2017年6月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌は、日本民主主義文学会・代々木支部のサークル誌で、年1回刊行とある。
【評論「『シンゴ・ジラ』は何を進化"させたか???続・怪獣映画のリアリズム考」谷本諭】
 非常にわかりやすく、主張のはっきりした評論である。まず映画の「シン・ゴジラ」(総監督:鹿野秀明、監督:樋口真嗣)が、2016年に公開され興行収入82億円の大ヒットになった。「日本アカデミー賞を」の最優秀作品賞、最優秀監督賞など7部門を獲得。いわゆる怪獣映画が、この栄冠を得るのは、史上初。さらに「毎日映画コンクールの日本映画大賞、「ブルーリボン賞」の作品賞など邦画各賞を総なめににし、歴史ある「キネマ旬報」の国内映画ランキング(2016年期)でも、「第2位」に選ばれているーーなど。
  続編なのに、きちんと理解できるように、説明がある。その評論の方向は、自衛隊を美化しているように観られてしまうか、政治的な意図を読みとられてしまうかなど、映画文化における社会的な意味性について論評されている。
 わたしは、「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・脚本の鹿野英明が総監督であるから、ヒットしたのであろうと思うくらいで、また映画の意味性の議論もいわゆるマニアの世界のことと受け取りながら、関心を寄せなかった。もちろん映画もみていない。しかし、これを読んで、現代カルチャーの問題とする意味性について、概略を知ることができた。大変に勉強になった。
【エッセー「ビバ!『逃げ恥』リアリズム」谷本諭】
 これは同じ筆者のエッセーである。TBSTVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を「逃げ恥」と略して、話題になっていることは知っていた。が、ここにその魅力と各回の概略が記されていて、実にわかりやすく、面白い。内容紹介のまとめ方や、社会的なメッセージについて語るところなど、じつに手際よく解説してくれている。自分の作品紹介ぶりが、どれほど不器用で下手であるかを思い知らされた。とにかく、500円で読めるのだから、お勧めである。才能ある社会文芸批評家の起用をする北村編集者の柔軟な発想に敬意を感じてしまう。
 このほか、【エッセー「星野源が福山雅治とキムタクを超え、植木等になる日」コングロマリット橿渕】、【エッセー「小説で読むブラック企業と労働組合」北村隆志】など、エッセーと称しなが、前者はカルチャーを、後者は労働者たちの現代社会環境動向を良く表現した小評論に読める。
 ちなみに、友人と待ち合わせをするため喫茶店でこれを読んでいたら、友人がこの本を手に取って、「ぼくに貸してよ。これには読みたいものがある」といったので、「読んだあとでね」と言ったものだ。要するに、文学がカルチャーとして、ほかのジャンルに負けてしまっている現状からすると、その他のジャンルに乗り込むための文学性が必要だということを強く認識させられるのである。
発行所=〒調布市上石原3?54?3?210、北村方。「日本民主主義文学会代々木支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

「異土」第14号(奈良県)

