2009年2月アーカイブ

【「樹滴(連作・六)」後藤みな子作】
回を追う毎に緊張感が高まってきているように感じます。今回は父親の死の場面から始まります。特別に凝った描写があるわけではないのに、主人公の視界や内面が生々しく伝わってきました。
ひとつの場面を描く場合、そこには雑多な情報があります。自分が表現したいものを伝えるためには、情報の取捨選択が必要なのだと感じました。表現したいものが作者の中でしっかり捉えられているからこそできるのでしょう。作者にとっての書くことの必要性みたいなものを感じます。
読んだ後も、本を開けば身震いするような生々しさがあります。

【エッセイ「どこかで」佐田亜紀作】
18歳のとき骨髄バンクに登録してから、数年後に骨髄提供するまでが詳しく書かれている。私も登録していた時期があり、協会から送られてくる資料を読んでもどこか実感できない部分があったので興味深く読んだ。実際に骨髄移植する際の記述が具体的で判りやすい。術後、骨髄バンクを介して提供を受けた方の家族からの手紙に「骨髄移植後、無菌室からでることができたとのこと! 涙が出そうになった。」とある。命の大切さが自然に伝わってくる。筆者にとって骨髄提供がどのような意味を持っていたかに共感でき、読後感がよかった。

カテゴリー:すとろんぼり

7編の短編と100枚を越す作品1編が掲載されています。こんな言い方は失礼なのですが、読み始めて「どこがで読んだような設定だ」と思いました。しかし読み進むうちに、まったく違う新鮮さを感じて小説世界に浸りました。

【「ひらめの身」町田蛍夏】
近所の人たちが集まる飲み屋で顔を合わせる、「たっちゃん」と呼ばれる男性がいる。たっちゃんはもつ焼屋を営んでおり、主人公はそこにも顔を出したことがあるが印象が薄い。母からたっちゃんの死を知らされるが、主人公にとっては今ひとつ実感がない。お通夜帰りの両親に誘われて飲み屋に行くと、喪服姿の近所の人たちが集まって来る。そこでの遣り取りのなか、主人公はたっちゃんの死を実感してゆく。客のひとりが釣り上げた大きな平目を持って訪れ、店の主人がさばく様を通して語られる生と死の感触が説得力がある。

【「風橋の家」小祝いるま】
故郷の雪深い村で過ごした子ども時代の回想。貧しく過酷な村の暮らしが語られ、当時の共同体の有り様も克明に描かれている。悲劇にさらされる女性の美しさが、一層の哀しみを誘う。雪国の描写もうっとりするような文章で書かれている。貧しく不自由で、他人の目を意識しなければならない社会が書かれているが、そこは静かで美しい。

【「鏡」荒木桂】
不思議な感触の作品です。非現実的な事や空想の世界を描いてはいないのに、私の周りとは空気感が違います。それでいて、とてもリアルな感じが伝わってきます。人の温もりがじんわり染みてくるようで、大好きな作品です。

カテゴリー:小説π

「詩と眞實」(熊本市)713号

| コメント(0)

【「嗄声(させい)」辻一男作】

まず「西日本新聞」2008年12月1日の記事を紹介します。
「西日本文学展望」長野秀樹筆より
 辻一男さん「嗄声(させい)」(「詩と真実」七一三号、熊本市)の主人公は三十五歳から二十年以上透析を受けている患者である。合併症として、甲状腺が肥大し、切除する手術を受けることになる。命にかかわる手術ではないが、体力が落ちている上に、全身麻酔であることに変わりなく、そのことを主人公はひどく心配している。
 手術は無事終了し、夢うつつな中で、意識は若い頃の思い出へと戻っていく。音楽大学の二部に入学し、演歌歌手のバンドでサックスを吹いて生活費を稼ぐ。健康で芸能界という華やかな世界ともかかわりを持ち、貧しくとも希望があった時代。エピソードとして、三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地での割腹自殺が挿入されるが、そうであれば、昭和四十五年十一月が作品の舞台ということになる。
 誰もが迎える老いと病が、青春の日々との対比の中で、語られていく。その落差を哀しみとして捉えるか、充実の時間として捉えるかは、個々により異なるだろうが、主人公は生きることへの希望を見いだし、腎移植をためらいながら医師に申し出る。死が身近なものとして己が身に迫った時、人は何を考えるのかを、静かに語る作品である。
?以上?

けれん味のない、しっかりとした作品を久しぶりに読んだ気がします。読み始めてすぐ感じたのが、文体の確かさでした。余分な装飾も凝った表現もない簡潔な文章から、主人公の内面が伝わってきます。目に見える事実の描写だけで、登場人物の印象を読者に想像させる書き方もみごとです。読後感がとてもいいです。最後の場面は、主人公が見知らぬ父娘とエレベーターに同乗します。幼い女の子の様子が細かく書き込まれています。場所が病院内なので、無邪気な女の子が重篤な病を抱えているのかと想像しました。その前に死について書かれているので、読んでいた私も死の感覚を引きずっていたのでしょう。ところが最後の1文で、そうではないことが判ります。死と生との対比が鮮やかです。最後の1文を紹介します。
「エレベーターの扉が開き、若い男と女の子は産科の病室のある東病棟へ、私は透析室のある西病棟へ同じ通路を左右に別れた。」

