「澪」第10号(横浜市)

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2017年10月11日 (水)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「大池こども自然公園生態系レポート?1」かいぼり編(上)鈴木清美】
 長年にわたって地元の大池公園の自然を写真撮影や、生き物観察の場に愛好してきた写真家の作者が、編集者の依頼で、公園と大池のかいぼりの話が生まれるところから、住みついた外来種の魚類、動物などについて記す。こうした活動は自治体のやる気がないと、なかなか進まない。同時に、のちに地域の歴史に関しての貴重な資料にも成り得る。
 イギリスの居酒屋パブで、飲み客が町の噂や政治談議をしたこところから、パブリックという言葉が公共性の意味を持つようになったそうである。パブリックとジャーナリズムを合わせた機能を、文芸同人誌に折り込む試みに期待したい。写真も素晴らしい。一瞬の現象をスーパーリアリズムや幻影にちかい手法で表現するための努力が見える。同時にこれが永遠の一瞬かと、感じさせる。
 今回は難しすぎて、紹介ができないが、同時掲載の評論「ハイデガーを想う」柏山隆基の存在論を具象化したようにも見えるカメラ視線である。
【「カップマルタンの休憩小屋」衛藤潤】
 これは自衛隊員を兵士というより、公務員意識から描いた異色の作品である。時がくれば光があたるであろうと、想わせるものがある。
【随筆「かたち」草野みゆき】
 愛猫の葬儀所を探すはなしだが、細部の説明と描写が的確で、エッセイを超え、小説になっている。ただこの文才が、猫好きによるものか、持ち前の才気なのか見分けがつかないが、構成が巧みで面白い。
【「クラシック日本映画選5?カツライスアゲイン『座頭市物語』石渡均」】
 勝新太郎の映画の「座頭市」の解説で、運が良ければ、BSテレビでの再放送で鑑賞ができる。我が家のテレビは、26Vだが、BSの映像で見ると、撮影時における光と影の工夫のあとがはっきりすることがある。だから、光と闇の話はとくに面白かった。
【おとなの童話「ねこくる日々」片瀬平太】
 叙事と言葉のリズムの感覚が心地よい。つまり、文章表現が巧みということになる。
発行所=〒横浜市旭区左近山157?30、石渡方。文芸同人誌「澪」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:

2017年9月28日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「遥かなユーラシア」斉藤きみ子】
 2011年の福島の大震災と原発事故を背景に、わたしの祖母が亡くなり、女友達のユリアは、カナダに行くことになる。冒頭にユリアと私には、愛情関係があることをうかがわせる。時代を反映してか、ライトノベル風の文章運びで、軽みを帯びたファンタジックな風趣の雰囲気小説に読めた。ユーラシアというイメージが、もうすこし強く映像的に描いてもいいようにも思えるが、映像化の普及した現代では、これで足りるのかも知れない。また、祖母のバァバが小説を書いていた、という自己表現者の存在として出てくるところが、ポストモダンの色彩が感じられる。
【「桟橋」出水沢藍子】
 舞台を人が多く出入りする港の桟橋に固定し、ある家庭の小さなドラマが展開する。短い中に、伏線をきかし、息子の心理と父親の人間的な生き方にスポットを当てる。素直に、それでどうなるのかな? という気持ちで作中人物に惹き入れられ、そうだったのかと、納得させる。たしかに、これが小説のだいご味だよね、思わせる出来栄えである。
【「廃墟の眺め」福迫光英】
 交通事故を起こして、死者をだしてしまった過去を持つ男が、見らぬ土地に流れて、その町の人との交流の紆余曲折の末に、人生の再生の兆しを見出す話。高倉健が生きていたら、主演の映画にぴったりの雰囲気の渋い人情話だ。これも小説らしい本来的な物語性をもった小説である。
【「『女と刀』のアウラ」杉山武子】
 「女と刀」は、鹿児島県の「中村きいこ」という作家の作品だという。その評論である。作者の紹介によると、谷川雁の紹介で、鶴見俊輔が着目。平凡社刊のノンフィクション集「日本残酷物語」に「女と刀」の基盤となる文章を共同執筆。さらに鶴見の依頼で、雑誌「思想の科学」に実母をモデルにした小説を書く。さらに光文社から「女と刀」の題で出版され、第七回田村俊子賞を受賞。テレビドラマ・木下恵介アワーで、半年間放映され、作者は一躍、時の人になったという。
 鹿児島という土地の風土で、男尊女卑のほかに、江戸時代からの士農工商の階級意識のなかでの話として評し、中村きいことその母親の批判精神の旺盛さに着目している。
 このなかの、武士階級意識から、妻が身分的に自分の出自より低い夫を軽蔑的に見ながら、夫の間に八人の子をなしたことに、作者は疑問を呈している。が、批判精神と人間性の否定とは異なるので、「批判すれども否定はぜず」。家庭の維持態度としては当然のことに思え、不思議ではないように思う。夫婦の営みは欲求の満足であり、恋人との営みは欲望の満足であろう。それにしても、核家族化の進展で、女性の社会的地位から、伝統的な家系意識が希薄になった現代では、貴重な資料であろう。文体も歯切れがよく、気持ち良く読める。
【「冬子」福本早夫】
 農村の若者が都会に出て働く集団就職の時代。異母兄妹の兄が妹によせる愛の物語。「なごり雪」の歌の小説版のようなものに読めた。
 編集後記には、鹿児島の文学の質の低下を嘆く言葉がある。それは、過去の文学的な作品の傾向だけを見ていれば、そのように見えるかも知れない。しかし、文学的な優秀作とされるものが、現代では定まっていない。そこから、おそらくどの地域でも、優れた作品とする基準が、その背景によって異なる。また、過去の個性的作家の評論を題材としながら、小説家にするような評論小説のような新形式のものも登場している。完成度よりも、それぞれの視点の現代性で世間にアピールする傾向がある。
 ちょうど、テレビ番組から歌番組のベストテンがなくなり、過去にヒットした歌謡曲の番組が増えているように、文学界においてもの社会的露出の定理のような基準がなくなった時代なのだと思う。
発行所=〒890?0024鹿児島市明和1?36?5、相星方、小説春秋編集所。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

「海馬」第40号(兵庫県)

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2017年9月18日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「石を抱えたトキヨ」永田祐司】
 トキヨである「私」は、三人姉妹の末っ子で、母は教師、父はエンジニア。自分は保険の販売店に勤めている。家庭の話かと思えばそうでもなく、時空をこえた恐竜時代の夢を見たり、保険販売の客対応のコツを語ったり、人生の意義を考えたり、作者の思うところを自由に描く。宮崎アニメかと思うと「蟹工船」のプロレタリア文学を考え、ルソーと云う友達が登場すると、「告白」のルソーの人生を話題にする。キーワードは占い師が云った彼女の「子宮の中に骨がある」というもので、それがどういう意味か、考えながら読ませるところ。内面性の薄い表現のなかで、それが受け取り方の多様性をもたらしている。
【「うたかたの記」長谷川直子】】
 弁護士事務所に勤める女性弁護士の葉子が、50代になってボス弁護士の助手をしているが、仕事に倦怠を感じている。ある機会があって、菅野という男のバーの店の開店を支援することになる。葉子は菅野を美しい男だと感じる。菅野のバーは評判良く、流行る。が、ある日、菅野は失踪してしまう。その後、手紙が来て、彼が少年期に父親を海に突き落としていたことを告白する。
 全体にロマンチックなムード小説的であるが、菅野の少年期の事件が別件のように感じてしまう。話が漠然していても、前の分の美と愛の関係だけを絞って書いた方が文学性があるのではないか。
【「豊中の家」岡田勲」】
 豊中の家に住む女性の一人称で、生活の心境と家族の様子が、丁寧に描かれていて、なにかプルーストの「失われた時を求めて」の日本版の一部のような感じがある。終章で、その家の風景を見ることはないという言葉があり、時空を超えた話に読めた。これはこれで、一趣向のように思えたが、編集者のあとがきに、亡くなった娘さんのことらしい、とわかって、納得すると同時に、その文才に感銘を受けた。
【「愛のかたち」山下定雄】
 カンナという女性について、彼であるらしい「私」の独白体の語りで、小説的描写よりも、内面の心情や情念に重きを置いた表現。愛情のもつ曖昧な感覚を言葉にしてるようなものとして、長編の一部のようである。
 その他【「逃げ延びろ(二)」山際省、【エッセー「台湾ワールド」頴川雅麗】、【「手帳の余白ー編集後記に代えて」小坂忠弘】がある。
発行所=〒675?1116加古郡稲美町蛸草1400?6、山下方、「海馬文学会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:海馬