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2017年6月18日 (日)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 毎号大変充実した作品群が詰め込まれているが今号も300頁を超える冊子となっている。
 注目したのは秋吉好氏の作品「松永軍記」と松山信慎介氏の作品「甦る火野葦平と戦争文学」である。
 171枚の力作である火野葦平作品論は、戦争協力作家として戦後に追放された事に言及している。
 現在私が同人誌に郷土作家として発表予定の古山高麗雄(1920年- 2002年)の紹介でも重複するので後述したい。
 ここではもう一つの秋吉氏の作品を紹介することにしたい。
 政権基盤の脆弱な室町幕府を揺さぶり戦国時代の幕を開けた応仁の乱の当事者の一人の臣下の物語。
 室町幕府の二大巨頭。細川と山名。日本国の六分の一を所有する六分の一衆と言われ細川勝元。
 そして以後は国元の四国の統治をおこなうそ家老の三好氏が実権を握りのし上がってきた。
 京都の室町幕府を牛耳る三好氏。しかし更にその家老の松永氏が台頭する下剋上の戦国時代。
 その松永久秀の実態に迫る142枚の連載長編が今号では一番の興味をそそられた。
 かつては「歴史読本」等の月刊誌があり図書館で手軽に読めたので歴史ファンとして読んでいた。
 廃刊となり日本史関係雑誌が身近になく、この作品を興味深く学びながら読ませてもらった。
 氏は奈良県在住で当誌の発行人としての重責を果たしながら多くの作品を生み出している。
 徳川家康・豊臣秀吉などの歴史上の有名人は多くの作品になり読者も多い。
 私も新聞連載になった津本陽氏の織田信長記「下天は夢か」は毎日欠かさず読んでいた。
 しかし近畿地方の戦国大名の松永氏についてはあまり興味がなかった。
 「異土」が毎回送付されてくるので読みふけり松永ファンになりそうである。
 武士階級が平将門等で世に出た奈良時代から実力を蓄え平氏と源氏が時代の主役になった平安時代。
 そして源氏の鎌倉幕府。貴族階級の復古勢力による反攻期の南北朝時代後を抑えた足利尊氏。
 その足利幕府を支えた細川氏の家来たちの歴史としてこの作品を細かく読み込んでいる。
源平藤橘の話 源平藤橘とは日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を まとめた言い方である
 源平藤橘(日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を まとめた言い方)として現在まで日本の名家であり支配階級の根幹として連綿と続く家父長制度。
 日本人とは何か。それを基調にした視点で足利家の歴史の読みを行っている。
 発行所=奈良県生駒市青山台 342-98、秋吉好方、「文学表現と思想の会」(発行日=2017年6月)
紹介者=外狩雅巳・文芸交流会事務局長

「奏」34号・2017夏(静岡市)

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2017年6月16日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「評伝藤枝静男(第一回)」勝呂奏】
 表題の郷土の私小説作家の詳細である。冒頭に講談社文庫に藤枝の短編集が2点刊行されていることに触れ、没後も一定の愛読者が存在することの現象として捉えている。
 たしかに、私自身も「悲しいだけ」をもっているし、それ以前に幾つかの短編を読んでいた。40才頃から執筆しはじめた藤枝の作品が、師とする志賀直哉とほぼ同量の作品を残した、と指摘しているのには驚いた。なぜ、藤枝静男の作品が意外にも? 読まれるのか。自分はその理由は、家族関係が題材になっていることが多いことだと思う。
 家族関係は、人間生活の基本的な構造に由来する。したがって、読み物好きには、興味深く感じる。場合によればもっとも大衆的な素材である。人間の好奇心に訴える物語にミステリ―小説があるが、それと同等な世間話的な家族関係も大衆的な魅力がある。横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の大ヒットもそうした両面をもっているためであろう。
 同時掲載の【「藤枝静男『家族歴』ノート」勝呂奏】と合わせて、藤枝の家族関係の細部は、愛読者には参考になる労作である。
 本論一部を読んで、私なり注目したところを上げてみると、まず藤枝の自我の形成についての手掛かりがある。人間の自我形成は幼児期にあると見るので、これによる藤枝の自我形成には、祖父や兄によって、愛情を与えられて、そこから無意識な自己肯定の基礎ができたこと。
 同時に、人間像へのイメージが尊敬する先輩や偉人の姿に置くという理想主義があって、彼の自己肯定感を満たすには、この境地に達すること、というビジョンがあったこと。
 そのために、自己批判と自己否定感の影を負っていたと見える。常にそれと向き合っていただけに自分は自分という自己肯定感によって、困難に打ち勝つ精神が確立された。志賀直哉の我儘にも見える自己肯定の精神に藤枝が同感したのも道理である。
 これと対象的なのが、太宰治で、裕福な家庭内ありながら、家族からどこか充分な愛情を受けているという、充足感を知らず、愛情不足を抱えた精神が形成されたのではないか。無意識に抱く世界感について、寛容性を感受するより、不公平感を持つ。僻みっぽく、自己肯定的精神が弱い。他者の気分を伺い、それに感情が左右される感受性が生まれる。太宰治の文学的才気の繊細さと、藤枝の図太いような作風は対照的である。
 今後はそれに関連した話題として、示唆されると思うが、藤枝の私小説が、ただ事実をもとにしただけでなく、そこから次元を超えた日本の風土に根差した異次元世界への展開を含む、想像力による手法に果敢に挑戦したところが魅力であろう。
【「小説の中の絵画(第六回)太宰治『キリギリス』(続)妻の願い」】
 太宰の作品にこのような絵画の場面があるとは知らなかった。妻の独白体の引用文を読んでも、女性の感性を表現するのが巧いし、女性の孤独感より、夫の孤独感が想像させるのは、やはり巧さと才能を感じるしかない。
発行所=〒420‐0881静岡市葵区北安東1?9?12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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「群系」38号(東京)