カテゴリー:詩と眞實

                          文芸誌O・小島義徳


「トワイライト」水木怜

 前半は、睦夫という64歳のジャズバー経営者と34歳の麻美という、親子ほどの年齢差のふたりがどのような関係を築いてゆくのかと興味を持たせられて、前へ前へと読み進めました。けっこう細部をつめて書いておられるので、どのような展開があるか、期待いたしました。
 が、途中、麻美と杉尾という商社マンの仲を疑うあたりから、これはエンタテインメント系の小説なのかなと感じはじめました。その後、保険勧誘のいきさつが書かれ、終わりの4行で、あ、やっぱりそうだったんだ、と納得しました。後半はサスペンスものなのでした。そういう意味では最後の4行は決めるべく決められた着地点にぴたりとおさまっています。
 残念なのは、作品半ばころからこういう結末をあちらこちらで示唆するような場所があり、ある意味ではこの最後はとうに見透かされてしまっているということです。

 これは余談ですが、麻美がそうせざるを得ない状況というものを描き出すために、睦夫の視点からではなく、麻美の側から書いたとしたらどうだったのだろうと考えてしまいました。それだとまったく別の小説になってしまいますが、睦夫の側から見た麻美というのが、どうも外側から浅くしか捉えられないのに歯がゆい思いをしました。
 でも、120?130枚の長さを一度も立ち止まらずに読ませた筆力と根気には感心しました。


「三叉路」垂水薫

 読み始めてじきに、この天上天下阻むものもないであろう一人称ひとり語りに爆(苦)笑させられました。
 そしてじきに、以前、自分がブログなどに書き散らしたJ・ジョイスの『ユリシーズ』の最終18章の「ペネロペイア」を思い出してしまいました。
 くだくだ説明するよりいいと思うので、その書き出しを少し引用します。

 Yesだって先にはぜったいしなかったことよ朝の食じを卵を2つつけてベッドの中で食べたいと言うなんてシティアームズホテルを引きはらってからはずうっとあのころあのひとは亭しゅ関ぱくでいつも病人みたいな声を出して引きこもっているみたいなふりをしていっしょけんめいあのしわくちゃなミセス・オーダンの気を引こうとして自ぶんではずいぶん取り入っているつもりだったのにあのばばあと来たらみんな自ぶんと自ぶんのたましいのめいふくを祈るミサのため寄ふしてあたしたちにはなんにも残さないなんてあんなひどいけちんぼあるかしらメチルをまぜたアルコールに4ペンスつかうのだってびくびくものでいつも自ぶんの持病の話ばかりあれやこれやそれから政じの話や地しんのことやらこの世の終わりのことやらうんざりするおしゃべりばかりまずすこしはたのしみましょうよ世の中の女がみんなああいうふうになったらどうしますか水着やデコルテのわる口を言ってたけれども......(集英社文庫・丸谷才一、永川玲二、高松雄一訳)

 といった句読点無しの文章が文庫本で17頁続いて、ようやく改行が入ります。

 垂水さんの「三叉路」には句読点も改行も普通にあって、この「ペネロペイア」の訳文の、ちょっと慣れるまでの読みにくさはありません。
 しかし、女性一人称の激烈で圧倒的な独白体に終始している点では共通していると言えます。
 しかも、眠いといいながら、車を運転しながら、なおかつ休まずしゃべっていることの不自然などどこかに忘れて来てしまったかのように、この主人公はひたすらしゃべる。とてもおかしくて何度も笑ってしまいました。
 ただひとつ難点は、ずっと一本調子ということでしょうか。ややもするとかなり躁状態にあるおばさんが眠らずしゃべりつづけているといった、ちょっと軽い感じで続いてしまいがちなので、少し抑えた部分、あるいはしっとりした部分があったりしたらどうでしょう。
 案外、ジョイス張りに句読点改行無しだったら面白かったような気もしますが、でももうジョイスに先を越されてしまっているので二番煎じのそしりを受けてしまいますしね。でも、生な人間てこんなものかもしれないと思わせる、面白い着想の作品でした。


慶賀の客垂水薫2月11日、「デジタル文学館」にアップされました

 一読、怖い小説である。凡庸な男性読者には、ことさら怖い。
 (気がついたらなぜか、照葉樹6号の3作品はみな主人公や副主人公の女性が怖い。女性の怖さを表現しようと目論まれたのだったら、どの作品も成功であろう)
 「慶賀の客」で圧巻なのは、77頁の、美也が叔母にとって因縁の着物の袖を引き裂く場面の描写である。叔母と美也ふたり分の憤怒が袖を引きちぎる行為に凝縮されている。
 垂水さんに才能を感じるのは、こういう密度の濃い描写力なのです。叔母の印象が希薄であったり、叔父が人間として薄っぺらであっても、それを補って余る描写がそこにはある。こういう部分がありさえすれば、短編は完璧でなくてもいいのだと思いました。
 
  「照葉樹」6号(福岡市)をお読みになりたい方は
               照葉樹ウェブサイトからお申し込み下さい。

カテゴリー:照葉樹

2013年5月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリ