2017年2月18日 (土) (*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「どぶねずみ」大原正義】
 松尾芭蕉の弟子たちのなかに、路通という乞食生活をする男が入門する。貧しく汚れた俳人の存在そのものが、裕福な流派の生活ぶりの批判となる様子をえがく。俳諧文人の雰囲気を楽しみながら、俳句も味わえる。面白く読めるが、それほど路通の人間性への追求に深みはない。しかし、現代においては、想像力を読者に任せて、大まかな事柄表現の方が、多様な解釈の自由を邪魔しないとも考えられる。読者層の多様化を考えると、悪くない対応かも知れない。作者にその意図があったどうかはわからにのだが...。
【「残り香」(連載十一回)紅月冴子】
 長い連載のなかで、いろいろな出来事があって、最終回は節子と博之の恋愛状態で、それが続くことを感じさせるところで終る。恋愛が恋愛に受け取れる書き方。表現力は手堅く正確で、作家的手腕は充分。あとは読者をわくわくさせるテーマや素材に出会うかどうかではないか。
【「華麗なるトマトケチャップ?」甲山洋二】
 トマトケチャップも熟成して、まったり風味のワインになっている。
【風来流 言いたい放題「腐り切った政治屋どもに渇!小池東京都知事に期待」風来俊】
 こちらは都民で、それなりに都政を見ている。都庁の図書館で政策の資料をさがしたり、会見に出る交渉をしたりしている。外部の世情の見解はこうなのだ、という目安にはなる。ただし、行政の運営では、政治家と官僚との関係に問題がある。政治家に思想があっても、官僚には、自分の身分の保持の利害しかない。これは都庁も霞が関も同じで、役人の眼先の無思想の利害関係が、政治家の思想の実現に関わってくるのである。
発行所=〒567?0064大阪府茨木市上野町21号。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:日曜作家

2017年2月 8日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「約束」ひわきゆりこ】
 狭山というかつての祖母の家を訪れる。そこから子供の頃から大人になりまでの祖母の記憶と、過疎地的な山村の変わらぬように見える風景が、時の移ろいのなかに、語られる。
 祖母の記憶が昔の家庭の形の崩壊を暗示しながら、徐々に人が時間のなかに存在する儚さをじわりと感じさせる。そのなかで純郎と出会うことになる。この二人の愛の姿を言葉で迫るのであるが、そこに人生の経験を通じて獲得したと思わせる愛情感覚がいろどりである。さりげなさと独特の味わいが出ている。
 作品の背景には、常に死を意識した視線が感じられるが、それは死の影ではなく、死の光ともいうべき色合いもっている。タイトルの「約束」は恋人との死後の約束であり、主人公はその約束の日をひたすら待つのである。これまで、物語は人の死によって終わることになっていたが、現代文学では死後の世界と生の世界が広がっていくことの一例がここに示されているように思う。
【「河口に漂う」桑村勝士】
 主人公はシラウオの生態研究で、現在は無給だが、大学院で博士号取得に向けて有望なポジションにいる。結婚していて、子どもいる。妻が生活を支えているのだろう。研究生活のなかで、シラウオについて、やや詳しく知ることができる。
 同じ大学院生の中山という男は、博士号をとれる見込みはなく、物語の世界に行くといって姿を消す。この作品も異界との接点をほのめかして終わる。この作品のあとに、作者の「雑感」というエッセイがある。そこで、小説には関数化できる法則があるかもしれないと思ったことがあるという。そして、書くものと書かないものの判断が大切だとある。
 こうした問題は、読者層をどこに向けたものかによって、異なるが、非日常性を好む大衆小説向けには確かにそうしたものはある。ハーレクレインという米国の官能小説は、コンピューターの作った流れと要素を採用しているといわれている。
 また、大塚英志の「物語の体操」で、その構造の共通性をもとに、物語化の基本構造を解説している。ところが文芸作品には物語のないものもあるので、一概に法則的なものが存在するとは言えないのであろう。
【「緑の手綱」雨宮浩二】
 なぜ人は、小説を読むかというと、暇つぶしであり、現実からの離脱、認識力の高度化により、意識の豊かさを楽しむなどの要件がある。この小説は、非日常的な異界物語であり、設定事態はライトノベルに近い、架空世界ものである。映画「アバター」を見るような森の中の描写が楽しめる。
【「三人の母」井上元義】
 産みの母と育ての母、義理の母とそれぞれの事情から、生活のなかで、そうなった経緯を語る。ひとの生活や身の上話は、人間の興味の原点である。テレビ番組でも一般人や、かつての有名人のその後など、身の上情報が人気である。
 その意味で、文学通のこなれた文章での身の上を話なので、興味深く読んだ。自分の人生と比較してしまうからかもしれない。サルトルだったと思うが、人間の「実存は目的に先行する」とかいって、目的をもって作られた道具や商品と人間が基本的に異なる存在であるとする。故に、人の人生行路は興味をもって読まれるのであろう。
発行所=〒811-2114福岡県粕屋郡須惠町678?3、樋脇方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:胡壷・KOKO