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2017年6月14日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌の36号が第6回富士正晴全国同人雑誌賞の大賞を授賞した。この賞は、徳島県三好市が郷土出身の作家・詩人の富士正晴を顕彰して同人雑誌に特化した賞で、地元で授賞式を行うことで、文学祭のような町おこし効果もあるようだ。特別賞に「水路」第20号、「文芸中部」第100号(名古屋)が授賞している。
 「群系」は文学史に残るような作家、作品の評論が主で、それが評価されたようだ。そのなかで小説もいくつか掲載されている。
【「青いアネモネからの風」荻野央】
 冒頭から「妻が交通事故で頭を強く打って意識不明となったその年の暮に、妹の亭主が自殺した。続けられたふたつの不幸によって今年の正月は、感傷が二重になってなまなましく、わたしにはきつかった」という説明があり、それを前提とした50代「私」の精神にかかわってアネモネの存在の様子が語られる。
 状況はかなり憂鬱な雰囲気にあるが、しかし、アネモネを観察観賞し、その美的な感覚を楽しむ「私」は、冷静な側面が半分あるようで、虚無的な精神から距離を置いている。散文詩的な感覚に、世俗的な出来事を組み合わせたもの。アネモネの存在する空気世界は、透明性をもった文章で光を帯びて明るい。詩的な一つの定型である憂愁のなかに、世界を悲観的なものとして受け取めない作者の向日性をもつ個性が良く出ている。
【「会長のファイル5『地縁・血縁』」小野友貴枝】
 市の公益社団法人・社会福祉協議会(市社協)の会長に就任した英田の組織改革の活動に向けた、地域の風土との調整の苦労を語る。地域の民間福祉団体が、各自治会を通じて会費が入っていることや、各種の利益還元もあり、会長はベテラン部下のすすめもあり、自治会の幹部に運営資料を届けるため、自宅訪問を行う。
 能率の良くない不合理なしきたりだが、実行してみるとそれなりに、風土と結びついた福祉活動の実体験として学ぶものを感じる。地域の民間福祉団体の組織活動の内部の実相が良く反映されて描かれている。実体験であるが故の曖昧な表現が、かえって想像力を働かせる余地を生み出し、それが多くの含みをもって、面白く読める。
【「大豆の戯言」野本恵理子】
 茅ヶ崎から三重県津市の別荘地に引っ越したこと、家族が3人であることなどが記さる。ある日、外出から帰ると煮込んでいた大豆が戯言を言ってるのが聞こえるたという。とりとめのない話だが、こうした断片の連続は、ツイッターの呟きを読むようで、今後の文学的手法の通り道を示すのかも知れないと思えた。
 メインの評論にも、いくつか興味をそそるものがある。いわゆる評論対象の作家について、読者がどれだけ知識があるかにかかる。データ―ベースの多い少ないに読者動向が左右される。その意味で、大衆小説やコミック、流行作家について評するのがてっとり早い。
 最近の「群系」には、そうした動向を掲載した編集がなされているようで、それが良い評価につながるのであろう。
発行所=〒136?0073江東区大島7?28?1?1336、永野方。「群系の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:群系