「R&W」第22号(名古屋市)

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2017年9月11日 (月)(*)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「滅びゆく懐疑派―『東海魁新聞』と眞野志岐夫の周辺」渡辺勝彦】
 眞野志岐夫というアナーキストが居て、まず、その長男の眞野吉宣が亡くなったことを記す。吉宣氏は、昭和11年の生まれで、行年76歳。語り手の「私」が彼に会ったのは、6年前である。
 「私」は、『東海魁新聞』を発行していた眞野志岐夫のことを調べているのだが、まず、その息子のことを記すのは、時代背景と現代との距離をつかませる。そして「私」が彼の父親について、取材すると、多くを語ることを避ける。しかし、彼の死後に「私」に向けて書かれた手紙が、発送されないで残っていたことがわかる。じつに話の展開が巧い。
 「私」が『東海魁新聞』を入手してその幾つかの号を読むのだが、眞野志岐夫は社会主義思想に基づいて、新聞を発行し、広告なども充実し読者の安定していた様子が新聞からわかる。彼が「治安維持法」違反で、警察から罰金刑を科せられるが、罰金が払えず、刑務所に入っている。
 その後、警察によって、社会主義思想家からの転向をさせられる。転向後も新聞を発行するが、国民より国家権力を優先する風潮を、転向者の証明として、過剰に賛美表現することで、皮肉の意味を持つような記事を載せるようなこともしていたらしい。
 すでに、法として成立している「治安維持法」のなかでの生活の様子が、普通に描かれている。現在の労働基準法をないがしろにする残業代ゼロ容認法なども、こうして成立していくのだろうな、と感慨を呼び起こす。資本主義と国家体制が結びついて、目に見えない網がかかっている社会の空気が読めるような気がする。いま与党として連立している公明党だが、創価学会の牧口常三郎初代会長は、伊勢神宮の御札(大麻)を受け取らなかったということで、昭和18年「治安維持法」違反で、拘束され獄死しているという。錯綜する矛盾社会をみる気がする。
【「禿頭賛歌」藤田充伯】
 亡くなった田中小実昌は、作家・翻訳家として著名である。文壇や周囲ではコミさんで親しまれた。彼はベレー帽を被っていたが、それは禿頭なので、頭が寒いからだったと想像がつく。本稿の作者も禿頭だそうで、そこから田中小実昌の人となりを語る。自分は、田中小実昌訳となると、ほとんど目を通した。翻訳なのに、ひらがなを多用し、日本の物語のように訳す。本人の書いたものは天才で学ぶべくもないと思っていたが、翻訳というのは別だろう思っていたところ、とんでもない。翻訳の文体でも天才であった。ハドリー・チェイスの「ダブル・ショック」の翻訳を読んだ時の驚きは忘れない。名人技の文章である。
 その彼が、映画鑑賞と路線バスに乗るのが好きで、わたしの地元、蒲田西口商店街にあった映画館に通っていたことを書いているのを読んでいる。晩年は、カント哲学について書いているのには驚いた。今は路線バスに乗るたびに、ひょいっと外の風景を見ては、彼のことを思い起こすことがある。何でもない街の風景に心の永遠なるものがあるのだ、と悟らせられるのだ。
 本稿で、通称コミさんがクリスチャンであったことや、亡くなったのがNYでの客死あったことなどを知った。
【「シ・ネ・マ」霧関忍】
 少年が罪を犯したと思いこんでいる過去と、ロマンスと超常現象とを混ぜ合わせた物語。過去のことに罪悪感をもつという自意識を働かせた題材が、現代では珍しい。そう感じるのは、政治家が「美しい日本」を掲げているが、それは過去に「汚れた日本」の存在を示す意味があるのに、気づかないような自意識の薄さ。現在の日本人の風潮を意識させるものがある。
 発行所=〒460?0013名古屋市中区上前津1?4?7、松本方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:R&W