2017年2月 4日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「記憶の沼地」須崎隆志】
 短い章をいくつも重ねて、記憶をたどった想いを述べている。記憶をたどることで、曖昧さの中に意識の流れが拡大し、イメージを広げて、物語化することなく、浮遊して失われがちな心象を浮き彫りにしている。人間精神の幽明な部分の表現として味わいがある。
【「海辺の墓地」石塚邦男】
 自分がどこで誰か、記憶を失った情況で、私は海辺を彷徨い、かつての自分を知るという女性に出会う。これには落ちがあって、死者が幽体となってこの世を彷徨い、自らの墓地に戻っていく。これは幽霊物語という形式をもっていることで、話としてまとまりがある。読後すっきりする。その分、味わいが浅くなるのはやむを得ないかもしれない。
発行所=〒006?034札幌市手稲区稲穂四条四丁目4?18、田中方。札幌文学会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:札幌文学

2017年2月 2日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は胆振芸術祭実行委員会の発行。巻末に胆振管内文芸団体一覧がある。地域は白老町、苫小牧、登別市、むかわ町、安平町、室蘭市などで、短歌、俳句、エッセイの一般文芸の60数グループである。
【「金成マツ略伝(三)」浅野清】
 石川啄木の友人で支援者でもあった金田一京助。彼の北海道の少数民族アイヌの言語研究を手助けしたのが金成マツである。青空文庫に「おば金成マツのこと」(知里真志保)などがある。ここではその時代のさまざまな資料が示されているが、そのなかに大正2年の新聞「北海タイムス」に旭川町近文における旧土人としてアイヌの記事が紹介されている。なかに差別といじめの戦いも含まれている。アイヌ民族は国連でも少数民族に認定されている。研究家には有益な資料であろう。
【「死骨の魔王・赤毛熊―なぜ赤毛と渾名されたのか謎であるー」石塚邦男】
 明治時代に苫小牧が開拓がすすみ、製糸工場ができた。用材に森林を伐採したので、その山地に住む赤毛熊という知恵のある巨熊が、人が備蓄している食材を食い荒らしてしまう。怪我をもせている。熟練の漁師たちが退治のために死骨湖に山狩りにいくが、赤毛熊は戦いの中で、追手を逃れて討たれなかったということだ。死骨湖というのは昔の名前で、いまは支笏湖になっていると小説のなかで説明している。風土にあった作品で、面白く読める。
【「クラック」高岡啓次郎】
 工務店を一人社長で経営する私は、10年前に知り合った家のモルタルのひび割れの修理を頼まれる。知り合いだった女の娘も、10年前に子供だった。今は二人の子持ちになっている。この一家の生活の変化と、離婚歴のある私の現在の結婚生活。家のクラックを修理しながら、二つの家庭のひび割れを見つめさせる。渋い味の短編である。特長的なのが、モルタルのひび割れの修理の仕方などが詳しく書いてあるところ。読み物の短編では、物語の運びに筆を多く費やすので、こうした仕事の具体的手順などは省略せざるを得ないし、知識もない。こうしたところに優れた個性を感じさせる。
発行所=胆振芸術祭実行委員会。発行者=〒050-0072室蘭市高砂5?7?1、三村美代子・室蘭文化連盟会長。編集者=室蘭文芸家協会、井村敦。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