「海」95号(いなべ市)

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2017年6月 6日 (火)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「アナザー・ローズ」宇佐美宏子】
 60代半ばの塔子は、眼の具合が悪くなり、病院に行く。すると、血液検査をされる。結果は梅毒による視神経の疾患とわかる。感染の原因は60歳で数年前に病死した夫しか考えられない。末尾に参考資料として、医学書が3点記されており、医師による事実の記録に同様の事実があったようだ。
 作品は、夫との生活の回想を中心に、病状の悪化を、薔薇の花やバルコニーの花壇の荒れようと並行して描く。話は孤独に暮らす塔子の回想が中心であるが、そのやり切れない孤独感が伝わってくる。小説設定からすると、他の手法もあるかと思うが、孤独を描くのに適した作者の資質なのか、本質的に人間は孤独であると強く認識させる筆力で、不思議な余韻を残す。こうした特殊なケースでなくても、孤独の表現が可能な作者のような気がする。
【「どこかへ」白石美津乃】
 定年退職者の政雄。妻の君江、82才になる母親の茂子は認知症気味。40才前の息子の弘。一度、都会生活をしたあと、実家に舞い戻って来て、居候をしている。それにペットの猫という家族構成で、ある種の現代家族構造の一典型でもある。政雅は、仕事を離れてしまって家庭内に居場所がない感じをもち、どこかに出かけることにする。自由であるが、孤独である。女性の手になるせいか、細部が実に小説的。
 人間社会は家族・市民社会・国家の構造のなかにあるとヘーゲルの「法哲学」にある。家族は愛による共同体という一体感をもち自由であれば良いとしている。家庭内の自由がどういうものか、この作品の家庭は一体感は失われている、自由であるように見えるが、幸せの条件を満たしていない。マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」で、資本主義国家の経済的階級格差がヘーゲルの主張を裏切るとしている。しかし、これは息子の弘の経済生活の不満足の現状とはマッチしないようだ。本作品の家庭内生活ぶりを読むと、現代はヘーゲルやマルクスの発想を超えた段階にあることを示している。ただ、よく描かれた小説の家族構造は、社会科学の時代性の問題提起をも表現しているように思える。
【「水谷伸吉の日常」国府正昭】
 理髪店の主人が、お客が減ってしまう。経済の高度成長時代の人口増の反動と、高齢化で頻繁に髪の手入れを必要としない人が多くなった。そうした時代の流れに逆らえず、近隣の精神的発達障害者の施設に出前の仕事を引き受ける。淡々とまじめに仕事をする主人公の姿を描く。社会環境というのは、必ず変化することを実感させる。
【「夕霧理容室」紺谷猛】
 こちらの話は、50年前の団地生活ブームに合わせて、地域に必要となり開店したので、順調な時期が続いたことも話題にされている。この時代は、農村地帯からの大量人口移動が起こり、農業から工場現場へ、工場事務員が人口の半分近くになった。農業からサラリーマンになる人が都会に集中した。いわゆる団塊の世代の現象である。そのベッドタウンとしての団地造成があった。そこで良い商売になったのが、耐久消費財の電機メーカの系列電器店である。しかし、電気製品の普及が進むと、まず大型電気店に押されて消えて行ったのも系列電器店である。それに比較すると、理髪店の衰退はゆるやかである。
【「河岸をたたく雨」宇梶紀夫】
 農民文学賞受賞作家の鬼怒川ものともいうべき、一連の地域歴史時代小説である。「おさと」という料理茶屋の女中の見聞を軸に、当時の商売、庶民の男女のふれあい、鬼怒川の増水による輸送船の転覆事故など、さまざまな悲喜劇が語られている。各地に郷土史家や郷土作家がいるが、これも地域風土の雰囲気を再現しているように読めた。
【「『世代』初代編集長 遠藤麟一朗のこと」久田修】
 作者のエッセイ風の前半につづき、「世代」という文芸誌の編集賞であった遠藤麟一朗というエリート社会の文学者の年譜がついている。知らない文学者の話だが、が形式にこだわらない自由な書き方が、読んで面白い。
発行所=〒511?0284三重県いなべ市大安町梅戸2321?1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