2017年9月 1日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「半径二〇三メートル僕イズム」高原あふち】
 認知症となった母親を介護する僕。孤児だったのを5歳の時に、今の両親に引き取られた存在だ。町工場の多い町で、父親が工場経営をしていた。子供のころから機械の音を聴いて育つ。父親は、工場経営が苦しくなった折に、ちょうど区画整理があったので、それに乗って土地を売却、大金を手にし、株式の投資などで過ごす。僕は高校を出て町工場に就職、会社は順調に規模拡大をしている。父親が亡くなったあと、母親が認知症になると、社長は、定時で引き上げることを認める。昼休みには、自転車で母親のところに行く。その距離が、203メートルなのである。限られた行動域にこだわる表現で、その生活感の異状性を、鈴音という高校時代の女性が、引き立てる。
 血のつながりのない親と、介護生活を軽い調子で語りながら、なんでこれが自分の人生なんだ? と、誰でも一度は思うであろう心が伝わる。介護体験のある人や親子関係にこだわる人には、身近な共感を産むかもしれない。
【「竜宮門」木村誠子】
 イトは、孫のユータが詩を書いていて、彼が文学作品のフリーマーケット「文学フリマ京都」に出店するという。そこから文学フリマの店番をする。その独特の雰囲気が良く描かれている。それを導入部に、さらにイトのイリュウジョンの世界に展開が広がる。それを充分に拡げるには、短すぎるところがあるが、作者の世界観を展開する糸口になるのかも知れない。ちょっと、人物像を描きながら、井上陽水の歌を援用するなど、ちょっとヘンリーミラーを思わせる素質を感じさせる。
【「父からの手紙」高畠寛】
 伝統型文芸同人誌では、高齢者の私小説が多いが、これは父親の終末期と同年令になった時に、生まれる感慨という的の絞られたテーマなので、興味深く読めた。ここでは、父親と対立する関係から、肯定的な気分に移るまでを描く。核家族が進んだ今は、父子関係にもその影響があり、まさに家庭の様相の個別化のなかの一例として、読者の認識を深めるのではないか。
発行所=545-0042大阪市阿倍野区丸山通2?4?10?203、高畠方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