2017年1月30日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 創刊20周年記念号ということで、同人雑誌で活動する作家たちの寄稿特集がある。下澤勝井、豊田一郎、五十嵐勉、坂本良介、藤田愛子、高橋光子、山之内朗子、小沢美智恵―各氏が同人雑誌に関わる事情を述べている。
 たまたま、今日のネットニュースで、米国ではフェイスブックで「知り合いの輪がどれだけ広がるか」をテーマに調査をしたところ、知り合いになるのは同好の人々だけになるので、それほど知人の輪は広がらないということが判ったそうだ。
【「『歌と日本語』補遺」勝又浩】
 角田忠信の近著「日本語人の脳」(言叢社)を読んだことによる感想である。角田理論には、日本人には情緒を刺激する虫の声が、西洋人にはただの雑音にしか過ぎないという脳の構造の解説がある。さらに「日本語人」は左脳=言語脳で母音も子音も受け取るが、西洋人が左脳=言語脳で受け取るのは子音だけ、母音は右脳にいってしまうこと。母音を基礎にした五十音図がつくれるのはほとんど日本語のみ、という説を紹介している。
 自分も、日本語の言語美の象徴として、万葉集の歌を「漢語系」の外国人に説明したが、理解されなかった記憶がある。しかし、最近の日本人は、山のキャンプに行くと、子供が渓流の音や、虫の鳴き声がうるさいと、運営者にクレームをつけるそうである。
 自分はいつからそうなったのかを、調べたいと思っている。
 また、勝又氏は「同人雑誌神社」をつくる案を提案している。じつは文芸同志会では、かつて「文芸神社」を作ろうと、芸術の対象の神社(弁天神社)や廃止神社の再興の道をさがしていたことがある。一時は、鳥居の穴だけの廃神社跡をみつけ、その交渉にかかったら、それをきっかけにしたのかどうか、再興の話が出て、実際に新しい鳥居ができてしまったことがあったものだ。
【「戦禍と悪夢」(二)藤元】
 なんとなくきな臭くなったこの世界。日本の過去の戦争被災体験を生々しく語る。よく書いている。これがどれだけ実感を伴って受け取られるかが、問題であろう。文学的価値より社会的な価値に優っている。
【「寒桜」難波田節子】
 佑子は未亡人だが、子供がひとり。職業婦人である。祖母が孫の面倒を見に同居している。結婚を考えている男がいるが、彼は生命保険のセールスウーマンと親しくなってしまう。あれやこれや、創作上の人物を造形して現代風俗を描く。お話のつくりが巧みなので、読んで退屈しない。素材がなんであっても読ませてしまう文章技術には感服する。
【「倒れたわけ」河村陽子】
 事実を語ったものだとしたら、その記憶力の正確さに驚かされる。
【「夏の夜の唄」花島真樹子】
 大病をして入院をしていると、かつての恋心を抱いた僧侶が見舞いにやってくる。自らが生死をさまよう大手術のことで、変に思わず会話をするが、あとで、その男は同じ病院で先に亡くなっていたことがわかる。ありふれているようで、幽冥の世界を見事に表現している。
発行所=〒215?0003川崎市麻生区高石5?3?3、永井方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:季刊・遠近

「ガランス」24号(福岡市)

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2017年1月17日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「『企み小説』の前語り」ミツコ田部】
 真夜中におきると心が悲しい。共同便所でおしっこをして、また寝床にもどり、読みかけの小説を読む。そこから読んだ小説の概略の紹介になる。この小説の解説と感想を詳しく述べている。それが、読書する側の生活と精神の環境を盛り込んで語られるところが面白い。対象の小説は、金原ひとみ「軽蔑」(雑誌「新潮」2015年7月号)、上田岳弘「私の恋人」(同)。その作品の間に、読み手である作者が溶け込み作品に同化して、まるで一体化したようなストーリー紹介がある。
 さらに枕頭の書とする「NOVEL 11、BOOK18」(ダーグ・ソールスター、村上春樹訳)を紹介する。ここでも、作者の読み手として感覚が発揮され好奇心をかきたてる。
 これは、単なる読書記録ではない、新しい形の文学であるのかも知れない。もともとカルチャーとしての純文学読者層人口は、現在に至って減少するばかりだ。わたしがこの作品へのこだわりを語っても、どれだけの人が、その意味を理解するだろうか。それすらも心もとない。
 そのなかで、ある程度世間に知られた文学作品の読者層を取りこむことで、読者数としてデータベースを広げることができる。その読者感想文そのものが文学表現であれば、これは時代を反映した新しい文学なのではないだろうか。
 多くの文学作品の中に、作者の関心をもつ他の文学作品についての詳細を語ることは少ない。それは物語の腰を折るからだろう。
 文学作品に他の文学作品について長々と述べることは、文学作品の読者にとって、邪道であろうか。私はそうは思わない。むしろ歓迎したい。それを読んだがゆえに、どう精神が変化したのか、しなかったのか、それを知りたい。
 とくに文芸評論が、ただの作品紹介評に傾き(商業的に止むを得ないが)、リアルに現代文学に向き合うとなると、詩人の感性や哲学者の社会認識を軸にしたものが、評論として成立してきている。その場合、面白さは物語性でなく、文学的視点からの認識の姿としての面白さである。それがいわゆる純文学のジャンルを定着維持させるであろうと見ている。
 こうした視点から、この「小説の企み」を読み取るという主題は、先に可能性をもった試みとして、期待したいものがある。
発行所=〒812-0044福岡市博多区千代3?2?1、(株)梓書院内、ガランスの会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