カテゴリー:海(いなべ市)

「楽雅鬼」第2号(大津市)

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2017年5月28日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 5月26日付の朝日新聞「文芸時評」に作家の磯崎憲一郎氏がこんな事を書いている。『ー小説とはストーリーではない。大事なのは語り口でありーー』 これは円城塔作品「文学渦」について語っていることの一部だが心に残った。
 続いて「楽雅鬼」を読んだところ次のような感想を持った。
【村崎みどり「ふたりぼっち」】
 児童誌設を出て自活する男女の日常。猛志は仕事が長続きせず五歳年上の女に養われている。
 施設の「めぐみ学園」は18歳で卒園なので、住居確保と食費に追われる日々での同棲生活の倦怠感。アサ姉と呼ばれる女性の視線で関西弁会話の多い表現で書かれている青春小説。
 施設内で猛志が愛した沙織を嫉妬する。交通事故死した沙織。沙織の母と武志の父が結ばれる。
 複雑な男女関係を抜け出し四国から大阪に来てふたりばっちで寄り添う日々が活写されている。
 語り口に引き込まれ読み終わると余韻が残る。ーー長いあいだ生理が来ていなかったーー上手い小説なのかどうか?よくわからない。気になる作品はいつまでも忘れられない。
 編集後記も無い。A5版の70頁。創刊号は2016年10月22日の「週刊読書人」で評価されている。
 発行所=〒520-2132大津市神領 3-11-25、高木紹(連絡先)。文芸集団「楽雅鬼」。発行日=2017年4月20日。   
紹介者=文芸交流会事務局長・外狩雅巳《外狩雅巳のひろば》

2017年5月27日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「功徳」椿山滋】
 29歳になる吉沢君恵は、清真会という宗教団体に入会して半年。素晴らしい人間に生まれてこなかったことで、両親をうらむようなうじうじとした性格だとある。少ない友達のひとり、高校生時代の弘子に誘われて入会した。この世で苦労しても功徳を積んで来世で幸せになろうという思想らしい。弘子は会費やお布施の経済的負担に耐えられず、脱会するという。やがて清真会の代表は、信者の金を遊びに使って姿をくらましてしまう。
 茫然とした君恵は、家に戻ってドラムスティックゲームに没頭する。その後、近所に似たような教義の宗教団体があることにの思い当り、そこに入会しようと決心する。
 君恵のもつ不可解なような性格を描くが、同時にそこにある部分は人間の業のようなもので、彼女を愚かささだけを読み取るわけにはいかない。短いなかで、内容の濃さをもつ。
【「今浦島の帰郷」高杉洋次郎】
 浩介は定年退職して10年。年齢相応の病を克服するなかで、舞鶴地方の郷里に帰った話を、きっかけに、折々に過去の思い出や出来事を語る。浩介は俳句、短歌をたしなむので、作品を挟みながら、いろいろある人生の過程を引き出す。技法はいいが、話は多彩で長く感じる。人生的なこだわりを超越した視点のためで、自己表現の部分が多くなっている。その分、作者の性格が文中からにじみ出ている良さはある。
【「てぶくろ」冬木煬子】
 千佐という家事に長けた女性がいて、夫の昌一と二人暮らし。「三人の子供が独立して出て行ったそういう年頃の夫婦である。」という。千佐はネット通販で、手術用の使うような手袋を買うが、これが大変便利で、特別な効用がある。これにこだわった日常生活が語られる。さらにことあるごとに―なんだかなあ―という詠嘆の言葉が出る。これで、かなり長い話が面白く読める。文字面もよく、軟らかなウイットを含んだ文芸作品である。だから、単純な自己表現より良いということにはならないが、より文学的であることは確か。
【「茨木市ドン底生活(一)」折口一大】
 タイトルが直接的なので、それだけで笑ってしまったが、読み物として、これが一番面白い。現代風俗小説である。失業してミュージシャンバンドを結成しようと、メンバー仲間を集めるところである。
【「サリーと共に」野上史郎】
 サリーという犬マニアの趣向の強い人間の話。行動をつなげれば、話がつながっているのだが、人間精神の論理のつながり部分を描くのを忘れたのか、抜けたところがある。読み終わって、えっと驚いた。これがマニア精神なのだろう。
【「過労死殻の逃走」紅月冴子】
 残業の多い仕事をしながら、小説を描くことの大変さを述べ、それでも「ガンバル」と一直線な文学する心を描く。私もそういう境遇の時期があった。そんなとき、映画「パピヨン」の脱走兵(スチーブ・マックイーン)が、ゴムボートで海原に出て「おれは、くたばらねえぞう」という場面を想ったり、安部公房の「けものたちは故郷をめざす」を読んで、弱った力を恢復させていたものだ。その経験から、良い芸術は人生の役に立つと考えるようになった。だが、そういう思想の自分は、本当は芸術に縁遠いのだろうな、と考えるようになった。
発行人=〒567?0064大阪府茨木市上野町21番9号、大原方「日曜作家」編集室。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:日曜作家