2017年8月24日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 本誌の編集後記で、ドイツ文学者の松本道介氏が亡くなっていたことを知った。私が会員制情報誌「文芸研究月報」を発行している時に、便りをいただいた。そこの時点から同人雑誌作品紹介を行っていた。当時は、会員だけの印刷物だから、文学精神に欠けた作品の典型があると、遠慮なく批判した。それが、意に適ったのか、著作を贈っていただいた。「季刊文科」の編集部に草場影郎氏がいた頃である。松本氏はドイツ哲学にも詳しいようであったが、文学畑の読者には、それを理解されたような形跡がなく、雑誌「文学界」の同人誌評も大変なのであろうと、想うところがあったものだ。
【「幻の薩摩路」藤民 央】
 書き出しは平成27年に高校の「喜寿記念同窓会」があってそれに出席したことから始まる。それを足がかりに、過去の回想のなかで、薩摩人の風土的な傾向を述べる。平成28年に「私」は、高校の教師をしていた時の女性と出会う。現在の停滞した生活から、過去の人生の越し方を回想するように出し入れに工夫をし、単調にならないように工夫をしている。特に第3章に歯のインプラントをしない話や、亡き父の幻覚を見るようなところで終る。自己生活史的散文から文学性の世界に入ろうとするところで終る。
【「戦わざる日々」逆井三三】
 幕末の幕府の老中、板倉勝静の江戸城無血開城に、蔭で貢献した人物としてその仕事ぶりを描く。歯切れのよい文体で、わかりやすい説明が説得力をもつ。歴史的な背景の解釈には多様性があるようだが、外圧だけでなく、と国内の飢饉的な情勢があったことを強調しているのは、説得される。 
【「濃霧」難波田節子】
 康介は、結婚して妻の宏美は妊娠中である。しかし、彼には幼馴染みで従妹の梨花との関係が続いている。これは家族愛的な近親的恋愛であることの表現力は流石である。それだけに絆が強く、簡単には関係が清算できない。とくに梨花には、康介と別れる気持ちは持てない。妻の知らないところで、康介と梨花の関係は泥沼状態になる。この行き詰った状態を手厚い筆法で、描く。小説巧者であるこれまでの作者であったら、手際良く主人公の心理を創って、きれいにまとめて治めてしまうことも可能であるはず。意外にも、作者は人間の情欲の業のようなものにとりついて、生き詰まるところまで行きつく。いや、どうなるかわからない。壁に当たる。壁にあたるということは、作者が前に進んでいることを示す。普通に、読み物として読むと、終わりのない話になるかもしれないが、純文的に読むと、書き続けると先があるものだ、と作者の今後に期待する気になる。文学とは、面白いものである。
発行所=〒215?0003川崎市麻生区高石5?12?3、永井方、「遠近の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

カテゴリー:季刊・遠近

2017年8月 4日 (金)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「冬の虹」渡辺光雄】
 1964年の昭和の東京オリンピックが開催される前年。過疎地となった東北の小学校に赴任した若い教師の奮闘記である。経済高度成長の勢いがあった時代ではあるが、そこには、大都市に人口が集中し、農業や炭鉱の産業が置き去りにされた現実がある。
 その地域で、義務教育の平等性をも守って戦った教育者としての矜持を描く。実体験なしでは書けない、数々のエピソードを力強い筆致で展開する。人々の因習と貧困のなかでの物語には、読者をひきつける魅力がある。同時に、豊かさに溺れ、ゆるんだ生活意識との生命力の衰退を感じないわけにはいかない。自然に輝いていた昭和時代の精神と、無理に輝きを作りだしているかのように感じる平成時代を感じてしまった。なぜか、胸につまったものがある。それは、現代におけるこの国の変わらぬ「貧しさへの認識である。
  田坂広志・多摩大学大学院 教授はメッセージメール「風の便り」(96便)で説く。「何年か前、参議院の参考人として招かれ、 議員の方々から、次の質問を受けました。ーー 国の「豊かさ」とは何でしょうか。どうすれば、我が国は、「豊かな国」になることができるのでしょうか。ーー この質問に対して、心に浮かんだのは、 ただ一つの思いでした。 我々は、どこまで豊かになれば、自らを「豊かな国」と考えるのだろうか。その思いでした。ーー
 半世紀を超えて戦争のない国。世界第三位の経済大国。最先端の科学技術の国。世界一の健康長寿の国
 世界有数の高等教育の国。ーー
 人類の歴史を振り返るならば、 かつて、こうした境遇に恵まれた国は、この地球上に存在したことはなかった。
 我が国以上に「豊かな国」は、かつて、存在したことはなかった。そのことに気がつかない。それが、この国の「貧しさ」なのかもしれません。2003年9月1日(田坂広志)。
【「橋を渡った女」牛島富美二】
 教師をしていた高浜が、図書館で昔の教え子の容子と偶然出会う。その容子が、誰かに殺害されていることがわかる。その推理を高浜がするという設定。高浜の視点と容子の視点が別になったような感じで、違和感を感じるところに妙な味わいをもつ。ミステリーでないという前提で読めば、の話だが。
【「再読楽しからずやーウイリアム・フォークナー?ミシッピー」近江静夫】
 アメリカ文学のフォークナーを読まずして、新しい文学の発想はないと思わせるほど、その手法の研究による日本文学への影響が大きかった。懐かしいと同時に、トランプの人種的差別主義で、再び脚光浴びるのかも知れない。アメリカ社会と文学の関係を再認識させるかもしれない、興味深い評論になりそう。
 発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方、仙台文学の会。
 紹介者=「詩人回廊」北一郎