「文芸多摩」第9号(町田市)

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2017年1月13日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は「日本民主主義文学会・町田支部」の文芸サークル誌である。
【エッセイ「ヘルパーさんもいろいろ」木津和夫】
 高齢になって脊椎狭窄症でヘルパーに頼むことで生活を維持している。その折にやってくヘルパーの人柄を観察して、そのサービスぶりから性格を読み取る文章。書くという表現を強く意識してさらに細部を描くと、良い文芸作品展開への入り口になりそうな作品。
【「四十七年前の決断」木原信義】
  1967年にY市のH国立大学の教育学部体育科に入学した牧野雄介を主人公にした、過去と現在の思想と生活を記したもの。話は、その年に入学した同級生のクラス会に参加したことから始まる。その当時は、全学連の70年代の安保闘争の末期の混乱情況が残っていた時期。
 作品では、国立H大学での中核派や革マル派の活動ぶりが描かれているので、その後の情況が記録として読める。主人公の牧野は、大学での共産党系の民青に同調することになる。その後の大学内の学生自治主権を巡る争いで、全共闘系を排除し学生自治の秩序を取り戻す。そのことから牧野は思想を共産党と共にする。
 何十年ぶりに母校の同窓会に出席すると、在学当時の学内自治活動のことは、話題にもされず、病気と親の介護などの生活状況的な世間話しか出ない。牧野は、そうした雰囲気に浮いた存在に感じ、失望をする。このような光景は、多くの団塊の世代で見られる現象であろう。
 そうして、これまでの町内会の役員や日本共産党後援会、憲法9条を守る会、退職教職員の会などの役員をしている自分の社会活動に自信を深め、さらに現代の政治状況の右傾化に抵抗する意思を固める。短いながらも記録として、社会的価値に重点がある。主人公が自分の人生に自信をもつ根拠には、ヘーゲルとマルクスによる、社会が段階を経て発展するという歴史観に従って、その発展段階に参加しているという思想がある。そこに、ニヒリズムやデストピアに対抗するところがあると見るべきであろう。
【「メイコの選択」原秋子】
 メイコという小学四年生の視点で、日常生活を描くもの。童話的な面白さをもつ。後半二部での、物の見方について、メイコが自分の考えを主張するところに関しては、ぎこちない。親が子供に説くようなことが、逆になっている。誰に読ましたいものなのか。思想の伝達法の検討をして欲しいところ。
【「転機」大川口好道】
 英治は戦争中の米軍の空襲爆撃を逃れて疎開していたが、高校を卒業して、絵画を学びながら働き場所を求めて、上京してきた。
 時代は、戦後間もなくの敗戦復興の時期であろう。高校時代の同級生のつてで、菓子メーカーに就職する。大企業製菓会社の下請けの作業の実態がリアルに描かれている。おそらく体験が反映されているのであろう。そこでのトラブルに巻き込まれてしまうが、なんとか会社を馘首させられずに済む。作者の真の意図は、判らないが、当時の労働力を商品とするなかでの、不自由さが描かれたプロレタリア文学としての訴求するところは、伝わってくる。
【「峠を乗り越えて」佐久健】
 定年退職した仲間たちで、ホノルルマラソンに毎年参加してきたが、今回は古希の仲間が2人もいるという。その様子を子細に描く。高齢なのにホノルルまで行ってマラソンをするという状況に驚かされる。「マラソンルート」と「人生の峠を越える」という現状への忠実なレポート。伝えたい意気込みが感じられる。目下の人生の主眼がマラソンをして元気でいることであるのはわかる。マラソンレポートから良き文芸にする方にも、精進をして欲しいものだ。
発行所=〒194?0015町田市金森東2?26?5?111、大川口方。日本民主主義文学会、東京・町田支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