「私人」第91号(東京)

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2017年5月26日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「ユンボのあした」(二)根場至】
 62歳の水谷は、若い頃に魚屋の実家を飛び出し、さまざまな職場を経て、現在は警備保障会社の交通警備員をしている。そこで出会った出来事を詳しく描く。警備員の仕事の内容や、アルミ缶ゴミを集めて暮らすホームレスの生活実態を描く。それだけで面白いが、だからといって、ただの生活日誌ではない。まず、出だしに「人は望んで生まれてくるのでもなければ、目的をもって生まれてくるのでもない。」とある。それを強調する意味は異なるが、認識で同様の感覚の持ち主だとわかる。
 小説というものは、読者の日々の生活において、気付かなかったり、見逃したりしていることを、改めて再認識させるか、その角度を変えて見せるもの。この作品は、それを探し求めていると感じさせる。その意味で純文学の製作過程として読める。つまらない日常を平凡に書いてあるとして、それだから読むに値しないということではない。ここに小説の受け止め方と読み方の難しさがある。
【「D・H・ロレンスの想い出」(5)尾高修也】
 私は外国語がわからないので、翻訳でしか読めないが、ロレンスは読んでいる。同じ原作のものを異なる翻訳者で読むのも、原作をより深く理解できるものだ。
 学者である筆者は原文で読んでいるらしいが、ここでは新訳「チャタレ―夫人の恋人」(武藤浩史・訳)を対象にその意義を述べている。大変勉強になる。私は、伊藤整・伊藤礼共訳のものである。そして、いまは、過去に裁判沙汰になった小山書店版の伊藤整訳の上下巻を伊藤礼氏より提供されたことから、その小説の意義について研究している。尾高氏は、ロレンスは小説が巧いとしているが、まさに同感である。現代は、小説に対する考え方に定説がなくなっているようだ。そのなかで、これが小説だと示せるのがロレンスの作品であろう。当然だが、ロレンスは詩も書いている。哲学や社会学的なテーマを小説芸術にするうまさは、彼が詩人であったことに関係があると思う。その思想を小説に反映させるために人間の性関係を絡ませているにところに、一般人にも読ませる技術がある。これからのロレンス論の展開が楽しみだ。
発行所=東京「朝日カルチャーセンター」尾高教室。発行人=〒346‐0035埼玉県北本市西高尾4?133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:私人