カテゴリー:仙台文学

2017年7月30日 (日)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

 この7月の先日まで、町田市で10日間開催した「文芸同人誌展示会」に展示されていた東海大学文学部の部誌である。レイアウトデザインが洒落ていたので、めくってみると、スマートな構成で、読む気にさせる。古典を交えた推奨紹介「デイボディ・ボッシュの洛書架にて」が前菜的な味わいで読書欲を誘う。また、試作品のレイアウトが大変文学性に富んでいる。そして第15回創作コンペ発表があって、伊井直行、山城むつみ、堀啓子。三輪太郎、倉数茂の5選考委員による入選作品が掲載されている。
【「パーフェクト・ライフ」川村和徳】コンペで優秀作となった作品。小児ぜんそく持ちのぼくが、小学2年生以来の千歳というやや生意気な少女と知り合い、数少ない友達になり、その後の思春期を迎えて再会するという、喧嘩するほど仲が良い友情の話。少年時代の出来事を描いて文学性を出すのは難しきものがあるのだが、ここでは、まず自意識という強調することで、ただの回顧による作文と明瞭な1線を引いて成功している珍しい例に読めた。
  余韻をのある雰囲気の作風で、きわどいいところで、文学味をだしているのも希な成果。小学生のころの自らの心理の記憶をたどるというのは、ませていて創作性が強い。選評にも指摘があったが、その分、人物像の統一的表現に不足がある。だが、小児ぜんそくなどアレルギー症状のなかで生活する少年の精神は共感をもって読める。
 その他、」佳作に「永遠の恋人」(北原慎也)、「山中渓」(山下海)、掲載作「美と嘔吐と修羅」(富所亮介)があり、その他、水準の安定した学生選考作品など力作が掲載されている。部員の文学的情熱が結集した充実した内容となっているので感心した。
発行所=〒259-1292平塚市北金目4?1?1、東海大学文学部文芸創作科。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

「私人」第92号(東京)

