと思い立ってこのブログ宛に送ってみたものらしい。最近、未知の同人誌の到着が増えて、なかなか紹介が追いつかない。月報を発行していた時期は、他の会員に手分けしてみたこともあったが、一回はいいが、何故か、あとが続かない。意味があるから送られてくるのであろうから、無視もできない。当方も自分の詩作や創作に力を入れたいので、できればもっと簡略化したものにしていきたいと考えている。(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

カテゴリー:私人

9月12日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本号は、月刊で723号という大変な歴史と実績をもつ。8月号も着いていて、西園春美「こおりの音」は、語りたい熱意が伝わるが、整理と物語としてのうねりが足りないと感じ、吉村滋「金婚式」は、身しみる話でよくまとまっている。しかし手記的で、それをどう紹介するかと考えているうちに9月号がくるという、怒涛のような作品づくりに驚かされた。それにしても、これだけ充実しているのに、一介のブロガーの自分に読めというのは、勉強になるからであろうか。

【「島」戸川如風】
 作品の舞台となっている湯島は、普賢岳が近くにみえる沿岸の小島。そこに二年間の任期で、若い女性教師の真理子が赴任してくる。島の子どもたちは、噴火で津波が起これば、島は沈んでしまうという危機感を持ちながら、平和な日々を送っている。
 真理子の外部者の視点で、島の風物が紹介され、自身も岩海苔をとったりする。島のよさが表現される。島の人の立場は、大人ではなく、未来に夢を持つ子どもたちの視線で描く。こうした手法のため、生活の現実と距離が置かれ、ソフトでロマンティックに、いきいきと描かれている。
 島の子どもの光子は糖尿病という病を持ちながら、周囲を明るい光を放って仲良く暮らしていたが、病に倒れ死ぬ。その悲しみが良く伝わってくる。そして、真理子は任期が終わり去ってゆく。小島の穏やかな生活のなかで、人間の命と尊厳を描き、ヒューマニズムにあふれた物語になっている。生活人情の中での人間愛を向日的にまとめ上げている。甘いところを承知し、落ち着いた筆致によって、物語に共感できる。

【「禁断の木の実」今村有成】
 若い男女の交際を精神と肉体の交流接触に絞り、アダムとイブの愛と性になぞらえて語る。古い感覚もここまで原点に照らし合わせた発想で表現されると、かえって新鮮である。思想的な柱の失われた現代の表現に、苦心するよりも、古くてもなんでも思想というものがあると、なんとなく物語がしっかりしているように見えるのが不思議。

カテゴリー:詩と眞實

9月6日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
(1)

 本誌には、中部ペンクラブ文学賞の受賞作、堀江光雄「牛マンダラ」が掲載されている。作者のひらめきによる「私」の設定と環境事情だけは、しっかりとしていて、そのほかは、思い浮かぶままに自由にイメージを広げた描き方で、人生経験に厚みを持った作者の融通無碍で野放図な作風である。選評で吉田知子氏が、「これは小説ではない」というとまどいを見せているのも頷ける。いわゆる、漬物でも売るとなれば、中味のムラのなさ、包装などに気を配るが、非商業の作物なら、中味さえあればよい。
 そういう意味で、小説において、非商業的なジャンルの存在がみとめられつつある現象のようだ。自分の周りでも、春先に作家の伊藤桂一氏を師とする「グループ桂」というテキスト同人誌の作品指導があった。その時に、宇田本次郎氏の「星の簾」という作品について、伊藤桂一氏は「同人誌の作品としては、完成度が高く、よく出来ている」と論評した。これは作品の水準は高いのであるが、商業性の面白さに欠けるという意味である。作品の完成度と商業性とは無関係であるという認識が明確になってきたのではなかろうか。
 堀江敏幸氏の「小説とその周辺」という講演の内容がある。詩と小説の間に位置づけられる作品について述べている。
 結局、現在の売れる小説というものが、一に題材、二にストーリー、三、四がなくて、五に文章と編集者がいうように、文章の表現力を軽視したものが多い。
 これは、出版社が、読者層が文章の読解力のない人たちに、買って読んでもらわないと、採算がとれない、というところから来ている。
 ところが、ある程度文章の表現技術も楽しみたいという層には、そんな小説はただの紙くずでしかない。書店は紙くずの山に見える。そういう層は1万人?2万人しかいないであろうが、堀江氏の論に同感すると同時に、文学における時代の影響を思った。

カテゴリー:中部ぺん

「婦人文芸」87号(東京都)

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9月5日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「思い出の人」淘山竜子】
 由子は大学を出て上京し、八年同じアパートに住んでいる。その日は、会社休んでぶらぶらしている。すると、以前、羽田空港に近い埋立ての京浜島付近のバーべキュウのときに一緒だった安島という男に出会う。別れてから、グーグルマップで偶然、自分のアパート周辺をみたのであろうか、そこに安島嶋というあの男が、アパートの郵便物を取り出そうとしているのが写っていた。もし、この思いつきのような話だけであったら、ずいぶん冗長に書いたものである。また、冗長なところに意味をもたせたとしたら、ずいぶん風変わりな作品である。

【「マユミ・散骨の島」麻井さほ】
 海に入って自殺をはかった若者が、40歳代の離婚した中年の女性に助けられ、島のようなところで過ごすうちに恋に落ち、愛の生活の中で生きる喜びを取り戻す。それが「僕」の視点で語られる。やがて、女性は「僕」の子どもを産むが高齢出産で、命を落とし「僕」は取り残される。
 現実離れしたロマンチックな物語だが、その思いが物語の筆づかいに反映されていて、ロマンが描ききれている。

【「旅行記―トリノ終日(ひねもす)2008年冬のホームステイ」河内和子】
 翻訳家でイタリア語が堪能な作者が、トリノの60代の女性のところに7泊のホームステイをするレポート。物事の細部を書き慣れているので、その詳細が具体的で大変面白い。イタリア人の生活と風物が楽しめる。話の節目に段落か小見出しを入れたら、もっとイメージが明瞭になるような気がした。それにしても、記憶力と語る力のつよさをもった人である。

カテゴリー:婦人文芸

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