「孤帆」28号(川崎市)

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2017年5月22日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「It`s a SEXUAL World‐2‐」塚田遼】
 現代人の性にからむ活動を活写。現代への問題提起になっている。今号では、四(女性 一七歳 高校生)のケース。五(男性 四十一歳 舞台俳優)、六(二十二歳 女性 大学生)など三人の人物を登場させている。質の高い小説的な濃度が充分で、ここでは、性が女性の人間性のスポイルになり、男には虚無的な面を照らすように描かれている。この段階でもかなり厚みをもち、人間存在への問いかけに迫ることを予感させるので、後が楽しみだ。
【「芬香」草野みゆき】庭の水仙の花にかかわる時間と物語が短い中で語られる。詩的要素を含んだことによる完成度は高い。
【「ヒア、ボトム」とおやまりょうこ】
 三人兄妹の長男の晴樹、一番下の妹の優美が会う。両親と結婚30周年と中の弟の友紀の誕生日が同じ月に重なり、ついでに優美の就職内定が出たというニュースが加わって食事をすることになった。その集まりの前に、優美に会おうと誘われ、ドーナツ屋で会う。
 そこで、優美の方から、晴樹の恋人のことを聞いてくる。晴樹は優美が失恋でもしたのかと推測する。非常に個別的な話なので、関心をもつ人はそう多くないと思うが、小さな出来議ごとにこだわる表現力に注目する人もいるかもしれない。
【「腐食」畠山拓】
 アクロバット的な語り口で、自由に思うがままに表現する。おそらくこの手法が体質にあっているのであろう。その作家的エネルギーで、これ何だろうと、読ませる。
発行所=川崎市中原区上平間290?6。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎

カテゴリー:孤帆

2017年5月13日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 ながさき総合文芸誌のサブタイトルを持ち、長崎ペンクラブが年二回刊行する雑誌である。
 元国会議員が会長になり理事には元県議会議員や元長崎新聞論説委員など多数を連ねている。
 印刷製本も本格的で市内企業などの広告も多い。156ページの中身はエッセイを主に誌・俳句・小説である。
 元長崎市助役の宮川雅一『長崎水道の恩人・日下義雄墓地・墓石について』など、地域密着記事が多いのは当然であろう。
 今号は長く編集長を務めた広田助利氏の追悼記念号でもあり同誌の沿革も記されている。
 写真も多用されており長崎市の総合文化雑誌の観もあり文芸同人雑誌とは一味違う読みでがある。
 同封された送付案内書に----貴方に一冊、寄贈致します-----とあるのも市民文芸雑誌らしく感じた。
 長崎から送付されてきた一冊を手に取り、文芸交流会の議題にどう取り上げ、閲覧するかを考えながら、ゆっくりと読み通した。
 150ページの三分の一は元編集長の追悼になっておりさらに三分の一はエッセイ12作品が埋めている。
【「ハプスブルグ王朝」吉田秀夫】
 小説は三作品だが、本作品が圧巻である。120枚の力作。ドイツ農民戦争期の首謀者トーマス・ミュンツァーを主人公にした歴史小説となっている。
 歴史的階級闘争のお手本としてエンゲルスが取り上げたこの事件を人物本位に書いた小説である。
 敗北して捕らえられたミュンツアー夫妻への拷問と凌辱。そして残酷な死刑が生々しい。
 改行も無く詰め込まれた読みづらい記述に籠められた作者の感性に触れて読み通してしまった。
 人誌作家で無く市の名士である医師が渾身で書き上げた作品に長崎ペンクラ
ブの真相を見たようだ。
発行所=〒850-0918長崎市大浦町 9-27、「長崎ペンクラブ」。
編集人=新名規明。発行人=田浦 直。(平成29年5月1日 発行)
紹介者=文芸交流会事務局長・外狩雅巳

2017年6月

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