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2017年7月27日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「名残の夜空」鳴沢龍】
 これは太平洋戦争で、敗戦国となった日本軍に捕虜となったカナダ人と、戦時には幼児であった日本の会社員との交流記である。語り手「私」は、世界展開している大企業メーカーか、商社のような有力企業の社員らしい。戦時中に、カナダ人兵士が、捕虜となって、強制労働をさせられた。その兵士Aが終戦後カナダに帰国したあと、来日するという。会社の応対が悪いと、反日的な意識を高められても困ると、広報部からその接待係を頼まれる。
 ところが、Aは日本の文化に興味があり、理解者であった。国内の行きたい場所や、会いたい人などの希望をかなえるために、私は奔走する。すると、Aはその取材をとおして、著書を刊行したり、文化表現力を発揮して、母校で成功をおさめる。
 その間の交際をとおして、日本人としての立場からの感情的な、好悪感と兵士Aの感情の動きなどが、細かく語られる。
 A兵士は戦争で、日本軍に虐待された。それを忘れることはないが、強く根に持つても仕方がないというような気分。一方で、「私」は、戦争の世代ではない。しかし、前世代の責任を背負って、応対する様子と、感情的な揺らぎがよく細かく描かれている。
  両者の感情的な応接の様子から、外国人との交際の難しさと、その機微を表現したものとして、優れた作品に思えた。
【「D・H・ロレンスの思い出(六)」尾高修也】
 ここでは、ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」について、その性描写の一部が引用されている。訳し方によっては、卑猥な描写になるようなものだという。そして、粗筋として、夫人コニーの夫クリフォードと、恋人のメラーズが支配階級と被支配階級の対立として描かれていることを解説。結局コニ―は離婚を決意し、メラーズの子供を身ごもっていることをクリフォードに告げる。クリフォードは茫然とする。結局コニ―は、実家に帰り、メラーズも別居中の妻と別れ、二人は別々の場所でお互いに離婚が成立するのを待つ。
 じつは、我々が読んでいる「チャタレイ夫人の恋人」は、三種類あって、二度書き直した末の第3稿であるという。
 その第2稿としての「ジョン・トマスとレイディ・ジェイン」という題で、大沢正佳氏の訳があるというのは、知らなかった。タイトルは、男性器と女性器をイメージさせるものらしい。それでも性愛関係の描写は、「チャタレイ夫人の恋人」の方が、長く露骨だという解説をしている。筆者は本書の特性として「小説の長い語りの末にしるされるのは、男と女のあいだの『小さな炎を信じ』ようという、ごく単純で控えめなことばである。文明論的な大きなことばのあと、日常場面の小さなことばで締めくくられる小説だといっていい」としてる。
 たしかにロレンスは、死と性に関する意識につい、て哲学的な意味での追求を考えさせる思想的傾向もつ。そこに、いわゆる恋愛における不倫関係など、刺激的な要素を取り入れているところは、純文学小説として、思想を小説にする技巧に優れた作家であることを再認識させられた。
発行人=〒364-0035埼玉県北本市西高尾4-133、森方。
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。

カテゴリー:私人

「岩漿」25号(伊東市)

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2017年7月20日 (木)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。

【「檸檬の木のある風景が」偲優一】
 私立高校の常勤講師を長年にわたって勤め、三年前に定年退職した「私」は、あてもなく町を歩く。同時に人生の越しかたを振り返る。
 「お祭りのような繁華街を抜け2時間ほど歩いていくと公園があった。遊具一つ無く、人ひとりいない小さな公園である。染井吉野の根元に血しぶきのように咲いているのは曼珠紗華。
 」ここに一つの伏線がある。死が目の前に横たわる意識を表す。そして、街歩きしながら、過程のこと、家族のことなどが、思い起こされる。すべて普通に順調な平凡な人生の過程が思い起こされる。だが、懐には、佳き妻であった彼女への離婚届が入っている。
 そして、この小説の小説らしさ示す箇所がある。
 それは立ち寄った画廊に飲みかけのペットボトルを置き忘れ、キャップを開けたまま忘れたことを思い出すのである。これが「私」の存在感を感じさせるのである。
 それに追い打ちをかけてーー刑法上の違法行為をしない限り刑罰を科せられないーーという条文をしめす。終章で「人の往来がまばらになり、街灯の間隔が遠くなり、星ひとつ見えない。ポシェットには二か月分の抗うつ剤と睡眠導入剤が入っている。5メートルほどの紐も入れてある。あの公園に水道はあるし、枝ぶりのいい染井吉野もある」で締めくくる。――社会的な参加のない老年の死をまつというか、憧れる情感を、きちんとした骨格にするための計算の行き届いたニヒリズムに満ちた完成度の高い文学的作品に読めた。
発行所=〒413-0235伊東市大室高原9?363、小山方「岩漿文学会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

カテゴリー:岩漿

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