2017年1月12日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「太陽の塔」住田真理子】
 1970年の大阪万博の開催の時期、主人公は12歳であった。その頃、母親は万博見物に出かけるために、ショートパンツで行くつもりだったが、太ももの痣が隠せないので、諦めてスラックス系にする。
 万博見物にうかれているうちに、岡本太郎の太陽の塔の作品を目の当たりにして、母親が気分を悪くして倒れてしまう。母親が、太陽の塔に表現されたものなかに、人間の残酷さや悲惨さ、暴力的に崩壊させられる暗黒的側面の意味が含まれていることを読み取ってしまったのだ。それが、母親のトラウマを直撃する。
 そこから母親の太平洋戦争の空襲の出来事の独白に入る。女学生たち全員が海軍工場で作業に駆り出されていた時に、米軍爆撃機の攻撃にあい、みんな逃げまどうが、運命の紙一重で、生死がわかれてしまう。ことに母親の友人であったカヨちゃんは、身体を破壊され、奇跡的に助かった母親の腹の上に重なって絶命する。母親は、その時に腹と太腿に傷を負ったのだった。母親もしばらくは、行方不明者のなかにいれられていたが、やがて発見され命は助かる。カヨちゃんの家族は、カヨちゃんが、どこでどなって死んでいったか、知りたがるが、母親はあまりの悲惨さに、事実を語らずにいるという話。また、その語れないということも深いトラウマになっているのだ。
 岡本太郎の太陽の塔の表現の奥深さ。私は取材であったが、新婚間もない妊娠中の妻を伴って、万博に行った。塔のエネルギーの強さが、ある圧迫感で迫ってきたのを記憶している。
  太陽の塔の人間の業の裏表の存在を浮き彫りにする迫力と、母親の過去の悲惨な体験を娘に記憶させるという、重ね合わせた手法は迫力と説得力がある。
 芸術はゲーテ「若きウェルテルの悩み」やピアフのシャンソン「暗い日曜日」のように、若者をたち自殺にさそうほどの力をもつことがある。
 現代は、ピコ太郎の「PPAP」のような、視覚とリズムに強烈に訴える刺激の強いものがあふれる。そのなかで、文章による視覚的効果への挑戦として、よく計算されている。
 ほかにも、現代風俗に絡めた作品があって、触れる気であったが、今回はこの作品で充分と思った。襟を正さねばという思いがする。
 なお、編集後記のなかで、善積健司氏が2016年(原文は2017年となっているが気が早すぎる)9月の第4回「文学フリマ大阪」が開催され、雨天の中2000人が来場したことや、100部以上売り上げた同人誌の存在もあることを報告している。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通り2?4?10?203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

「クレーン」38号(前橋市)

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2017年1月 5日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 【「ライン作業者」和田信一郎】
 わずか7頁と短いが引き締まった掌編に成っている。ヨーグルト容器を作る現場の記録風の描写が続く中に、作業員たちの会話を織り交ぜている。生産点の日常を覚めた筆で実写する事で訴える文章である。外国人労働者が、ごく普通に就労する単純労働の現場。作者は淡々と事実を提示するが無機質な痛みが伝わって来る。
 日本資本主義の底辺を支える労働者群。その内実を表現する事の意味を読み取れるか戸惑いながら鑑賞した。 井上光晴の薫陶を守る和田さんの真価を見定めようと三度も読み直した。       
発行所=〒371?0035前橋市岩神町3?15?10、「前橋文学伝習所」わだしんいちろう方。
紹介者=外狩雅巳(町田文芸交流会事務局)

カテゴリー:クレーン

「白雲」43号(横浜市)

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2017年1月 5日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 新年早々から今年完成の同人雑誌が続々と届き出しました。先ず「白雲」43号と「クレーン」38号の二つの雑誌を紹介します。この二誌の代表者とはかって関東同人雑誌交流会で知り合って以来毎号発行毎に同人雑誌交換して来ましたので気合いを入れて読んだ。
 ☆「白雲」43号☆
 短歌俳句の会が小説も掲載するようになったらしい体裁なので70頁の前半が短歌・俳句で公判が随筆と小説です。 小説は二編です。
【「少年?の回想記」穂積実】
 少年の目で書いた昭和初期の様子が33回に渡り連載中です。
【「快男児・喜楽」山本道夫】幕末明治初期に活躍した茶道・華道の達人の実話らし行動記録がつづられている。
 会話も多く活気のある文章だ。喜楽と親交のある勝海舟筆の幟旗の写真も掲載されている。連載20回目である。
 10頁程度の連載2編と紀行文や随筆が30頁を埋めている。窮屈な編集に成っている。
発行所=〒233?0003横浜市港南区港南 6?12?21、「白雲の会」代表・岡本高司。
紹介者=外狩雅巳(町田文芸交流会事務局)

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